水曜日, 9月 27, 2006

machi no akari

♪街の灯りが、とても奇麗ね、ヨコハマ
そんな唄が、昔あったとか、なかったとか?
 *ありました。sung by いしだあゆみ

夏が終ったのと、仕事が忙しいのとで、
めっきり泳ぐ距離が減ってしまって、体が鈍ってる。
今日は、夕方から泳ぎに行ったのだけれど、
ちょうど夕暮れの終わり、今にも夜が始まる、という、
タイミングだったので、
何枚か写真を撮ってみた。

















またもや、シルエット。
ほとんど、闇に近い、
それでいて、未だほんのりと明るさを残した空に、
浮かぶ、
ビルや杜の木や家並み。

ひと泳ぎした後、同じ道を戻りつつ、
今度は、街の灯りを写してみた。


木曜日, 9月 21, 2006

失うものを惜しむ心

人気絶頂の芸能人が、引退を宣言したりすると、
とたんにみんながソワソワして、フアンになったりする。
今まで見向きもされなかった事象や事物が、
消えて無くなる事が判明すると、
その名残を惜しむ人が殺到したりする。

失うものを惜しむ心、それは、好奇心なのか?
それとも、優しい惜別の思いなのか?

吉祥寺と言えば、井の頭公園か、
ここ、(またはその両方)を、思い出すと言う人も
少なく無いはず。

















いせや総本店が、建物の老朽化により、
店を畳む事になった。
(とは言え、跡地に高層ビルを建てて、
そこで商売は再開する予定だし、
公園口の店は、とりあえず健在だ)

新聞や、ブログのネタになって、
たくさん出回っているから、
あえて多くを書く必要は無いだろうけど、
通勤路でもあるので、ちょっと、写真を撮ってみた。

仕事柄よく利用する郵便局が、
路地を挟んで向かいにあるので、
昼間、しばしば油で黒光りするカウンターから、
もうもうと焼き鳥を焼く煙をあげている横を、
通り抜けるのだが、
昼の日の高い時間から、コップ酒に焼き鳥で、
いい頃合いになっているお父さんなんかが、
ゴロゴロしている。

夜も、平日ですら、
カウンターをはみ出した会社帰りのお兄ちゃんたちが、
歩道に広がりながら、串を横に引いていたりする。

あと何日で閉店してしまうのか、知らないが、
もうすぐ失われる、庶民のオアシスに別れを告げようと、
今宵は、数メートルの行列に並びながら、
煙の洗礼を受けるのを待つ人たちがいた。

神戸にあった、コスモポリタン製菓が廃業したことを、
先日、知った。
チョコレートやキャンディーが、
きれいな硝子のショーケースに、宝石のように並んだその店は、
喫茶店でも、レストランでもない、
独特なスタイルのティールームを兼ね備えており、
三宮での買い物の途中に、
ちょっと一息つくのには、うってつけの店だった。

ロシアンティーや、ホッとチョコレートや、
名物のピロシキを目当てに、入った、懐かしいあの店も、
世の潮流について行く事ができず何十年かの歴史に
幕を下ろしたのであった。

友人が、引っ越しをした。
始めての一人暮らしだそうだ。
ワクワクの一人暮らし。
と、同時に、彼はきっと何かを失って、
ちょっと、悲しくなったり寂しくなったりしながら、
一つ、大人になるんだろう。

失ったもの、失おうとしているものは、
いつも、とても美しいものだ。

火曜日, 9月 19, 2006

雲が語る

雲は、季節を知らせてくれる。
春の霞、夏の入道。

そして、秋口にはこんな雲が、
あぁ、秋なのだなぁ、と、思わせてくれる。

月曜日, 9月 18, 2006

軽はずみ

ある意味、身内の事を批判するような気分である。

ローマ法王ベネディクト16世の発言が、
世界的に大きな波紋を及ぼしている。

発言の詳細などは、こちらなどを
見てくだされば、良いのですが。

今日は、ついに、この発言の波紋による犠牲者が。
ソマリヤの修道女が、
法王の発言に反発するイスラム教徒に殺害された。

言って良い事、言ってはいけない事、
という選択肢と同時に、
物事には、言って良い時、いけない時、という
タイミングを選ぶ選択肢があるということを、
彼は気がつかなかったのだろうか?

前任のヨハネパウロ2世は、
対話を大切にして、世界を駆け巡り、
多くの信頼の絆を築いてこられた法王だった。

その彼の永年の努力を、
今回の発言が、無にしてしまうことは、
無いだろうか?

インドのカルカッタや、
インドネシアのジャカルタで、
わたし、Giovanniが出会ったモスリムたちは、
穏やかで、紳士的な人たちばかりだった。
バングラデッシュのダッカで、
モスクの礼拝を訪ねた時、
外国人であるわたしを見つけ、
椅子を運んでくれた人たち。
彼らの習慣では、モスク内では床にひざまずくのに。

テロや、過激な事を行うのは、
極めて、一部の人たちだと、わたしは信じている。

同じ人間であって、
同じ命の息吹を受けて生きる人間が、
何故、相手を攻撃したり、相手を否定したりして、
生きていかなければいけないのだろう?

少なくとも、わたし、Giovanniは、
人間の信頼と和解のために、これからも生きて行きたいと、
心から願っている。

こちらは、今回の発言者ではなく、
世界と対話した、ヨハネパウロ2世

日曜日, 9月 17, 2006

シルエット

いつだったか、
ここで、木のシルエットの話を書いたような、
記憶がある。

夕方の光に浮かぶ、木のシルエットが好き、
というような内容で、
その木のシルエットを表現する文学的な言葉があるはずだけれど、
思い出せない、みたいに結んだような覚えがある。

相変わらず、その言葉を見つけ出す事はできないでいる。

木のシルエットと同じ様に好きなのが、これ。












青空に映える、鉄の建造物。
明るい空色と、剛健な黒いシルエットの
コントラストがたまらない。

木の影然り、
そのものの本来の姿がくっきり浮かび上がる、
シルエットが大好きである。











わたし、Giovanniのシルエットは、
わたし本来の姿を、映し出しているのだろうか?

金曜日, 9月 15, 2006

どうしても、vin rouge

夏が去ってったら、
わたし、Giovannih、突然、ビールとおさらば。
(とは言っても、飲んでますが)

今日はどうしても赤ワインな気分だった。

















酒屋やデパートに行けば、
ごくりと生唾の出そうになる、美味しそうな瓶が
並んでるけど、
普段飲むなら、スーパーでも買える、
ハウスワインで十分。

徹夜仕事明けで、
テンションが上がってたから、
少しほろ酔い程度に飲んで、眠りたかったのだ。

赤ワインって、心地よい眠りには、
わたし、Giovanniの場合、最適なのだ。

28時間、一睡もせずに働いて、
どうしても、必要だった、vin rouge。

水曜日, 9月 13, 2006

腹をくくる

腹をくくるって、どこを?
どうやって?

仕方無い。やるか!
夏はどんどんと大きな足音をたてて、
遠くへ!遠くへ!

9月いっぱいは、何とか夏をひきずってやろう。
ショートパンツとビーサンでやり通してやろう。
てなこと、考えてたのだが、
今日は、そんなわたし、Giovanniを、
震え上がらせるような肌寒さ!

分かったよ。もう、終わりなんだよね?
もう、あとは無いんだね?

というところで、白い食器たち。











何故ここで白い食器かと、お思いかな?
別に、深い理由は無いのだけれど、
腹をくくって、
このブログをちゃーんと再開(いや止めてたわけぢゃない)
しなくてはと思ってる、わたし、Giovanni。

借りて来たデジカメで、
試しに撮ってみたら、割と素敵なできばえかな、と、思って。

日常の何でも無い当たり前の出来事を、
白い器に見立てれば、
人との出会いや、物との出会いは、
器を彩る、食材や料理だったりするのかな?

ま、ぼちぼちと行きますので、
ゆっくりと、末永く、付いて来てくだされば幸い。

木曜日, 9月 07, 2006

日本の行方

日本はどこへ行くのだろう?

いつから、こんなに毎日毎日、
罪なき人たちが、幼な子らが、
いとも簡単に命を奪われる国に、
日本は、
なってしまったのだろうか?

思いやりや、優しさや、
気遣いや、気配りは、
日本から、
消えて無くなってしまったのだろうか?

正義やモラルを訴える、
ちょっとした勇気を、
この国のわたしたちは、
どこへ置いてきてしまったのだろうか?

日曜日, 9月 03, 2006

夏の終わり


ああぁ、夏が終ってしまった。
もちろん、残暑なんかもあるだろうから、
夏を彷彿とさせる日も、まだまだあるとは思うが、
やっぱり本当の夏は、もう足音を鳴らしながら
どんどん遠くへ離れている。

今日は、今年の夏の休日をほとんど過ごした
某屋外プールが、最終日だった。

感傷にひたっている場合では無いほど、
水と空気と日差しのコンディションは完璧で、
今日も泳ぎに泳いだ、多分、5000m!

それでも、3時も過ぎると日陰が多くなり、
水面に顔を出したら、トンボが飛んでいたりと、
ここでもやっぱり、
夏が終る事をひしひしと感じざるを得なかった。

今年は、梅雨が長かったので、
あっという間に、夏が過ぎ去った感がある。
ちょっとヨーロッパの夏を思い出す。

この夏の成果は、
泳いだ距離計ざっと、50Km。
よく日に焼け、肩の筋肉は発達。
ウエストもいい具合に締ったね。

さよなら、夏!
a bientot!