日曜日, 4月 08, 2007

雑記 : 今日、この佳き日

今朝は、いつもより早く目覚ましが鳴った。
6時には、出かけなくてはならなかったからだ。
7時半のミサに出るためには、
6時半までには電車に乗らなくては間に合わないので、
少し余裕を持って家を出たかったのだ。

今日は、復活祭、そう、イースターである。
クリスマスに比べて、その認知度は低いようだが、
キリスト教では、むしろクリスマスよりも大切な意味のある、
キリストの御復活を祝う、祝祭日である。

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人間の罪を一手に担って、
十字架上の死を拒むことなく、亡くなったキリストは、
彼を慕う者たちの手によって、手厚く葬られた。
彼の死後3日目にあたる日曜日の早朝、
マグダラのマリアが、その墓を訪れると、
墓をふさぐための石が取り除かれ、
中にあるはずの、キリストの亡がらが無くなっていた。
敬愛する師の遺体が、渾然と消えている様に、呆然とするマリアに、
誰を探しているのか?と、声をかけたのは、
他でもない、復活されたキリスト自身だった。

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聖書のこの記述に倣って、
復活祭の朝は、早朝のミサに出るのが、
わたし、Giovanniの習慣になっている。

今朝は、ミサの後、町を歩いてみた。
まだ、花の散り切っていない桜並木や、東京タワー、
六本木近辺の新しい商業施設、などを見物しながら
(さながらお上りさんだ!)
渋谷へ出た。

途中、いくつかのお寺の前で、気づいたのだが、
今日は、花祭りだ。
そう、お釈迦様のお誕生日。

キリスト教はイースターで、仏教では花祭り、と、
なんとめでたい、佳き日だろう!


渋谷から、昨日雨で泊めて帰った自転車を取りに、
職場近辺の駐輪場へ。
そこから、普段は通ったことのない道を、
のんびり走りながら帰宅。



イースターの夕方は、
永遠の命の象徴として、イースターには欠かせない、
卵の料理を作って、
ワインを飲んでゴロゴロ。

本当に、佳き日。

月曜日, 4月 02, 2007

桜、桜。


桜が咲く頃になると、何故こうも気持ちが騒ぐのだろうか?
誰もが、そわそわして、普段は、花のことなんか、
全く気にもしていないような人たちでさえ、
この特別な『花』については、やたら、敏感になったりするのが、
何だか微笑ましい。

今年は、気象庁の開花予想のデータ入力ミスという、
世界でも稀な花見という古典的な風習とは、
まるでかけ離れたような、可笑しなハプニングもあり、
随分早くから咲くと思われていたのに、
ちょっと後倒しになったり、
逆に、もう少し先だと思っていたのに、
思ったより、やはり早く咲き始めたりしたので、
それに翻弄され、一喜一憂した人たちも、たくさんいただろう。

わたし、Giovanniも、桜は大好きだ。
その花の一つ一つ、というよりは、
むしろ、多くの人が恐らくそうであるように、
固まりとしての桜に、多いに魅力を感じるのである。

未だ、足を運んだことはないが、
奈良吉野の山なみに、何千もの桜の木が、
白から濃い桜色まで、様々なグラデーションで、
あたかも山にかかった霞のように見える様は、
(映像や、写真でしか見たことはないが)
日本の四季の風景の中でも、
もっとも、日本の魂のようなものを揺さぶるシーンの一つ、
そう言っても過言ではないように思う。

その反面、日常生活の中で、
思いもかけないタイミングで、思いもかけない場所に、
大きな桜の古木などを発見し、
ぼんやりと霞のように印象に残るというよりは、
もっと間近に、その存在をはっきりと感じるような、
雄々しさを覚えるようなこともある。

桜の木の下で、宴に興じる人たち。
今年の桜はいつだろう?花見はいつにしよう?と、
ソワソワしていたはずであるが、
いざ、その木の下に席を設けると、桜の花の存在などすっかり忘れ、
上を見上げることもせず、
飲めや歌えの、大騒ぎになるのが、常のようだ。

わたし、Giovanni、の花見は、
自転車での帰宅途中、毎年、
あの角を曲がると立派な桜の木がある、と、覚えておいて、
いつもの道を少し遠回りしてみたりする、モバイル花見が主である。
どの町にも、桜街道、とか、桜並木、などと呼ばれる道があって、
夜の闇に、少しライトで照らされて、白く浮かび上がる姿は、
昼間の桜とはまた違った魅力がある。

もう一つ、
毎年、必ず訪なうのは、
近所のコンビニの前にある、見るからに老いた木で、
樹齢を重ねるままに、
無駄な枝を自らそぎ落としたかのような、シンプルな姿。
立派な体躯には、
ややアンバランスとも思われる程度にしか、花をつけないのだが、
何か、優しいだけではない、逞しさのような印象を与えてくれる木で、
コンビニで買った缶ビールを片手に、
今年もまた来ましたよ、と、ちょっと目配せをしながら、
乾杯のポーズをしてみせると、
心無しか、嬉しそうな表情を見せてくれる。

フランス時代、5月になると一斉に白い花を咲かせる林檎の木の
ピュアな美しさに目を奪われた。
インドでは、年中、色鮮やかな赤や黄色の花をつける木々が、
至るところで目を楽しませてくれた。
花水木の並木、マロニエの街路樹、ブーゲンビリアやハイビスカスの垣根・・・
どの土地に咲く、木の花たちも、
それぞれに、その土地で最も美しい姿を見せてくれるけれど、
日本の桜の、この土地にこそこの姿形と色が生まれた、と、思わせる、
キャラクターと土地の絶妙なコンビネーションは、
日本という土地の、かけがえのない美の財産だと言いたい。

いつか、わたし、Giovanniも、
雅な人たちが、みな薄衣をまとって打ち揃い、
奥深い山を静かにそぞろ歩くような吉野の桜の群生の様子を、
見に行ってみたいと思うが、
今年は、とりあえず、いつもの老木の下で、
静かに『乾杯』と、ビールの缶を、掲げるとしよう。