水曜日, 4月 19, 2006

小さい旅






今日は、週2日ある定休の一日だった。
急に思いついて、富士山に近い、
小さな町へ出かける事にした。

実はその町には、
わたし、Giovanniが働いている店の、
新しい支店が、
数日後に、開店する事になっている。

今回は、特に、その開店の準備とは、
大きく関わってはいなかったこともあり、
また、ここのところ疲れていることもあって、
仕事をしに行くつもりではなく、
ぶらっと、遊びがてら行く事にした。

店に到着しても、
『働きません!』という意志を明確にするため、
2時間近く乗る電車の中で、
缶ビールを開けた。(午前10時)

電車にゆられる時間が長くなるにつれ、
窓外にゆっくり流れる景色も、
長編の絵巻物を繰るように、変わっていった。

生憎、天気は今ひとつ、すっきりしない、
曇りがちな午前中であった。
(後で分かったのだが、今日は、大陸からの
黄砂がかなり多く飛来していたらしい)

しかし、それでも、次々と現れる山々は、
様々な緑色の濃淡に覆われ、
秋の紅葉にも似た、
それでいて、秋の鮮烈な印象とは打って変わった、
どことなく薄ぼんやりとした姿で、
目を楽しませてくれた。

濃く深い緑に、
幾つものヴァリエーションを持った、新緑。
イエローグリーンから、少し赤みを帯びた緑。
そこに、時折、白に近いピンクの山桜。

何だか、見た事あるなぁ、この風景?
と、思ったら、
練り切りを使った、春の和菓子でこういうのが
あった、あった。












やはり、町とは気温が違うのか、
ここら辺りでは、まだ、桜が満開で、
同じ車両に乗り合わせていた、東京からのおばさまたちは、
『ほら、あそこも、ほら、ここも。』
『奇麗ねぇ、奇麗よぉ。』と、歓声を上げていた。

そうこうする内に、目的の駅に到着。
ホームから、目の前に、富士山の勇姿が!と、
言いたいところだったが、
残念ながら、雲を被っていて、
そこに、裾を長く広げた大きな山があるということが、
何となく分かるくらいの、ぼやけた輪郭だけを
見る事ができた。

その町の名物と言われているうどんは、
あっさりとした醤油味のつゆに、
何と、キャベツがトッピングされていて、
そこに、好みに応じて、唐辛子ベースタレを入れる。

仕事もほとんどしないで、
そそくさと、上り電車に乗り込み、
途中下車して温泉へ。

たった一日という短い時間で、
どこか遠いところへ行ったような気分になった。

小さい旅に、また出たいと思った。

月曜日, 4月 17, 2006

fleur du Senegal セネガルの花



数日前、ブログにUPしようとしていた、文章があった。

『最近、何気ない瞬間に、ふと、黒い斑点のような物が
見える事があった。

あれ?今見えたの何?と、びっくりし、
白内障とか緑内障とか、そんな病名が、
一瞬頭をよぎったりしながらも、
目の回りに、ゴミでもついてるんだろう、と、
その場はやり過ごしてしまっていた。

今日も、また、その斑点のような物が見えた。
まさか、この何日も、同じところにゴミがついている
わけでもあるまいし。
やはり、気になってしまうので、恐る恐る鏡を見てみた。

なぁんだ。ホクロじゃん。
見てみると、目のふちの、鼻筋の横のところに、
小さなホクロがあった。

自分の顔を普段から、まじまじと見ているわけではないが、
それでも、人並みに、
身だしなみを整えるのに必要な程度の観察は、
忘れずにしている。

こんなところに、ホクロあったのかな?
でも、鏡に映っているのは、そこにホクロがあっても、
何の違和感も無い自分の顔。
ずっと、ここに、こいつはいたんじゃなかったっけかな?

そこにあるのに、見えない物、
見えないのに、そこにあるのを知っている物。

どうであれ、見えない物は、何か頼りない。
見えない物に対しては、
疑心案儀になってしまったりする。

しかし、目に見えない物を、信じる事ができるのは、
人間の希望である。

目に見えない物の持つ力強さを信じること。
それは、人間の心の清らかさでもある。
ある人にとっては、信心だったり、
別の人にとっては、哲学だったり、
またある人にとっては、愛情だったり・・・・』

というような内容で、
次をどのように進めて行こうかな、と、思って保留にしていて、
なかなか、明確に、道を示す事ができず、
そのままにしていた。

実は、こういう内容で書き進めたかったのだ。

フランス時代の友人に、Vというスペイン人がいた。
彼とは、単なる友人という以上に、
家族愛、或は、兄弟愛を感じるような、
何かとても特別な関係で結ばれていると、互いに感じていた。

そのVとは、その後、わたし、Giovanniが、
フランスを離れた後も、
手紙のやりとりが暫く続き、互いの消息は、
いつも分かっていた。

ところが、ある時期、すなはち、
こちらは、東京での生活が始まり、
Vは、自分の研究のため、すでに、
南米ボリヴィアのLa Pazへ移り住んでいた頃から、
やりとりの回数が段々と少なくなっていた。

そして、いつの間にか、こちらは何度か、
便りをするも、梨の礫(つぶて)で、
数年間音信が途絶えてしまったことがあった。

その後、数年ぶりに受け取ったVからの便りは、
意外にも、アメリカからだった。
誰でも知っている、カリフォルニアの大学で、
研究を続けている、という内容の手紙で、
小雨の降るくぐもった冬の日に、
嬉しくて、何度もその手紙を読み返しながら、
これでまた、以前のようなやりとりが始まるのだ、と、
安心をしたことだった。

しかし、その便りを最後に、ついに、
Vからの音信はすっかり途絶えてしまったのだった。

アメリカからの手紙にあった、アメリカにいる予定の
期間のリミットも、とうに過ぎてしまい、
その後、一体どこで何をしているかも分からないまま、
次こそは、と、願いながら、
スペインのVの実家に宛てて、手紙を投函したが、
やはり返事は無く、
こちらも、手紙を書くことを諦めてしまっていた。

そのVが、"UNICEF"の仕事をしていることが分かったのは、
何気なく、Googleの検索で、Vの名前を検索してみたところ、
彼が書いた、
『中央アフリカにおける子供のビタミンとミネラル欠乏からくる
発達における障害』についての記事を発見したからだった。
(しかも顔写真入り!)

そうして、わたし、Giovanniが、
UNICEFに宛てて、即座にメールを送ったことは、
容易に想像できるでしょう?

色々と途中にあったものの、
ようやく、
現在VがUNICEFの仕事の拠点としている、
セネガルから、返事のメールを受け取った時の喜びは、
いかばかりだったことか!

だが、Vからのメールの返事には、
心なしか、ある種のフォーマル感が増していて、
以前のような、
自然な、屈託の無さを失ってしまっているような気がして
ならなかった。

仕方ない、時間の経過は、人間を変えてしまうのだ、
昔のVとは、もう違うのだ、と、
言い聞かせるしか無かった一方で、
人間の友情ーー兄弟愛とまで唱ったVとの関係が、
そんなにもろいものなのだろうか?と、
納得いかない気持ちでも、一杯だった。

目に見えない、何かを信じたい!
友情とか愛情とか、具体的な事物では
表現できない何か。
その何かを、信じたい!と、強く思ったのだった。

***********************

今朝、ここのところの習慣で、
いちばんにMacを立ち上げ、
メールをチェックした。

Vからのメールが届いていた。

冒頭には、
”親愛なる我が兄弟へ”、とあった。

その次の瞬間、わたし、Giovanniの目には
涙があふれて、止まらなくなった。

20行足らずのそのメールには、
自分が信じたいと思い、
事実、
信じたものが何であったかのかを、全て説明する、
Vからわたしへの兄弟愛が満ちていた。

そのメールの最後に、
”As soon as my work takes me to Asia
I'll make a sign to see if we can have
(real) coffe together.”
と、あった。

『僕の仕事で、アジアへ行くようなチャンスがあれば、
まず、何はともあれ、(本当の)コーヒーを
一緒に飲む事のできる可能性を探ってみるから。』

わたしのメールの署名

"Would you like some coffee with me?
Giovanni"

に、かけた、文章であることは明らかだった。

信じていて良かった。
何も変わらずに、それはそこにあったのだ。

何千キロと距離を隔て、
地球上のこちらと、はるか彼方に離ればなれに
いるけれども、
互いの存在をこんなに近しく感じる事ができる、
大きな喜び。

その喜びを伝えるため、再度送信したメールへの
返事には、
まるで、今のVと、わたし、Giovanniの
喜びの気持ちをそのまま映したかのような、
セネガルの木に満開に咲く花の写真が添付されていた。

目に見えない何かを信じることは、
難しい。
しかし、そこにこそ、人間の希望があるということを、
わたしたちは、知っている。

PS ちなみに、目の横のホクロだが、こう考えられないだろうか?
今までもずっとあったけれど、見えなかった。
それが、見えるようになったのは、
ここのところのハードワークで、目が落ち窪み、
視界が広くなったため・・・

日曜日, 4月 16, 2006

携帯写真

アンチ携帯電話、と、自称していたのは、
一体いつ頃のことだろう?

今使っている携帯電話
(以下、携帯、とするーーー
ーーーでも何で、携帯電話のことを
携帯、と呼ぶのだろう?だって、携帯灰皿、
とか、携帯スリッパもあるのに?)
そう、携帯は、3台目。

1台目の記憶はあまり無いくらい、
ただ、持っていた、程度だったかな。

2台目は、どうしても欲しいデザインの物で、
使い易さや機能は、二の次。
これは、結構使って、
最後は真夏に、日向に置いていたため、
液晶画面にお日様の影が映ってしまった。

3台目、今使っている物は、
約3年前、膝の靭帯を切る怪我をした時、
自分を慰めるために、
その当時の最新の機種を松葉杖をつきながら
調達した物。

その3台目が、そろそろヤバイ。
電話をとっても、何の音もしない。
もちろん、かけようと思っても、
ダイヤルはされているにも関わらず、
話は出来ない。

買い替え時なのだと思う。
世の人たちは、もっと早いスピードで、
替えてるみたいだけど・・・

できれば、電話ができて、
電話帳&アドレス帳が使えて、
メールができる、というだけの機能が
良いなぁ。
ネットとか、カメラは要らないかも。

ここのブログにUPしている写真は、
3台目君で撮っているものがほとんどで、
やや色が微妙だけれど、まぁまぁ使えなくは無い。
でも、できれば、写真はカメラで
撮りたいなぁと思う。

とは言え、今日の作品をご紹介!








ちなみに、今夜は、イースターディナー。
◯空豆のグリル(さやつきのままグリルで焼いて
塩と例の”黒い粉”で食べる)with 黒ビール
◯ごぼうとニンジンの入った、インド式チキンカレー
◯ひよこ豆入り玄米ご飯
◯いちごヨーグルト

土曜日, 4月 15, 2006

Happy Easter!

Greetings to all
for the joyful day of Easter!

Let us rejoice and sing for
the new life!

By Giovanni

新しい始まりの日



3月末から4月あたまにかけて、
仕事は年間でいちばん忙しい時期でした。

今日は休みを取ったので、
今日明日、2連休。
しかも、昨日は2時間ほど、早退させてもらったので、
気分はかなりゆっくりしてます。

明日は、復活祭ーーーイースター。
日本では、クリスマスは誰でも知ってるけど、
キリスト教の最大のお祭りであるイースターは、
ほとんど知られていません。

簡単に、説明しておくと、
イースター直前の金曜日が、
イエス・キリストが十字架にかけられ、
亡くなった日。
そして、その3日後に当たる、日曜日が、
その復活の日、イースターということ。

教理教義的なことは、割愛するとして、
とにかく、明日は、新しい命を祝う、お祭りなのです。

というわけで、昨夜は、十字架上のキリストに
思いを合わせて静かに過ごしました。

で、今日は、ほとんど出かけず、
大掃除にとりかかったのですよ。

大掃除、とは言え、比較的普段から
こまめに掃除片付けはやっているので、
ちょっと念入りに、レンジ回りを磨いたり、
とか、そういうこと。

ミニマムで始めた東京暮らしも11年目。
所有物も随分増えた感があります。

ああ、ここらで、一度、リセットしたいな!

色々なしがらみとかも含めて、
一度、白紙に戻して、
まっさらな気持ちで、新たに始めたい!

というわけでも、明日のイースターは、
また、新しい始まりの日なのです。

金曜日, 4月 14, 2006

解決



Ciao! Giovanniです。

ここのブログへのコメントの書き込みが
できない人がいるようなのですが、
どうも、こちらの設定には、問題は無いようで、
どちらかと言うと、

あなた、ええ、えぇ、あなたですよ。
あなたに問題があるようなんです。

問題がある、というと語弊があるけど、
要するには、相性です。

文字コードの設定を、
もし、あなたがやり直す気になれば、
改善できるようです。

まぁ、コメントは、別な方法で伝えていただいて、
構いませんので、
とにかくは、読んで下さい。
Giovanni、大いに語っておりますので。

木曜日, 4月 13, 2006

こんなお願い。



偶然かも知れないのですが、
Macユーザーの二人の友人から、

『ブログにコメントしようとしたけど、
できなかった』と、言われた。

で、お願いなのですが。

Mac/Windowsを問わず、
ひとことで良いので、
コメントを送ってみてくれませんか?

今後に関わる事なので、
ぜひぜひ、よろしくお願いいたします。

By Giovanni

水曜日, 4月 12, 2006

五感を駆使してみる Giovanniヴァージョン





友人のhaalちゃんのブログが、
更新されていた。
"http://room-j.cocolog-nifty.com/blog/"

香を焚いた、という内容だったので、
そのブログへのhommage(凄くおおげさだが)
というつもりで、
同じタイトルで書いてみる。

そのブログへもちょこっとコメントをしたけど、
香というと、臭いをかぐという『嗅覚』と、
関係深いことのように思うのだが、
専門的には、香は『聴く』なのだそうだ。

この場合の香は、
いわゆる、線香などのスティックタイプとか、
コーンタイプの一般用の練り香というよりは、
本格的な香道で、香炉を用いて焚く香のことを指す方が、
イメージとしては分かり易いかも。

そういう香を焚きしめたとき、
香道では、目を閉じて、静かに、香を聴く。
何百年も前の、ジャングルなどに自生していた香木が、
幾時代をも経て、多くの場合、権力者などの手を幾つも渡って、
伝えられて来たのだ。
そうい歴史が、現代の香に凝縮されている。

あまり、書くとボロが出そうなので、
香の話はおしまいにしよう。

専門は、味覚なので、味覚の話。

というところで、実は今、夕飯を作っているところである。

シューシューと聞こえるのは、
圧力釜から蒸気が上がっている音。
小豆入りの玄米ご飯を炊いている。

湯を沸かしているのは、
ほうれん草を茹でるため。
明日の弁当に入れる、ゴマ和え用と、
今日のみそ汁の具(油揚げとほうれん草!)

で、今夜のメインディッシュは、
ワカタケ。
筍と若布を煮たの。
もう火は落として、味を馴染ませている
ところだ。

食べ物、というところで、
まあ、味覚と関連しているけれど、
例えば、ほうれん草を茹でるときに、
鮮やかなエメラルドのような緑が冴えるように
気をつける、とか、
筍は、煮過ぎず、シャキシャキ感を残し、
若布は、トロトロになるように、とか。
味だけでない感覚、にも注意を払うようにしたい。

さて、そろそろ、みそ汁にかかるか。
昆布出汁を温めて、油揚げを入れておいて、
味噌は食べる直前に。
ほうれん草も、いちばん最後に入れて、
鮮やかな色を楽しみたい。

火曜日, 4月 11, 2006

和解するということ その2



和解する、ということでもう一つ思い出すことがある。

JBという友人のことだ。

インドのマドゥライ(マドラス)で働いていたときに、
JBとは最初に出会ったと、記憶している。

何がどう、というのではなかったのだが、
何となく、馬が合わなかった。

確か一度だけ、仕事で二人連れ立って、
どこかへ出かけた事があったのだが、
何を話すでもなく、気まずい沈黙ばかりが、
二人の間に、横たわるように、続いていた。

結局、馬は合わないまま、気まずさの沈黙も、
そこから立ち去る事の無いまま、
JBは自分の町へ帰って行った。

その数年後、JBは、フランスへ渡り、
わたし、Giovanniは、
再び、インドでの生活を始めていた。

インド中部の、ハイデラバードという町を
訪問する機会があった。

そこは、JBの故郷で、
JBの家族を訪ねることになった。

夫を亡くした未亡人である、JBのお母さん。
そして何人かの兄弟姉妹が、
手厚くもてなしをしてくれた。

お母さんは、息子であるJBを、
それはそれは、自慢のたねにしておられて、
フランスから送られてきた写真などを、
誇らしげに見せてくださった。

そういう、JBのお母さんを初めとする、
ご家族と出会い、
自分が、JBのことをあまり良くは思って
いなかったことに、
一種の後ろめたさを感じたし、
又、ある種の恥ずかしさすら覚えた。

ああ、いつか、機会があったら、
JBに、
君の家族にお会いしたよ、
素晴らしい家族だね、
と、笑って、
伝えたい、と、その時は心から思った。

そして、その2、3年後だろうか・・・

久しぶりのフランスの共同体。
日曜日の朝のミサの後、
教会の外には、数百人の人が、
互いに挨拶を交わしたり、楽しげに
話をしたりしていた。

たくさんの人たちの人垣の向こうから、
誰かがこちらに向かって近づいてくる
気配を、感じた。

ちょっと、映画か何かの、
スローモーションシーンのように、
人の固まりが、
まるで、モーセの十戒の海が開く場面のように、
二つに割れて、その間を、
こちらへ向かってくる、その人は、
JBだった。

満面の笑みをたたえて、
ついに、ここまで到着したJBは、
両手を広げ、ハグと握手を求めてきた。

JBと会ったのは、インド以来、
恐らく、6年振りだったと思う。
その6年間、自分の心のどこかで、
かたくなに閉ざしてきた扉が、
その瞬間に、何ごともなかったかのように、
大きく開かれた気がした。

自分は、何に心を閉ざしていたのだろう?

和解していなかったことにすら、
気がつかないでいる自分がそこにはいる。
とても消極的にではあるが、
和解を拒み続ける自分がそこにはいる。

和解するということ。
それは、そういう自分の姿を認め、
先ず、自分自身と和解するということなのでは
ないだろうか。

日曜日, 4月 09, 2006

代官山の、はるみ たいな日(笑)

今日は、天気も申し分なかったので、
ミサの後、四ッ谷から代官山を目指して
歩く事にした。

数日前の、自転車でのこともあり、
左腕には鈍痛が残り、
最初は気がつかなかった、微かな痛みが、
左脚にもあったので、
どことない違和感を感じながらも、
あまりの気持ち良さに、歩き続けた。

歩きながら、色々と考える。
ああでもない、こうでもない、と。

できてしまった、後頭部のハゲの理由は、
何なんだろう?

とか、

この10年間、休みらしい休みを
取っていないなぁ!

とか、

ここらで、そろそろ、生活を変えようかなぁ〜

など。

でも、実際は、考えている時間よりは、
青山墓地にたくさん咲いていたムスカリを眺めたり、
警官に咎められはしないだろうかと、
恐る恐る、東宮御所の石垣に咲く、
ムラサキ色の花の写真を撮ったり、
と、のらりくらりの時間の方が、
長かったのだが・・・










そうこうしてると、
70代くらいの、どこからどうみても日本人の
おじいさんに、
突如、英語で道を尋ねられた。
地下鉄広尾駅へはどう行くのか?と。

その英語は、しゃちほこばった、
とてもジャパニーズな英語。
何故にして、このじいさんは、
英語で聞くのよ?と、思いつつ、
流暢な英語で答えてやったら、
目を白黒させていた。

そして辿り着いたのは、
『room+J 代官山』
友人haalちゃんが、3月に独立開業した、
和食器と布ものの店。

目黒から代官山方面へなだらかな坂を上り、
代官山駅前の背の高いビルが
見える辺りで、脇へ入ると、
すぐ。

開店直後に来た時にはなかった、
『room+J 代官山』のロゴマークが、
店の窓に見えた。

階段を上がり、2階にある店へ入ると、
聞き覚えのある声が。
haalちゃんが、
自分の店を持つ前にやった、お披露目を兼ねた
展示会の会場となった、
青山の『喜喜ダブルハピネスギャラリー』主宰の、
Oさんだった。

お友達と来店されていたようで、
人生初めて箸置きを購入しましたぁ、と、
いつもの高らかな笑い声の余韻を残して、
帰って行かれた。

haalちゃんは、数日前、偶然駅で会ったとき、
たいそう疲れた様子だったので、
心配していたのだけれど、
今日は、すっかり元気になっていて、安心。
熱く、これからの自分の店を語ってくれた。

『room+J』については、
HPを見たり、自分で是非訪ねていただいたら
良いかなと思うので、
あえて、多くは書かないけれど、
日々の忙しい生活の中に、ゆとりの空間を
作ってくれるような、
長い冬が終わった後の、はるみ たいな、
そんな店。代官山の。

お店の詳細は、こちらをどうぞ!
"http://room-j.jp/"

さて、その後は、
代官山から、さらに歩いて、
参宮橋のプールへ。

久々の、のんびりした午後であった。

和解するということ その1



今日は、Palm Sunday。
日本語では、棕櫚の日と言うのかな。

毎週、出かける四ッ谷の教会でも、
入り口の所に、シュロの枝が山積みにされており、
みんな、手に手に、枝を持ち入堂。

この日は、キリスト教の暦で言う、
受難週と呼ばれる週の、最初の日。
この1週間は、キリスト教会では、
実は、クリスマスよりも大切な週であったりする。

ちなみに、来週の日曜日が、
イースター。

この時期、
もう、毎年のように、改めて考えさせられるのが
『和解する』ということ。

そして、このことを考えると、
思い出す、ある人のこと。

その人と、あるプロジェクトの相談で、
初めて出会ったのは、今から15.6年も前のこと。

よくできる人で、イニシアチブをとって、
どんどん、前へ進んで行くタイプの人だった。

何がどう、ということではなかったのだけれど、
何となく、馬が合わないというか、
歩幅が合わなかった、その人とは。

特に利害関係が、その人との間に、
あったわけでもなかったのだが、
何か、負けたような、何か、自分の益を、
奪われたような、そんな気持ちにさせられていた。

プロジェクトの完結と同時に、
その人とは、もう合う事もなくなり、
自分が抱いていた、その人に対する憎悪や嫌悪すら、
記憶の彼方に、いつの間にか追いやられていった。

それから、10年以上もたった、ある時、
ある場所で、大学の教授たち数名と、
歓談していた際、
不意に、聞き覚えのある名前を耳にして、
どきりとした。

その名前こそ、自分の記憶の彼方に追いやっていた、
件の名前だった。

彼らの会話の中で、語られる彼の名前。
そして、彼にまつわる出来事を、
過去形で語る彼ら。

その会話によると、彼が、
末期癌で亡くなったというのだ。

全身に拡った悪性細胞に蝕まれた身体は、
否応無しに、彼に激痛を与え、
最期の時、彼は一人がけソファに腰掛け、
両手を大きく開き、天を仰いで息を
ひきとったそうだ。

その話を聞きながら、
まるで無防備なよこつらを殴打されたような
気持ちになった。

彼と、和解することのないまま、
彼が、この世を去ったということに、
後悔の念が、自分の全身を覆った。

むろん、彼に対して抱いていた憎悪も嫌悪も、
彼自身は知らなかったし、
あくまでも、こちらのことだったのだが、例え、
面と向かい口に出して言う事はなかったとしても、
せめて、
『あなたと、和解させてください』と、
彼の心に、自分の心を伝えようとすれば良かった、
そう思って、悔しさが募ったのだった。

『和解すること』
それは、相手が和解しよう、と、自分の所へ来るのを
待つ事ではない。
まず、自ら立ち上がり、
閉め切った部屋の扉を開けて外へ出て、
仮に夜中であっても、
その人の元へ駆けて行く。

『あなたと、和解させてください』

土曜日, 4月 08, 2006

何が、不幸かということ

あまりにも、有名(なのか?)なことだが、
わたし、Giovanniが、スイマー(素人)になったのは、
そもそも、左脚の膝の靭帯を損傷するというケガの、
功名なのである。

ケガそのものは、ある種の不幸ではあったが、
その結果、生まれたものは、
むしろ、新たな喜び、幸せであった。

何が不幸なのか?
そして、何が幸せなのか、と、
判断をするタイミング。
それは、いつだろう?

膝が反対に曲がったかと思うような、
痛ててて、な怪我をしたその瞬間に、
まさか、
あぁ、幸せ!とは考えない。
でも、確実に、数ヶ月後には、
幸せだなぁ、と思っていた。

全ての答えは、後で分かる。

インド、コチンの空港で、
イタリアからの訪問者を乗せた飛行機が、
数時間も遅れており、
所在なく、いつ到着するとも分からない
いら立ちを覚えながら、
うす青い空をぼんやり眺めていたことがあった。

同様に、客人や友人を待つ群れの中に、
3人の、修道服をまとったシスターたちがいた。

その内の一人は、年配の、明らかにイタリア人の
シスターだった。
(後で分かったが、管区長という役割に就いている
シスターだった)

お互い、ヒマを持て余していたこともあり、
ぽつぽつと言葉を交わすようになり、

一体、いつ到着するのでしょうね、
という話題で、
ひとしきり花が咲いた後、
彼女が、こう言った。

『こうして、長々と、待ちくたびれたことにも、
そして、こうしてあなたとここで出会ったことにも、
必ず理由があるのです。
ただ、その理由が分かるのは、ずっと後になってから。
わたしたちが、みな、楽園に招かれたとき、
全てのことの理由が明らかになるのです。』

今、自分の身の上に起きていることが、
たとえ、今は、身に降り掛かった災難のように
感じるとしても、
後に、それが、自分にとってむしろ、
大きな幸せであったのだ、と、思うときがくる。
それは、天国に行ったときだ、ということなのである。

楽園、天国、というキリスト教的な要素は、
ともかくとしても、
いつか、全ての事の理由が明らかになる、
という考え方は、
分からなくもないのでは?
運命、というように捉えてみたり、
偶然という必然、という哲学で理解してみたり。



夕べ、自転車での帰宅中に、ぼんやりしていて、
何度も、危ない事になりそうになった。
気がついたら、壁に激突しそうになり、
大きく転倒しそうになった体を、
慌ててブレーキをかけ、
何とか支えようとし、転倒を免れた。

どうも、そのとき、
腕をくじいたようである。
今朝から、左腕のあらゆる箇所が、
痛い。

あぁ、ついてない。

と、思いつつも、この痛みにも、
何かの理由があるに違いなく、
きっと、楽園へ辿り着いたとき、
天使たちに、その理由を告げられるのだろう。

衣食住




人間のライフスタイルは、
衣食住だけではないだろうが、
日本語ではこの3つで、
まぁまぁ、上手いこと言っている。

自分で言うのは何だけど、
わたし、Giovannni、この3つが、
良い具合にバランスをとっていると思っている。

服を買うためなら、毎食100円のカップ麺で良い、
とか、
超グルメだけど、家の中は凄まじく汚く散らかってる、
とか、
そういう人が、身近にも、案外といるものである。

決してそういう人たちの、ある種のスタイルを、
批難する立場に、自分がいるとは思わない。

が、ただ、自分はこうだ、ということを
言いたいのである。

例えば、未だかつてわが家を訪のうたことのない人が、
初めて、この庵を訪ねたときに、
『Giovanniはんらしぃおすなぁ』と、言ってくれれば、
それは褒め言葉である。

普段、こういう出で立ちをしており、
食べ物や、洗剤へのこだわりを語る、Giovanniが、
住むに相応しい住環境は、
こうでなければ、という、自分なりの哲学/ポリシーは、
筋が通っていなくてはならないと思っている。

わが家へお越しの際は、
ぜひとも、そこんところをご確認くださると、
有り難う、かたじけのう、思うのである。

金曜日, 4月 07, 2006

こだわっていないこと

今までも、わたし、Giovanniが
こだわっていることや、こだわっている物について、
色々な方法でご紹介してきた。

しかも、これからも、もっと、
様々なこだわりを、ご紹介することになる。

なので、今日は敢えて、
こだわっていないことの紹介。

洋服のブランド物に対するコダワリは、無い。
好きなブランド、とか、よく行く洋服屋、とか、
ありません。

洋服を選ぶポイントはある。

色については妥協しない。
髪は真っ黒なクセに、目がとても茶色いので、
服装の色使いには、微妙なバランスを要する。

ブランドロゴ、ワンポイント、マーク、
などの無いもの。
全身、ブランドを背負って歩く自分の姿など、
これっぽっちも想像がつかない。

普通のシャツ。
普通のカットソー。
デザインが当たり前で、機能とデザインが
一体化しているもの。

例外的に、下着、特に、おパンツには
こだわるが、
プライバシーにつき、お話しはできない。



こだわっていない、と言いつつも、
こだわっているの、かも?

左図:本人ではありません!

イライラ

そりゃ、人間ですから。
イライラもしますよ。
ここしばらく、忙しかった事もあるし、色々ね。
人間と人間のことだしね。

先月末に髪を切りに行ったら、
店に入るなり、

『頭、どうしたんですか?』と聞かれた。

何かと思えば、後頭部が円形脱毛になってると。
合わせ鏡で後ろを見せてもらったら、
確かに、できてたよ。
でも、いつものように髪を短くしたら、
案外気がつかない感じになって、安心。

今日、まあ、色々とあって、
帰宅してからふと思い立って鏡を見てみたら、
明らかに、脱毛している。
髪も伸びて来たから、やっぱり、
この間よりは、目立つ。

でも、実はあんまり気にしないのだ。

今から何年も前に、
やはり職場の色々で、大きな、500円玉以上もありそうな
円形脱毛ができたことがあった。

うら若き男子だったもので、その時のショックと言ったら
そりゃあ、そりゃあ。

その後、小さいハゲがいくつもできて、
悲しい日々を過ごしたものの、
最終的には、跡形も無く、完治。

なんで、治ると分かってるから、
そんなに気にしない。

それよりは、そんなことになってしまった、
ストレスという名の、
悪しき環境を、何とかしなきゃね。

まさか、ハゲの画像を掲載するのも
何なので、この日記には、画像無し!
あしからず!

水曜日, 4月 05, 2006

rain to the real spring time

My original idea is that the blog I edit would be
not only for the Japanese friends,
but also for the friends in the other continents.

It is really amazing what we could do today
with the technology of internet.
The earth definitely has become smaller.

The time is Lent.
The Easter is still quite far this year.
Without hearing the joyful greeting of Easter,
I cannot feel that spring has come indeed.

The symbol of Japanese spring time
is cherry blossoms, sakra.

They came very fast this year,
and now they are already going to.

The rain which falls the petals of sakra
is called "hana-chirashi-no-ame".



The hana-chirashi-no-ame today
is another step forward to
the real spring time.

何と言う?





日本語を話し始めた外国人が、
よく使うフレーズがある。

『何と言う?』

要するに、ええっと、何て言うんだっけ?
というような時に使うのだが、
何故か、みんな、
『何と言う?』と言う。
多分、"what to say?"とか"how to say?"を
直訳してこういう言い方になったのでしょうな。

下の方に書いた、
『最近、とても興味を感じながら眺めるのは、
夜(もちろん朝の通勤時も)、夕空に、ぼんやりと浮かぶ
樹木の輪郭。』
の話。

この、樹木の輪郭のこと、
何と言う?
確か、このことを文学的に表現する言葉があったと思う。
でも、どうしても思い出せない。

どなたか、知っている人がいたら、
是非、教えてください。

花ちらしの雨





花曇りだった朝から、
午後は花ちらしの雨に変わった。

この季節、天候は次々と変わり、
暖かだったり、一転、冷え冷えとしたりする。

ぱらぱら落ちる、雨よ、雨よ。
ぱらぱらぱらと、なぜ、落ちる?
乾いた土をやわらかにして、
きれいな花を咲かすため。

こんな、こどものための讃美歌があった。

雨は、恵み。

花をちらす、残酷な雨も、
恵み。

この雨の後、確実に、春は先へ進むからである。

花ちらし


昨日も、本当なら6時半で終わるはずの仕事が、
何やかんやで、職場を出たのはおおかた10時を回っていた。

そんな日の自転車での帰宅は、
普段より長く感じるのだけれど、
それでも、その45分間って意外に大切。

職場で火照った、心と体を、
適度に冷まして、
リフレッシュするための時間なのである。

最近、とても興味を感じながら眺めるのは、
夜(もちろん朝の通勤時も)、夕空に、ぼんやりと浮かぶ
樹木の輪郭。

太い幹に、いくつもの枝が伸び、
さらに、繊細な枝先が無数に別れている姿。
そして、今の季節、
同じ樹でも、日々姿が段々と大きくなっていくのが、
分かるのである。

昨夜は、少し風がきつく、
満開になった花を散らしていた。
花吹雪の中を、ゆったっりと自転車で走る時間。
一日の、大変だった思いに幕を引き、
まるで舞台の花道を歩くように。

***********************

そんな日の、今は翌朝である。

久しぶりに、たっぷりと眠り、
穏やかに迎えた朝は、
花曇り。

数日ぶりに、コーヒーをいれた。

ここのところ、コーヒーが美味しく感じられなかったのだが、
久しぶりに、今日は香りとともに味も堪能。
体調が戻って来た証拠なのかな。

そして、今日は10日ぶりに泳ぎに行こう。

こんな、普通の日の普通の生活が、
いちばん幸せなのである。

月曜日, 4月 03, 2006

20分で晩ごはん

某N◯Kで、以前やっていた料理番組のシリーズで、
20分間で、家族の晩ごはんの数品を、
ぱっぱっぱ!と手際よく作ってしまおうというのがあった。
編集無しで実際に、
お料理の先生が出てきて、それを実践するわけだ。

N◯Kのことだから、まあ、そつなく、
失敗だの失態だのないまま、無事に数品が、
完成するのだけれど、
なんとはなく、ドキドキしながら見てしまっていた。

出演するお料理の先生の中で、
ひときわ、異彩を放っていたのが、
ダニエラ・オージック先生。

イタリアの家庭料理を紹介する先生で、
別枠の料理番組でも、ニョッキを作ったり、
ライスサラダを作ったりなんかしていた。

わたし、Giovanniも、当たり前だが、
イタリアンが大好きで、
彼女の執筆した、料理本を、何冊も持っている。

いわゆる、シェフの作るイタリアンとは、
一線を画していて、
徹底的に、家庭の味、マンマの味、を追求している。

20分で晩ごはん、は、
今さら、取り立てて言われずとも、
日々実践していることでもある。

夜遅く帰宅した昨夜は、
メザシを焼いている間に、
『水菜と油揚げの煮いたん』を、ぱぱぱぱぱぁ〜と作って、
作り置きのキンピラとで3品の夕飯を、
10分で作った。



友人らを自宅に招くときに、
前日からダシをとったり、あらかじめマリネしておいたり、と、
手間やヒマをかけて、料理をするのは、楽しい。

でも、やはり日々の食事は、
いかに手早く作るかが勝負。

先の、ダニエラ先生は、
南イタリアの人らしく、20分の持ち時間を、
素早い調理に十分に使いつつも、余裕を見せ、
『それじゃ、歌でも唄いましょうねぇ』と、
ナポリ民謡か何かを唄いながら、
せっせと、フライパンの中のパスタソースを
焦がさぬようにかき混ぜていました。
余裕シャクシャクの勝負師、ダニエラ。



わたし、Giovanniは、
そんなダニエラに、夢中になった。

日曜日, 4月 02, 2006

カスピ海に捧ぐ


怖いくらいな静けさ。
音も立てずに、全く気がつかないうちに、
襲いかかって来るのではないのだろうか?

今年の花粉症は、一体どうなってるのだろう?

まあ、確かに、
目が痒かったり、鼻が詰まったり、
くしゃみが出っぱなしになったりする時もあるが、
全般的には、
花粉症であることを忘れることすらある。

数年前から、ほぼ毎日、
カスピ海ヨーグルトを食べている。
花粉症に効果があると言われているから、
これって、その効果なのかな?

人の心 -human heart


予てから考えていたことがある。

人の心の優しさが復活する、ということ。

人が、他人に対して優しくなる。
人が、自分以外の人に思いやりを表すようになる。


あるいは、
信頼。
あるいは、
和解。

人がここ数年、数十年、もしかすると、
発展と向上を目指し始めた数百年前から、
だんだんと失ってしまってきた、
優しさの心が、
今、復活しようとしているのではないだろうか?

For sometime, I have been thinking.

That the tenderness of human heart is again at our hands.

A man gives his tenderness and kindness to the other.
A woman shows her consideration to the other.

Or trusting heart?
Or being reconciled?

The heart of tenderness which
we have lost little by littel
since a few years ago,
since some tens years ago
or since many hundreads years ago where
we had started to be developed and improved ourselves
is now revived?

土曜日, 4月 01, 2006

ハスキーな夜

ハスキーヴォイスというのは、とても
チャーミングだと思う。
ハスキーだと、男でも、女でも、
とたんに、可愛い魅力を備えた人みたいに聞こえる。

ハスキー声で歌う、有名な歌手の真似なんかをして、
自分も、可愛い魅力を備えた人になった
気分を味わってみたり。

しかし、だ。
風邪だか、ゼンソクだか、何やら不穏な空気を含んだ、
ハスキーヴォイスは、どうなのだろう?

声が売りの仕事、というのには、語弊はあるが、
電話に出るのが仕事の半分くらいだから、
声が出にくかったり、出なかったり、
相手をお話しをしているときに、咳き込んでしまったりするのは、
困る。

故に、購入した。
10年位、面倒をみてもらっている、近所の薬局の
薬剤師さんに、現状を伝え、
彼からの幾つかの問診に答えたら、
こいつを薦められた。

養陰清肺シロップ。


成分は、
地黄/牡丹皮/芍薬/甘草/麦門冬/薄荷/玄参/貝母

喉よりも、胸が苦しくなる咳には、
これが一番だ、と、薦められた。
ただし、マズいよ、とも言われた。

良薬口に苦し、と言われているのだから、
やむを得ず、と、覚悟して飲んでみたが、
案外、大丈夫だった。
喉の奥深くで、微かに、薄荷(ハッカ)の清涼さを
感じる。

これで様子を見よう。
明日は、すっきりに違いない。

ハスキーヴォイスは魅力的だけれど、
どこぞのバーのママと間違えられては困る。
『いらっしゃ〜い!』

こんな声なりに、
忙しくしている内に、花は満開。
帰り道々、チャリ上花見に興じてみる。

香りの無い、花の香りに満ちている、夜道。
花の憂いを含んだ空気を、吸ってみるものの、
これ、喉に良いのかな?


金曜日, 3月 31, 2006

さようなら、代々木プール!



今日、3月31日で、代々木体育館プールの
一般への開放が、終了となった。

この代々木プールは、東京オリンピックの競技用プールの
サブプールとして使用され、
オリンピック後、一般市民のスポーツ活動振興のために、
開放されてきたプールである。

施設の老朽化や、財政的な問題もあり、
止むなく、という形で、急遽一般開放の中止が告示されたのは、
ほんの数週間前だった。

今後は、団体契約使用のみでの使用ということになるらしい。

縁あって、3年前から、ここのプールへ、週1、2回、
通うようになった。

最初は足の靭帯を切る怪我の後の、リハビリのため、
水中歩行をするために。

そして、その後、せっかくこれだけ通うのであるなら、
泳がない手はない、と、
水泳上達BOOKを片手に、クロール50m完泳を1ヶ月間の
目標にかかげて、励み、
1ヶ月で見事、目標を達成したのだった。
(それまで、泳げなかった)

その後、同様の公営プールを、何カ所か、
TPOに合わせて、利用するようになったのだが、
やはり、最初に泳ぐ事ができるようになった、
この代々木のプールが、一番泳ぎ易く、
圧倒的頻度で、通い続けたのだった。

まさに、水が合う、というのはこういうこと、
と、肌で感じるほど、
他のプールでは味わえない、水との一体感を、
感じる事のできるプールだった。

今日、その最期の日に、
お別れに行くつもりだったのだが、
数日来の体調の悪さ、そして、これ以上、
悪くなることは、あってはならない様々な状況。
ぐっと、こらえて、今日は自宅で、
その最期の時間午後9時に、
『ありがとうございました』と、呟いてみた。

そんな、お別れの日の夕飯は、

・ひよこ豆入り玄米ご飯
・けんちん汁
・いかなごの佃煮

今日は、プールとのお別れの余韻を感じつつ、
とっとと寝るので、
レシピは無し。
あしからず。




ちなみに、写真は、けんちん汁&いかなごの佃煮

木曜日, 3月 30, 2006

ginger tea



ラルシュ、を知ってるだろうか?

多分、知らないと思う。

詳細を書くには、今夜は遅いので、
また、別の機会にするが、
ラルシュ、というのは、
知的ハンディキャップのある人たちと、
一つの家族として、共同生活を行う、共同体。
ジャン・ヴァニエという人が始めて、
今、同じ生き方に賛同した人たちが
世界各地でそういう家での共同生活を共にしている。

そのラルシュの家の一つが
インドのマドゥライ(昔はマドラスと呼ばれていた、
マドラスチェックの、マドラス)にある。

随分昔になるが、マドラスに住んでいた頃、
その家の人たちと親しくしていた。

忙しい生活だったので、
そうも頻繁に、彼らを訪れることができたわけでも
なかったのだが、
機会があれば、バスで30分ほどかけて、
週末を一緒に過ごしたり、
夕飯をご馳走になりに行ったりした。

Peterという実年齢は結構なおじさんなのだが、
万年青年みたいな、住人がいた。
彼は、強いて言うと、
いわゆる、知恵おくれ、というのかなあ、
ある種の天才肌なのだけれど、
とてもスローな人生を送っているタイプで、
時折、黒いサングラスをかけて、
伊達を気取ったりするような奴だった。

彼、いわく、ginger teaは、
とてもhealthyな飲み物だ、ということである。
healthyだから、絶対に飲まなくてはダメなんだ!
と、よく力説していた。

ginger tea、つまり、ショウガ入り紅茶なのだが、
確かに、とても健康に良い。
紅茶に含まれるタンニンの殺菌作用に、
ショウガの体を温めたり、血行をよくする働き。
それを聞いただけでも、風邪に良さげではないですか!

今宵は、ginger teaを飲んで
寝る事にする。
明日は、絶対、元気になっている!
だって、Peterが言っていたもん。

花冷え>>>not possible to translate


ああ、何と、日本語とは美しいものか!
そう、思いませんか?

美しい、という表現が、抽象的過ぎるのであれば、
日本語が、こんなにも、
遷ろう季節を細やかに映し出す、繊細な言葉であることに、
驚きを感じませんか?

何をどう間違えたか、風邪をひいてしまいました。

風邪をひく原因になるような心当たりは、無いのだけれど、
ここのところ、マスクをしたり、鼻をシュンシュンと
鳴らしている人たちが、何人か回りにいたので、
その人たちから、頂いたのでしょうか?

そこへきて、今日の寒かったこと。
実は、朝から背中にカイロを貼っていました。

こういう季節の寒さを、
日本語では、『花冷え』と呼ぶのをご存知でしょうか?
日本語で、花、というとき、それは一般的には、桜を指しますね。

『花冷え』とは、
こういう桜の咲くほど暖かくなった時期に、
寒冷前線が悪戯をし、寒さが戻る、
まさに、今日のような日のことを言います。

寒の戻り、が、こういう現象の総称と思われるけれど、
類似した表現として、『彼岸の小鳥殺し』というのもあります。
これは、春のお彼岸の頃に暖かくなり、
さえずり始めた小鳥を、急な寒波が襲って、
小鳥が死んでしまうような寒い日のことを表しています。

フランスにいた頃、
春先、チャペルの軒先で、
日本で言う、シジュウカラのような小鳥が
朝、死んで固くなっていたのを見つける事がありました。

ああ、彼岸の小鳥殺しだ、と、思いつつも、
それを誰かに告げようとして、相応しい言葉を考えてみましたが、
翻訳不可能で、言葉を呑み込まざるを得ない、
そんなことがあったのを、この季節になると、
思い出します。

わたし、Giovanniの、ここ数日の風邪ひきを、
ご心配くださるみなさん、ありがとうございます。
その、暖かな気持ちのぬくもりが、
きっとこの体を癒し、明日は元気な朝を
迎える事ができることと、信じております。

The worst condition - 最悪のコンディション


The coffee didn't taste good, this morning.
It could be very much according to my health condition.

As they know I am a big coffee drinker.
Early morning, breakfast, coffee break, after lunch,
afternoon coffee, after supper and before going to bed...
At any time, I do drink coffee and they are so nice.

But when I am not very well,
the coffee becomes something else.

I tried to have a cup of coffee this morning
so that I could check wheather it is nice or not,
and wheather I am fine or not.

The result was that I am not so....

If you don't feel like taking(eating or drinking) something,
then do not!
This could be a sign from your body.
Without saying aloud, your body sends you
such a sign.

Listen to your body!

水曜日, 3月 29, 2006

鰯の梅干し煮


風邪のときこそ、まともな食事をしたいので、
今宵の夕食は、

小豆入り玄米がゆ
菜花のおしたし
鰯の梅干し煮

というようなことになった。

鰯は、頭とおなかを取ってあるのが
5尾で200円くらいだったので、
お買い得!だった。

作り方を簡単に

1 鍋に焼酎(日本酒でも)を適宜入れ、沸騰させながら
  アルコール分を飛ばす。
2 十分にアルコールが飛んだら、水を入れ、
  そこに、重ならないよう鰯を並べる。
3 ショウガ皮つきのまま、5mmくらいにスライスし、
  鍋に入れ、最初は水煮のようにして、鰯を煮る。
4 沸騰して十分鰯に火が通ったら、塩少々、醤油を入れ、
  梅干しを4、5個入れて、弱火で煮続ける。

*途中、あくを取ったり、調味料を入れた後は、落としぶたをしたり。
努力は惜しまぬように
*調味料を後で入れるのは、最初から塩分を入れて煮ると、鰯の身が
固くなるから
*鰯と梅干しに塩分があるので、調味料を入れるときは、薄めの頼りない
くらいの味付けにする

食べるときは、あらためて針ショウガを添えたり、
手をかける気力があるなら、煮た鰯を、軽く魚焼きロースターなどで、
あぶり、熱くした煮汁をかけると、さらに美味い。

いつも言うようだけど、
色々と手の込んだ調理というのは、実は必要ない。
ただ、少しだけ、手間をかけるとか、
良い塩梅をするとか、
そういうことが大切なのだと思う。

美味しいものを食べる、ということに
主眼を置くのではない。
しかし、正しい方法で、素直な気持ちで料理をすれば、
それは、自然と美味しいものになる、ということなのだよ。

火曜日, 3月 28, 2006

Vin chaud



今から12、3年前、インドネシアに
住んでいたことがありました。

東南アジアの経済が、急激に上向いている頃で
首都ジャカルタも、高層の建物が
どんどん立ち並び始めていた頃。

ある日、確か誰かを訪問するために、
住所の書かれた紙切れ一枚を頼りに、
ジャカルタの都心を歩いていました。

開発が進んでいる町中にも、
時折、幾世代も前と変わらないような、
旧い市街が残っていて、
白い砂ぼこりが、もうもうと上がっているような、
どぶ川の臭いがたまらないような、
そんな街角がありました。

そんな街角に、子供を布でだっこ
(最近、日本の子育て雑誌などにも
取り上げられている、母体の前に、
首からぶらさげた布のゆりかごで
だっこするようなスタイル)
しながら、物売りをする女性の姿がありました。

何を売っていたかというと、
ビンに詰めた、茶色い液体。
茶色、というよりは、
限りなく、どぶ川の水の色のように、
よどんだ、茶とも緑とも、灰色とも言えない
液体でした。

後で分かったのは、その液体が、
いわゆる、漢方というのか、薬草のエキスで、
健康のために飲んだり、病後の滋養強壮のために
飲んだりするものだ、ということ。
トライするチャンスは、無くは無かったけれど、
結局、勇気はありませんでした。

インドでは、ちょっとした傷口からばい菌が入り、
熱が下がらなくなったことがありました。
やむを得ず、医者に診てもらったところ、
抗生物質を出され、
あまりのつらさに、仕方なく服用したところ、
口中が、発疹だらけになりました。

アーユルヴェーダの医者のところにに、
駆け込んだら、
舌と、脈をチェックされ、
これを飲みなさい、と、渡されたのが
得体の知れない白い丸薬でした。

飲み始めて、3日もしたら、
熱もウソのように下がりました。

ものを食べたり飲んだりするということは、
味を楽しむとか、美味さを堪能する、ということに
目的があるのでは無いのです。

体と心を健康に保つためのもの。
体と心が健康で、
その土地に出来た季節の野菜を食べていれば
何でもマズいはずはない。
これが、今、はやりのマクロビオティックの
精神だったりもします。

風邪をひいて、
体温が上がらない。
手足が冷たくてしょうがないので、
飲んでいます。
怪しい液体を。
色は、バーガンディーな感じ。

Burgundyは、フランスのBourgogne 地方産の
ワインの総称で、
濃いいワインレッドを、burgundy色、
などと呼ぶ。

日本の風邪っぴきには、
卵酒なるものが効くと言うように、
フランスでは、vin chaudを飲んで
体を温めたりします。

ちなみに、vin chaudのレシピはこちらが本場?
http://www.supertoinette.com/recettes/vin_chaud_in_de.htm


わが家のvin chaudは、こんな感じです。

1 鍋に赤ワインを入れ、火にかける
2 沸騰してきたら、鍋を少し傾けて鍋に火を入れ、アルコール分を
  飛ばす(火災報知器/ガス探知機に注意!)
3 ワインと、同量のリンゴジュース(100%のもの)を入れ、
  強火で温め、沸騰させる
4 お好みで、シナモンパウダーや、スライスしたオレンジ、りんごなどを
  一緒に煮込むと、より本格的

こんな飲み物をぐーっと一杯ひっかけて、
とっとと、寝てしまいましょう。

さくら、さくら




日本人が桜咲く春を愛でるように、
ヨーロッパの人たちも、花に溢れる春を待ちわび、
春の訪れを謳歌します。

ヨーロッパに、先ず最初に春を告げるのは、
南風が運んで来る、アーモンドの花の花粉。
ポルトガルやスペインで真っ先に咲く、
アーモンドの花粉が、遠く、フランスやドイツにまで
暖かな湿り気のある風とともに、
飛ばされてくる。

それによって、人々は、
長く暗かった冬が終わりを告げようとしていることを
知らされるのである。

日本人も、ヨーロッパ人も、もちろん、他の大陸に住む人々も、
何故、春を待ちわびるのだろうか?

恐らく、人間にも、未だ動物的な遺伝子の感覚が残っていて、
冬=寒く厳しく命を脅かすもの
春=命の再生を約束するもの
という認識を、
本能が感じ取るのではないだろうか?

桜が咲くと、気分がウキウキするのは、
そういう感覚が働いている証拠。

ヨーロッパでキリスト教が発展しながら、
イースター(キリストの復活を祝う祭)を、
春の暦に組み入れたのも、
こういう感覚と無関係ではないように思う。

毎年、桜の咲く季節は、職場が一番忙しい時期で、
ここ数年、花見らしい花見はしていないも同然。
(昨年は、少なからず花の下に宴を設けましたが
色々と珍事もあり、最後は酔いふっとんだ。)

わが家の近くに、見るからに老木と呼べる、
桜の木が一本。
コンビニの前の歩道に。

コンビニで買った缶ビールで、
毎年一人ささやかな花見をする。
その老木の下で。

そんなことでも、
何やら、気分はウキウキになる。

春は、そんな季節。

木曜日, 3月 23, 2006

Around the round table - 丸いテーブルを囲めば


もう、かれこれ20年くらい、
わたし、Giovanniは、自分の”丸いテーブル”を探し求めています。

20年前に、生活をしていた、
フランスのcommunauteのダイニングテーブルの中に、
丸いテーブルが幾つもあったのだけれど、
いつか自分も、こんな丸いテーブルのある生活をしたい、
と、Sister Tessaにもらしたところ、
Oh, Giovanni! I am sure that you will find
your own round table one day!
と、彼女はキッパリと、言ったのでした。

あれ以来、彼女の言葉を信じる、その根拠も知らないまま、
ずっと、変わらずに、自分自身の”丸いテーブル”を
わたし、Giovanniは、探し求めているのです。

丸いテーブルって、何なんだろう?

例えば、相互の利害関係に大きな緊張感を持った国々が、
何かの交渉ごとを行う場合、
丸いテーブルを囲むという光景を、
みなさんは、観た事ないでしょうか?

日本の、上座、下座というような、位置関係による
人間関係のランク付けのようなものって、
世界の様々な文化の中にもあるのではないかと思うのです。

そういうランク付けを、完全にではないにしろ、
かなり、無視することのできる方法が、
丸いテーブルを囲む、ということ。

四角いテーブルだと、どうしても、
『ああん、何で俺はこんな角っこなんだよぉ!』のような、
不公平感が生まれてしまうけれど、
丸いと、何だかそれだけで、円満な感覚を覚えませんかね?

フランス時代、Le Puitsー井戸という意味ーという名前のついた、
可愛い家の管理人をしていたことがあります。
そこは、communauteの宿舎になっていて、
1週間単位で、20人程度の人が宿泊する施設でした。

その家のダイニングテーブルは、大きな木製の丸いテーブルで、
随分古い物のようでした。
その日の宿泊者人数に合わせて、食事前に
テーブルセッティングをするのですが、
20人分をきっちりセットして、
皆が席に着いて食事を始めようとするころに、
飛び入りや、たった今アメリカから到着、南アフリカから到着、
というような人たちがやってきたりして、
慌てて、椅子を足したり、スープ用の皿を取り出したり。

そういう時でも、丸いテーブルであれば、みんなが少しずつ、
自分とテーブルの距離を遠くするようにすれば、
難なくみんなでテーブルを囲む事ができるのでした。

ともに食卓を囲む、という事の大切さを、
現代に生きるわたしたちは、どんどん忘れてしまっていないでしょうか?

個人の意志や、志向が尊重されることは、
それはそれで意義のあることです。

しかし、一つの食卓を囲み、
同じ皿から同じ食べ物を分け合って食する、という、
人間の最もシンプルな、共同体としての行為を、
わたしたちは、急速に失ってきているということに、
危惧を感じる事すら無いのでしょうか?

一つの家族ですら、
親子が別に食事をするとか、兄弟が別の物を食べるとか。
家庭における食卓も、
今や人間社会の最も基本的な共同体ユニットである家族にあっての
役割を果たす事がなくなってしまったのでしょうか?

みんなで、丸いテーブルを囲むということ。
わたし、Giovanniは、これを求めているのです。

追伸 ちなみに画像は、Giovanniがかつて住んでいた村です。

by Giovanni

水曜日, 3月 22, 2006

Sono Giovanni - Giovanniという名前


How come you call yourself, "Giovanni"?
People often ask me this question.

It is because my birthday is 27th December which is the feast day
for San Giovanni Evangelista.

According to my father, he wanted name me as John but
it is not a common name in Japan.
So then he named me as Jun which sounds very similar to John.

When I was in Europe, I often explained that my name could be
John in England, Jean in France and Giovanni in Italia!

よく、『何で、Giovanniなの?』と尋ねられます。
何故かというと、僕の誕生日が、12月27日だから。
その日は、福音記者聖ジョヴァンニの祭日だからなのです。

父いはく、本当は、ジョンと名付けたかったそうですが、
日本では、あまり一般的な名前ではないので、
音が似ている、ジュンにした、ということです。

僕がヨーロッパにいた頃、よく、イギリスではジョン、
フランスではジャン、そしてイタリアではジョヴァンニなのだよ、
と、説明したものです。

I have not abandoned it.... 見捨ててたわけじゃない


見捨ててたわけじゃないんだけど、最初の日記をUPしたきりにしてた、ブログ。

きちんと、毎日、または、ある程度のまとまった形で、
日記を書くことができるかなぁ、と、思いあぐねているうちに、
放ったらかしになっていただけなのだ。

何か、思ったり感じたり、はたまた見たり聞いたりしたことを、
きちんと、正しい、自分の言葉で、綴りたいとは、
ずっと思っていたのだけれど、
そろそろ、そのタイミングが来たような気がする。

むろん、楽しい事嬉しい事、ためになるお話や食べ物がらみのうんちくなど、
今までのGiovanniのスタイルは、
ある程度変わらないとは思う。

でも、ただそれだけでは終わらないはず。
怒るし、文句も言う。
痛い事や苦言もはく。

今までよりは、もう少し、
見えてくるのではないかなぁ、Giovanniが。

今日の日記、としては、
友人のHちゃんのお店が昨日OPENしたので、
今日、行ってきた。

店名にいつの間にか『代官山』ってついてて、
商魂のたくましさに脱帽!
ある意味、とにかくOPENしました!という、
これから、どんどん手を加えて、色々な姿に
変身して行く可能性を秘めたお店だなぁ、と、
思った次第。
http://room-j.jp/

春がどんどん、近づいて来る。
今年は、イースター(復活祭)が、遅い(4月16日)ので、
本当の意味での春は、まだ遠い感じがするけれど、
季節は着々と、春の気配を増している。