金曜日, 10月 27, 2006

色気づく



















”Ciao! Giovannisです!”と、このブログを始めて、
もう、8ヶ月にもなるんだぁ!
シンプル、ミニマル、と、色々な方々に、
お褒めをいただいて、
ここまで、やってきたのである。

このブログの、テンプレートを選ぶ時に、
一番、シンプルなものを選んだのだけれど、
同じフォーマットで、色違いというのもあった。
でも、この全体がグレーなところが
自分にぴったりな感じがして、これにしたのである。
ときどき、ここでも紹介する、
”あまいものとあまくないもの”の、
cavacavienさんの、
ゆるいながらも貪欲な、
ご自分のブログへのパッションに、感化されて、
flickerとか、
”BOOKLOG”とか、
真似っこさせてもらったり!
随分、最初の頃に比べて、盛りだくさんになってきたかな?

寒さが、日に日に増して来て、
山間部では、紅葉の便りもちらほら。
と、いうこともありまして、ちょっと、冒険!
うちのブログも、ちょっとにしてみようかな、と。
ぼちぼちやってみるので、
ご意見、ご感想など、お聞かせくださいまし!

木曜日, 10月 26, 2006

プチ・旅行 ー甲府へー

仕事がらみで、2連休を山梨で過ごした。

仕事がらみ、というのは、99%の建て前で、
実際は、仕事なんかしていない。
現地にある、店で長年働く女性スタッフさんと、
随分前から知り合いなのに、
ちゃんと会ってお話ししたこともなかったから、
じゃあ、今度遊びに行きますよ、という約束を、
果たすのがいちばんの目的だった。

夕方から、彼女と、
これまた昔から知っている、その店の店長と3人で、
座敷を設けて、酒と肴と、会社への愚痴やら何やらを、
共にしつつ、3、4時間も過ごし、
彼女に別れを告げた後は、そのまま店長宅へ転がりこんだ。

積もる話。
なんで、◯◯と別れたのさ?
うちの会社、ホントに、××だよなー。
などなど・・・

翌朝は、鳴る目覚ましを横目に、
ゆっくりと目覚め、
店長君の車で、向かうは、ほったらかし温泉。
甲府の町から、山へ山へと車は走る。
途中、ワイナリーのぶどう畑の横を通過した時には、
昔住んでいたブルゴーニュの村を思い出したり。


















到着したほったらかし温泉は、
眼下に甲府盆地を見下ろす、海抜700mにある温泉。
恐らく、元々は、地元の人たちのみ知る、
秘湯だったに違いない。
近年、近県や、遠方からわざわざこの湯を浴びに、
人々が訪れるようになって、
あまりのほったらかしぶりに、
金品が盗難に遭うなどという不幸な事件もあったため、
ロッカーなどを設置した、脱衣場ができたようだが、
基本的には、設備という設備もない、
自然の中の風呂である。

湯船に浸かると、視界が低くなり、
見えるのは、白いススキの穂と、広く青い空ばかり。
ぬるい湯は、じわじわと体を温め、
気がつくとポカポカ、そして汗がじんわり。
体の疲れも、心の疲れも、
どんどん、体から流れて行くような、爽快感だ!

風呂上がりはお決まりの、コーヒー牛乳で喉を潤し、
次に向かうは・・・

着いたのは、甲州名物ほうとうが名物の店。
熱々の鉄鍋に、味噌と南瓜で黄色みががった汁に、
素朴な、不揃いな麺が、たっぷり。
野菜の旨い出汁が効いた、満足の味だった。


















川口湖畔を抜け、富士吉田に到着。
ここでも、別の店を訪ね、懐かしい人たちと再会。

帰りは、電車でのんびりと、
缶ビールを1本空けつつ、岐路についた。

たかだか、一日の、ちょっとそこまでの旅だったが、
心の疲れが癒された。
大きな自然の懐に抱かれ、親交の深い人たちと語り、
素朴な旨い物を食い・・・

こんなプチ・旅行を、もっとしよう。
ただただ、働くばかりの毎日じゃ、
つまらないよ、と、
わたし、Giovanniは、自分に言い聞かせながら、
この大都会、東京へと、
帰ってきたのだった!

日曜日, 10月 22, 2006

古傷の痛み
























プールで週2回泳いでいるせいもあるのか、
足の踵に、ひび割れが出来てしまう。
ぱっくりと、口を開けた傷になって、
歩くのにも、ヒーヒーと言ったりすることになる。

新しい、生々しい傷の痛みよりも、
もっと痛いのは、
古傷の痛みだ。

3年半前、自転車での通勤中に、怪我をした。
左膝の靭帯を、2本も損ねてしまった。
しかし、整形外科の先生も、
感心なさるくらいに、短時間で回復し、
歩くのにも、少々走るのにも、
全くと言って良いほど、支障が無い生活を、
今は、送る事ができている。

自転車で怪我をしたくせに、
脚が回復すると、またもや、自転車通勤を開始。
(しかも現在の通勤距離は、当時の3倍以上)
健脚ぶりを、みんなに見せつけたりしている。

ところが、その左膝が、
何の前触れも無く、そして、何の脈略も無く、
突然、ズキズキと痛むことがある。
そういう時は、階段の上り降りが、
辛かったりするくらいに、だ。

完治していると信じていたこの膝が、
突如として、痛むのには、
理由があるような気がする。
あれから、3年経っているのに、
未だに、電話の度に、
『日が短くなってきたから、自転車、
気をつけなさいよ』などと、
口酸っぱく言う、母のようなものだ。

膝に痛みを感じる時、
必ず、あの通勤中の怪我を思い出す。
そして、自転車に乗る時に、
気をつけなきゃ、と、改めて思うのだ。

古い傷は、色々な事を思い出させてくれる。
若い頃の、勢い余って作った傷や、
理由も告げられずに、信じていた人の裏切りで、
心に深く負った傷も、
今も時折、激しく疼いては、
色々な事を、今もう一度、
思い出させてくれるのである。

二度あることは・・・

戒律や教義に厳格なタイプの宗教宗派では、
そういう行為や、そういうものを携帯することを
禁じているケースが多いと思うのだが、
いわゆる、土着の信心信仰において、
おまじないやお守りの類いというのは、
絶大なる支持を得ている行為、ものではないかと思う。

わたし、Giovanniも、旅をしていた時代に、
いつもポケットには、
小さなマリア様のイコンを忍ばせていたが、
人によっては、小さな十字架だったり、水晶のお数珠だったり、
まぁ、人それぞれに、お守りとして携帯するものは、
色々あるようだ。

キリスト教には、守護聖人という考え方を持つ宗派がある。
自分を守ってくれる聖人のことで、
自分の誕生日に因んだ聖人などを、守護聖人と見なす。
個人を守ってくれる、という以外に、
◯◯の守護聖人、
例えば、航海を守ってくれる聖人、のようなパターンもある。
航海の守護聖人は、ちなみに、バリの聖ニコラス。
彼は、何と、サンタクロースの原型でもある。
あるいは、
落とし物や、失くし物をしたら、
聖アントニーに願掛けをしなさい、と、言われたりする、
聖人なども存在する。

わたし、Giovanni、実は、数日前、大切な物を紛失した。
その失くした物、というのが、小さなお守りだった。
お守りと言っても、
自分が勝手に、それをお守り代わりにして、持っているというだけ。
アルミでできた、コイン状のもので、
表面に、『神の子羊』がレリーフされているものだ。

雑貨屋で200円位で買ったものだが、
今では、
そのレリーフも摩滅し、ツルツルになってしまっていたのだけれど、
この数年、小銭入れの中に入れて、大切に持っていた。
  
  *ちょっと恋愛話も絡むので、余計に大切なもの
  だったのだけれど、その話はまたいつか!

実は、このお守り、今までも既に二度紛失していて、
二度とも戻って来た経験がある。
最初の時のことは、もう覚えていないけれど、
二度目は、小銭入れごと何処かへ落としてしまったらしく、
数日後、発見されて既に警察へ届けられていることが発覚し、
遠くの警察署まで取りに行き、
中の小銭が無くなっていても良いから、
お守りだけは!と、それこそ、聖アントニー様に祈りながら、
静かな警察の待ち合いで、待ったのを覚えている。
300円ほどの小銭と一緒に、
小さな羊のレリーフが、小銭入れの中に見えたときは、
本当に嬉しかった!

そして、数日前のことだが・・・

研修に向かうべく、職場の女性と新宿の駅で、
電車を乗り換えようとしていた。
ホームから、別のホームへ移るのに、
彼女と階段を前後になって、話しをしながら降りていたのだ。

とても無意識に、
ーあとで、ふと、我にかえったのだがー
とても無意識に、
ジーンズのおしりのポケットにいつも入れている、
小さな革の小銭入れを、用事も無いのに取り出して、
左手に持っていた。
そして、話に夢中になっている真っ最中に、
左手の指の間を、何かがスルリと抜け落ちるのを、
瞬間、感じたのだった。
階段を最後まで降り切ったときに、
あれ?っと、思って、
既に、これまた無意識のうちにポケットに収めていた、
小銭入れの中を確認して、
子羊のコインが無いことに気がついた。

大きな駅の人ごみの中でもあったし、
連れもいたこともあり、
あ、これは諦めるしかない、と、自分に言い聞かせた。
連れの女性は、心配してくれて、
階段の上まで、登って探してくれた。

もう、大丈夫、大丈夫。
きっと、誰かに拾われて、
次はその人のことを守ってくれると思うから。
きっと、大きな世界へ、旅立ちたかったんだよ。

そう、彼女に言いながら、
実は、それは自分を慰めるためだった。
駅の人ごみに落ちていった小さなコインなど、
蹴飛ばされてホームに落ちるか、
踏みしめられて、
いよいよ、原型をとどめぬようになるかが、関の山。
きっぱりと諦めるしかない、と、
本当は、思わざるを得なかったのだけれど。

その後、研修を終えて、
一人になって、町を歩いていた時、
偶然にも、失ったコインと同じ物を売っている店の前に、
気がついたら佇んでいた。
レジの前の、小さなガラスのボールを見ると、
3種類のコインが並んでいて、
”PEACE "と彫られた文字と、
オリーヴの枝をくわえたハトのレリーフの物を、
新しいお守りとして、即座に購入した。

その夜、研修用の資料を、
明日持って行く鞄に移しながら、
今日持って行った黒い鞄を片付けようとしていたとき、
何かが、床に転がり落ちた。

転がり落ちたものが何であったか、
わたし、Giovanniの口から言うまでもない。

聖アントニー様、ありがとう!

木曜日, 10月 19, 2006

Americanなバラエティー番組たち



















ケーブルテレビのチャンネルの中で、
アメリカのテレビ番組を年中放映しているチャンネルがある。
ドラマも幾つかはまって、夜な夜な観ていたのもあったのだが、
ドラマ以外に、
日本で言う、いわゆる、バラエティー番組で、
時々、見る番組が幾つかある。

"The Swan"ーわたしを変えてー、は、
いわゆる、変身番組(◯◯ライダーとかぢゃないよ)。
短絡的に言うと、
自分がブチャイクなことに、コンプレックスがあって、
人生がつまらない。
そのコンプレックスを解消して、もっと愉しい人生を!
みたいな番組。
もっとはっきり言えば、
醜くて、モテないから、奇麗になって、モテるようになりたい、
という筋立てだわな。

で、番組の冒頭に、そのブチャイクでモテない女性が登場し、
コンプレックスから来る、数々の悲劇を発表する。
そして、その後、数名のスタッフとやり取りをしつつ、
どのように変身をしたいかをまとめた上で、入院。

変身入院中の決まりとして、
決して鏡を見てはいけないというルールがあり、
全ての変身の過程を経て、
スタジオに設置された大きな鏡(最初はカーテンに覆われている)
の前に立つ。

司会者が、『心の準備が出来たら言ってね、カーテンを開けるから』と。
『準備はいいわ』の、本人の意思表示と共に、
カーテンは開かれ、変身した自分とご対面!
『ワオ!何て事なの!信じられないわ!』と、驚嘆の声!!!

みたいな流れである。

日本の番組でもあるある、お昼のワイドショーとかで、
と、思っているあなた、チ、チ、チ!
ここで言っている変身は、ヘアメイクとお洋服、みたいな
甘いもんではございません。
手術です、手術。
先に話した、スタッフ、というのは、
整形外科医、審美歯科医、眼科医、など医療チームと、
カウンセラー、コーチ、などの精神的なケアをするチームの、
数名編成なのである。

しかも、手術は、短期間の変身を要するため、
目の手術と、脂肪吸引を同時にやっちゃうとか、
かなり、ハチャメチャ!
元々の自分の面影は、すっかり無くなって、
全くの他人に変身、という位の、手術ぶりである。

それでも、変身後の女性らは、大喜びなので、良かろう。
(他人の事だし、わしゃ知らん!)

もう一つ、変身番組。
こちらは、どっちかと言うと、
日本のお昼でもやっていそうな、
◯◯改造計画!みたいなヴァージョンで、
こちらで、変身するのは、男子。

流れとしては、
彼女(または妻)のいる男子が、
例えば、マンネリした彼女との生活に刺激を与えたい、とか、
子育てで疲れている妻を喜ばせたい、とか、
男として、女性の前で良いとこ見せちゃう!的なのり。

変身内容は、
(1)ファッション・・・いっつもジャージです、ってな
   兄ちゃんを、スーツで、パリッと決めさせる
(2)ヘア&スキン・・・かっちょいい無精髭の作り方、とか
   オイリー肌のお手入れなど(メンノンなノリ?)
(3)インテリア・・・・二人の時間をもっと熱く、
   燃え上がらせるためのお部屋作り
(4)クッキング・・・・記念日のディナーは、
   フィンランド料理でいかが?
(5)コミュニケーション・・彼女のご両親に、
   初めて挨拶する時は、などのテクニック

で、この5つの項目を、レクチャーするのが、
5人のゲイのお姉ちゃんたち。
先ずは、素の男子の家を訪ねて、
アレは駄目、コレはいけてない、と、
駄目だしのオンパレード!
下手すると、汚い家具とか、
窓から外へ放り投げられたりしちゃう。

それから、男子は、5人のゲイたちに、
順々にレクチャーを受けるのだが、
先ずは、車に乗って、洋服を買いに行く。
おっされなブティックなどへゲイ1と出かけ、
普段来た事もないような、ジャケットを羽織ったり、
させられながら、
ついでに、いかした着こなし術なんかも
教えてもらったりする。

一通り、コーディネートが決まると、
『じゃあ、お次は、家具の番だ!』と、ゲイ2氏。
今度は家具屋へ。

可笑しいのは、
何故だか知らないけど、このお姉さんたち、
車から降ると、何故か走る!
短時間で、色々やっちゃう、みたいなコンセプトなのか、
何せ、車から店へ、店から車へと、
走る走る。

後は、家に帰って来て、
料理の練習をゲイ3氏(これはあくまでも練習で、
本番は、ひとりでできるもん状態)、
髭剃り、なんかをゲイ4氏とやって、
『彼女への告白のことばは準備できてる?』
なんて、ゲイ5氏が締めをくくる。

一通りのレクチャーが済むと、
6人揃ってシャンパンで乾杯(何故?)。
そして、5人のお姉ちゃんたちは、
男子に一人一人熱いハグをして、
帰っちゃうのさ。

それで、展開としては、
いよいよ、彼女を驚かせる瞬間を、
5人は、自宅(別に5人で住んでいるわけでは
ないだろうから、誰かの家)にいながらにして、
テレビで観察するわけ。

『ああん、そのアイロンの掛け方、違ってるわよ!』
とか、
『髭は、生えている方向に剃るって教えたぢゃない!』
とか、
キャーキャー騒ぎながら観るのだけれど、
ま、最後は何とか、彼女も喜んでくれて、
めでたし、めでたし、で、また、乾杯!

どちらも、アメリカらしい。
日本にも類似した(というか、アメリカのを模した)
番組があるけれど、
本場モンに比べると生温いな、と感じる。

大袈裟さと、しらじらしさ感。
視聴率稼ぐぞ!的な演出。
テレビショッピングなんかも、
明らかに、日本のものは、アメリカの番組の
コピーだもんね。

あと、一つ、アメリカの番組で気になるのが、コーチ。
ドラマなんかにも出て来る、ライフコーチってやつ。
カウンセラーとはちょっと違う、
要するに、ガンバレ頑張れと励ましたり、
アドヴァイスしたりする存在だとか。
The Swanでは、途中くじけそうになる女性の
モーチベションを上げて、
最後まで自分と闘わせる役割を果たしているし、
Queer Eyesでは、ゲイ5が同様の役割で、
男子君が、どのような自分を理想の自分として
思い描いているのかを引き出したり、
それに向かって何が必要かを、導き出したりする。

自分の人生って、自分で何とか立ち向かって行くものだと、
思っていたけど、
アメリカぢゃ、こんなことになってんのだね。
アメリカったら!

日曜日, 10月 15, 2006

はらへりマン

今日の午後、
職場の同僚のお宅へ、遊びに行った。
同僚である彼女と、旦那さん、
そして2歳半になる娘のSちゃんの住む、
陽当たりの良いマンションへ、
もう一人の同僚とでお邪魔した。

彼女と娘は、ここしばらく、
アンパンマンが大好きで、
今日も、Sちゃんと一緒に、
みんなで、アンパンマンDVDを鑑賞。
お腹がすいた人に、
自分の顔をちぎって食べさせてあげちゃう、
アンパンマンって、凄い。

だが、もっと凄いのは、
アンパンマンに今まで登場した、
キャラクターは、な、な、なんと、
1300種類。
しかも、最新のキャラクター図鑑には、
さらに、300種増えた、
1600のキャラクターが掲載されているらしい。

アンパンマンを堪能して、帰宅。
ちゃちゃっと、夕飯を作った。

bigotさんのパン
があったので、
野菜とチキンのスープを作ることに。
大きな鍋にいっぱい作って、たっぷり食べたが、
この時間になって、
ちょっと何だか、はらへりマンに変身。




















鍋のスープを温め直そう。

ビゴさんのフランスパン物語

土曜日, 10月 14, 2006

読書の秋(くくく)













秋だからって、読書ってのもねー。
秋は夜が長いからって、
読書するための時間が長くなるわけでもないし。

だけど、
『読書の秋』なんだ!

わたし、Giovanni、読書は、大好き。
小学校1年生のとき、
図書の時間に、図書室で借りた本を、
あーっと言う間に読んでしまって、
読めた、読めた、と、回りの友だちに告げたら、
嘘つき呼ばわりされた。
そんなに早く読めるわけない、って。

活字を読むのは、本当に、好きだったし、
今も、そう、基本的には。

ただ、読む時間が無い。
家のソファで、読書という柄ではない。
休みの日は、出かけがちだし、
家にいる間は、バタバタと掃除や洗濯、
飯を作ってる、または、ブログを書いてるし。

自然と、読書は、通勤の車中でということになる。
ただし、電車で通勤するときは、だ。

みなさん、ご存知かな?
わたし、Giovanni、雨さえ降っていなければ、
自宅から職場まで、片道45分を自転車で通勤している。
まさか、自転車通勤で、読書できやしないから、
雨の日の電車通勤が、
唯一の読書タイムということになる。

それじゃあ、わたし、Giovanniが、
どんな本を、どのように読むか、ということに、
みなさん、興味はおありかな?

以前に、どこかで書いた記憶があるが、
わたし、Giovanniの読書の一つの特徴は、
同じ本を、何度も何度も、繰り返して読むことである。

谷崎潤一郎の『細雪』は、何十回読んだだろう。
宮尾登美子の小説に関しては、
それぞれ数回ずつは読んでいるし。

同じ本を何度も読むと、
自分の成長ぶりが良く分かる。
全回読んだときに、同感できなかった
登場人物の気持ちが、今となっては、理解できる、
というように、
自分の変化を、気づかせてくれることがある。

さてさて、ここで、
今日のメインイベント!

わたし、Giovanniの、本棚を覗いてみませんか?

ようこそ、わたし、Giovanniの本棚へ!
ここからお入りください!

どうどう?
楽しいでしょ?

これからも、
どんどん、色々な本を紹介する予定。
今後は、ブログのリンク欄から、
お入りあれ!

みなさんも、良い『読書の秋』を!

木曜日, 10月 12, 2006

携帯電話



















携帯電話、だというのに、
電話の機能が壊れてしまっていて、
もう、2、3ヶ月も、
電話の役に立っていなかった。

多方面からの、
クレームやら、ま、実際のところ、
無いと不便な、電話機能。
昨日、やっと、新しい携帯電話を購入した。

デザインの気に入ったのも無かったし、
使い慣れているからという事に加え、
少し以前の機種だから、安かったので、
くらいの理由で、
今まで使っていたのと同じメーカーの物を、
ちゃちゃっと選んだ。

今まで、電話で不便をかけたみなさん、
ご安心ください。
電話、通じる様になりましたから。

それにしても、
世の中には、
携帯灰皿、携帯ピルケース、みたいに、
携帯◯◯、と、呼ばれている物は、
色々とあるはずなのに、
何故か、携帯電話の事を、
『携帯』と、呼ぶのが当たり前になってる。
何だか、不思議だ。

世の中には、携帯電話マニアとでも
言うのか、
頻繁に、機種を変えたり、
携帯会社を、D⇒A⇒Sと、変えてみたり、
する人たちがいるけれど、
わたし、Giovanni、今回、3年振りの
新しい携帯電話である。

待ち受け画面、着メロ、アドレス帳と、
色々設定するのが、
ちょっと楽しかったりする。

電話、かけてください!
心から、待ってます!

break fast for the 2nd morning

今朝はおめざもおめざ第2弾もなく、
いつもの朝食を。


















●マフィン(奮発して、天然酵母パンで有名な
『ルヴァン』のマフィン。
ママレードのせたのと、蜂蜜塗ったのと)
●コーヒー(写真はnoirだけれど、後でミルクをたっぷり)

母の誕生日なので、
朝から電話をかけて、しばらく話をした。

●須賀敦子の全集の文庫版化について
●ニノジュースについて
●叔母(西表へ一緒に言ったM子叔母)のデジカメ
奮闘記について
●『芋たこなんきん』出演中の、イーデス・ハンソンについて

など、話題満載。

今日は、これから、遠くのプールまで泳ぎにでかける。

ちなみに、昨日は、部屋の片付けに数時間を費やし、
いらなくなった物など、ゴミ袋に3つを破棄。
気持ちが軽くなったように感じた。

というところで、みなさんも、
良い一日をお過ごしください!

水曜日, 10月 11, 2006

疲労困憊

今日はヘトヘトだった。
昼間からビール飲んだら、
その後がぐったり。

プールへ行く電車中でも、
爆睡しちゃったし。

泳いでみたものの、
25mの片道が、辛いくらい。

もう、寝ます。

不幸中の幸い


何か不幸せな出来事が起きた、そのただ中にいる人に、
「そういう中にあってもこれは幸いでしたね」と
声をかけることがある。
上手くいけば励ましとなるが、そうならないで、
逆にその人の悲しみやつらさを増しかねないこともある。

人が何をもってそれを不幸せと呼び、幸いと呼ぶか、
それは様々である。

しかし、人との別れ、とりわけ、好意を抱いていた人、
愛していた人を失うということは、
何人にとってもそれに勝る不幸せはない。

好意を抱いている人、愛している人と、
共に過ごす時間は、
無条件に幸せなものである。
体を寄せ合って眠るときも、
ただ並んで歩いているときですら、
それはそれは、幸せなものである。

ましてや、一つのテーブルを囲んで食事をするときの、
至福の喜び・・・
ーースープの熱が程よく冷めるまでの時間も、
キャセロールの中味が何であるかを色々と推理するゲームも、
手でやる方がよく混ざるドレッシングを、
サラダにからめているその手さばきへの感嘆符(!)も、
その至福の喜びを作り出す大切な材料となる。

イタリア料理の気軽さは、
親しい友人、或は、それ以上の関係を築こうとしている
特別な人(また、或は、既にそういう関係で結ばれている
とても特別な人)との食事には、打ってつけである。

メニューを眺めながら、
相手の食指を動かす料理が何であるかを確認する。
あちらが、トマトソースのパスタを選んだのなら、
こちらは、チーズのソースのものを。
肉料理を何か、と、言えば、
それに合う魚介類のおすすめの皿は何であるかを、
給仕に聞いてみたりする。
前菜としてのサラダは、シンプルでいて、何か珍しいもの
ーー木の実の味のするルコラという野菜のサラダなんか
どうかな?ーーを、注文する。
手の届かないような値の張るワインなど、
全く必要なく、その店のハウスワインをカラフェで・・・

料理が順番に出て来るときに、
もし、各自の取り皿が運ばれて来なければ、
すぐに厨房に取りに戻ってもらう。
何故なら、これから二人は、
一つの皿の料理を分け合って食べるのだから。
サラダも、パスタも、肉も魚も。
これが、イタリア料理が情熱的と言われる所以である。

ゆっくりと、全ての料理を味わい、
会話も最高潮に盛り上がったところで、
ドルチェメニューを取り寄せる。
ゆったりと採った食事は、人の胃袋を充分に満たしてくれる。
いくら、『別腹』とは言え、
もうそんなには食べる事ができない、と、言うのなら、
ドルチェでさえ、一皿を半分ずつにすれば良い。
相手の満腹中枢が、まだかろうじて働いているのなら、
好きなお菓子を選んでもらおう。
自分では、決められない、と、言うのならば、
奇をてらわず、ヴァニラとチョコレートのアイスクリームとか、
ティラミスとかをオーダーすれば良い。

イタリア料理の締めくくりとして、
エスプレッソコーヒーは欠かすことができない。
濃厚で爽やかな苦みは、たいらげた全ての料理の味わいの思い出を、
舌に刻み込む作用を持っている。
仮に、この最後のコーヒーを、
この食事の相手と一緒に味わうことができないとしたら、
それは、その人との至福の喜びのときに、
一つだけ、無念の気持ちを残すことになるかも知れない。

共有した幸せな時間の思い出は、
委細に渡ってくっきりと、
思い出を司る心のどこかの領域に刻み込まれる。
どこで、いつ出会ったか、
どの道を歩いたか、
ある出来事について、その人はどんな言葉で語ったか。

ところが、一転、
そのような思い出を分かち合った人との別離によって、
楽しみと喜びの甘美な味わいは、
苦みばしった苦痛の味に変化する。
出会いの場所も、辿った道も、その人が用いたことばの
一つ一つでさえ、
もうそこへは立ち入ることのできない禁域を作リ出す。

***

その人が初めてこの部屋を訪れた夜の闇の色、
その人が使った白い皿やマグカップの無機質な温もり、
二人で耳を澄まして聞いた夜明けの静寂。

その人と自分を取り巻いていた、全ての時間と空間が、
際限の無い涙を流させる道具と化す。
昨日まで、輝きを放っていた全ての時間と空間が、
虚しい、不幸せのかたまりへと、変貌してしまった。
幸せなときを分け合った、他の全ての感覚と共に、
サラダやパスタやティラミスを味わった至福の感覚は、
その幸せな時間に終わりが訪れたことを告げられた。

その不幸せの中で、唯一、
それを幸せと呼ぶことができるならば、
それは、その人とコーヒーを飲む喜びを分ち合わなかったこと。
こどもだから、苦いから、と、
あのとき、その人がコーヒーを飲まなかったことが、
今となっては、幸いだったのかも知れない。
何故なら、もしこれで、コーヒーまでもが、
悲しみの刻印の味に変わってしまったらなら、
もうここに残される幸せは、何も無くなってしまうから。

他の全ての喜びが、悲しみへと姿を変え、
コーヒーを飲む幸せだけが、今の自分に残された。
これは、『不幸中の幸い』なのだ、と、言い聞かせてみる。
でもいくらそうだと言い聞かせてみたとしても、
独りで味わうコーヒーは、
舌にも、そして心にも、
いつにも増して一層の苦みを与えることしかできないようだ。

(完)


****************************

部屋の掃除をしていたら、
もう、少し黄色く変色している何枚かの紙が出てきた。
ワープロで書いた文章を、感熱紙に印刷したものだ。

その内の一枚が、『不幸中の幸い』の原稿である。

今から、7、8年?それとも10年くらい前になるのか、
文章を書き始めた頃のもので、
今読み返すと、青臭くて、ちょっと気恥ずかしいのだが、
ここに、わたし、Giovanniの今の文章の原点がある。
別に、文章を書く事を生業としているわけではないので、
言い方は大げさだけれど。

人間は、必ず、食べる。
食べる行為は、生きる、命をつなぐ、ということである。
誰かと出会ったり、誰かを好きになったり、
また、別離のときも、悲しいときも、
とりあえずは、食べるのである。

それだけに、食べるシーンには、
たくさんの感情や、思いがからんで、
思い出として刻まれるように思うのである。

ここのブログのタイトル、
『丸いテーブルを囲めば』も、
人生というテーブルを、
ときには喜びとともに、または、悲嘆に暮れながら、
囲みながら生きて行く、
わたし、Giovanniの人生を描く事ができれば、と、
選んだタイトルなのである。

眠っていた原稿が、せっかく日の目を見たので、
ここで読んでもらえれば、と、アップした。
それに当たって、若干の言い回しの修正と、
句読点、改行の変更をしたが、
文章そのままは、約10年前の、
わたし、Giovanniである。

今朝のおめざ 第2弾













お察しかと思います。
我慢できずに、朝から失礼いたします!

ゴクリ!

今朝のおめざ

今朝のゲストのGiovanniさんのおめざ。




















●モカポットでいれたcafe noir
●無◯良◯の、きなこもち入りトラ焼き
●トラピスト・クッキー

普段、朝は、パンとcafe creamなんだけど、
こういうのんびりとした朝には、
濃いめのコーヒーに、甘いお菓子が良い。

イタリアの南部、Bariという町にいた頃、
朝ご飯というと、
デミタッソの漆黒のコーヒーとビスケット、
みたいな感じで、
いわゆる、パンを食べたりする習慣は
ほとんど無かった気がする。

その分、昼食に命を賭けているようなもので、
2時間もかけて、たっぷりと飲み食いをする。
大都会では、
職場からわざわざランチのために家に戻るなんていう
非合理的な慣習を行う人たちは、
減ったとは言え、
地方の小さな町などでは、
まだまだ、そういう人たちは、たくさんいるようだ。

昼飯を満腹食う為に、
朝は最低限、エンジンをかける事が出来る程度の
甘いものを口にして、
律儀にも、家族一人一人に抱擁とキスをして、
学校へ、仕事へ、と、出かけて行く、
イタリア南部の、港町の朝の風景。

抱擁する相手もいないし、
とりあえず、未だ出かける予定を立てていない、
2連休初日の朝。
早くも、ランチが待ち遠しくなってきた。

火曜日, 10月 10, 2006

朽ち果ててしまうものと、そうでないもの


















秋の朝の静寂の中で、
ふと、脳裏に蘇った。

高校卒業の時、
大変お世話になった保健室の先生に、
お礼とお別れを告げに保健室を訪ね、
さようなら、と、その部屋を出た後、

ー小さくため息つきました。
これからわたしは、旅に出る。
世の中、そんなに甘くない、
だけどもそんなに辛くない。ー

こんなフレーズが、ふと、思い浮かんだ、
その時の事を思い出した。

黄色い、ビニール製の、
スポーツタイプのショルダーバッグを、
斜めがけにしていた、その時の自分を、
はっきりと思い描く事ができる。

あのバッグ、アメリカ製のレアな物で、
とても気に入っていて、大好きだったけれど、
どこで、いつ、失ってしまったっけ?
記憶をいくら辿っても、
保健室を出て行く、高校生活最期の自分の、
肩からぶらさがっていたあの黄色いバッグは、
もう、二度と、登場しない。

学校へ行くのが嫌で嫌で、
そんな気も、勇気も無いくせに、
ただ、死ぬという事を、幾度も口にした
わたし、Giovanniを、
いつもなだめすかし、励ましてくれた、
その先生は、
その後、癌に冒され、
他人と見まがうほどに、変わり果てた姿で、
壮絶な死をとげられた。
あれから、何十年も経っているのに、
病室のベッドに横たわり、
鼻から管を通して、息苦しそうにしながら、
またね、と、おっしゃった先生の姿、声・・・
まるで、つい昨日のように感じる事ができる。

失っても、失わないでいるもの、
ずっとあるのに、まるで失ってしまったように
思えるもの。

失う事ばかりが、怖くて、
手に入れようとさえしないでいる自分。
何度も、失った経験の苦痛が、
そうさせているのだろうか。

握って、しっかり握りしめて、
手を開いたときに、
手のひらの中に残っているのは、何だろう?
幻のように、じっとりとかいた
自分の汗だけが、
妙に、キラキラと、
その手の起伏の谷間に光っていたりする。

そこには、もう何も残されていないのか?
それとも、朽ち果ててしまったと見えて、
実はそうでないものなのだろうか?

A good day for laundry



















土日月に引き続き、
今日も天気の良い事ってったら!

仕事が一段落ついて、
今日は、とても久しぶりの遅番出勤なのだ!

数日前、溜まった洗濯物を、
お見せしたけれど、
あれはね、ちゃんとその後に、
既に洗濯しましたからね。

晴れてると、一日に何度でも洗濯したくなる。
真夏だったりすると、3回/1日
なんて事もあったり。

汚れた衣服が奇麗になって、
パリッと乾いて、
心も清々しくなる。

明日&明後日は、待望の連休。
晴れますように!
晴れたら、また、洗濯だ!

月曜日, 10月 09, 2006

真夜中のチョコレートアイス


















夜コーヒーを飲むと、
眠れなくなる。
誰が、
そんな事を言ってるのだ?
関係無い、
わたし、Giovanniには。

寝る前に、
コーヒーを飲む。
心が落ち着くから。

コーヒーには、
覚醒作用があるとも
言われているが、
わたし、Giovanniには、
心の安定剤のようなもの。
落ち着きたい時、
コーヒーを飲む。

今宵は、
コーヒーだけぢゃ、
ダメみたい。
どうしても、
食べたかった、
チョコレートアイス。
心を落ち着かせる、
というよりは、
慰めと、癒しを、
心に与えるためぢゃないかな?

慰めて欲しい、
癒して欲しい。

土曜日, 10月 07, 2006

秋晴れと、予算達成と、10分でパスタ




















ああぁ!
昨日の台風雨と、打って変わって、
今日の美しい秋晴れだったこと!
抜けるように青い空に、真っ白な雲が流れて、
寒くもなく、暑くもなく。
ホントに素敵な日だった。

おかげで、昨日のリニューアルオープン日は、
散々だった、店の売り上げも、
予算を大幅に上回るのみならず、
昨日のマイナス分を補う事もできた、という、
絶好調な成績を収めたのだ。

しかし、相も変わらず、
閉店しても、仕事が終わらず、
今日も帰宅は23時!

それでも、明日休みという事もあり、
ややリラックスムードで、
10分でパスタを作って食べた。

その作り方

1 湯を沸かす
2 湯が沸く間に、玉ねぎの薄切りを油で炒める
3 透き通るくらいになったら、ツナを加えてさらに炒め
  軽く塩で味付け
4 湯が沸騰したら塩を加えてパスタを茹でる
5 茹で汁を、3に少し加えて、アルデンテ一歩手前の
  パスタを茹で汁を加えた具にからめ、
  弱火にしてふたをし、好みの固さに仕上げる
6 もどした乾燥ワカメを最期に加えて、軽くまぜて
  出来上がり

さて、明日も良い天気らしい。
久しぶりに、休日を楽しもう!

金曜日, 10月 06, 2006

家事手伝い求む!

わたし、Giovanniの職場は、約100人が働く店なのだが、
約2ヶ月の準備期間の後、
本日、無事にリニューアルオープンにこぎついた。

わたしの仕事は、売り場に立って接客というよりは、裏方業務。
事務から、総務、庶務、人事などを、
一手にやってます、みたいな仕事なのである。

店の中をすっかり、改装した事もあり、
あれはどこ? ◯◯がありません!の内線が、
続々とかかってきた、オープン初日。

大型台風のおかげで、
お客様の足は、なかなかこちらに向かなかったので、
案外、今日は、さくっと帰る事ができると思っていたけれど、
甘かった〜。
結局、帰宅は23時。(朝は8時から働いてた!)

夕飯は、ここのところ、ほとんどコンビニ弁当。
レジで温めてもらった、やきとり丼なんかをぶら下げて、
帰宅したわが家は、なんだか散らかっていて、
疲れがどっと出る。










普段は、結構きれいにしてるんだけど、今は、無理!
ゆるして!

月曜日, 10月 02, 2006

キゴマの空へ













今しがた、母が電話をかけてきた。
いつもなら、もう寝ている時間なのに、珍しいな、と、思っていたら、
叔父が昨日亡くなったという訃報だった。

K叔父は、母の妹の連れ合いで、
ここ数年、癌を患っており、色々な療法を試し繰り返したが、
最後の頼みであった手術の甲斐も無く、天国へと旅立ったのだった。

以前、(確か西表島への旅について書いた際)
ここで、伊谷純一郎について書いた事があった。
伊谷純一郎は、母の従兄弟に当たる人だが、
京都大学の霊長類研究所で、チンパンジーの研究に多くを費やし、
世界でも初めての、
野生のチンパンジーの餌付けに成功したグループの一員であった。

叔父は、その伊谷の助手を務めた人で、
その当時、やはり伊谷の研究室で働いていた叔母とは、
伊谷を通じて知り合った、ということである。

二人は結婚に至り、長女S子と、長男Rの二人の子を設けた。
そのS子が小学1年生、Rは未だ2歳か3歳、といった頃だったろうか。
叔父が、チンパンジーの観察のため、
確か、2年近くを、
タンザニアのタンガニーカ湖のほとりの村、キゴマ村へ赴く事になった。
叔父と叔母の間で、どういうやりとりがあったのかは知らないが、
多くの年長者たちの反対を乗り越え、
最終的には、二人の幼い子どもたち連れ、
家族4人で、キゴマ村での生活を送る事になったのである。

叔父は、研究に大きな成果を得、
幼い子ども二人は、幼いなりに、
自然の不思議や生きる事の厳しさと愉しさを知り、
そして、叔母は、持ち前の旺盛な好奇心で、
村の女性たちとすっかり打ち解け、村の暮らしを体得していった。
(叔父家族のキゴマ村での生活は、NHKのドキュメンタリーとして
放映されたのだ!)

帰国後、叔父は同じ分野での研究を続ける生活を続けた。
叔母は、アフリカからの留学生を自宅に招いたり、
アフリカの生活を語る役割を買って出た。
タンザニアの村で幼い時期を過ごした二人は、
やはりユニークに育ち、今では立派な大人である。

二人の子どもたちを巣立たせた叔母は、
永年の夢であった、キゴマ村の人たちへの恩返しにと、
村の女性たちが、経済的に自立する事のできる、
機織りの技術を考案し、それを普及させるために、
その後、何度かキゴマ村を訪れている。
そして、後年、叔父の協力の元、ワトト基金という、
こどもたちの教育基金を設立するまでに至ったのであった。

ある時、短期滞在で、キゴマ村を訪れていた叔父の所へ、
ある日本人が訪ねて来た。
ワトト基金について、聞きつけて来たということで、
基金への献金として、100万円を寄付して行ったその女性は、
叔父の言葉を借りると、
『日本の有名な歌手らしいよ。マットウヤ何とかという名前だった』
そういう事に疎い叔父には、ユーミンも、
マットウヤ何とか、という人になってしまったね、と、
叔父らしい逸話として、笑い話になっている。

K叔父に最期に会ったのは、いつだっただろう?
いつも日に焼けた赤黒い顔に、
いつの頃からか生やしていた顎ヒゲ。
寡黙で、話すときもボソボソと、消え入るような言葉だった、K叔父。

叔父の病いから、ワトト基金の活動は、
残念ながら停止となり、
恐らく、叔父は遠いキゴマの空と、チンパンジーの森に、
思いを馳せながら、闘病と続け、
ついに、昨日、その懐かしい空へ向かって旅立って行ったのだと、
わたし、Giovanniは、信じて止まない。

長く看病に全身全霊を注いだ叔母と、
叔母の看病を支えた、S子、Rに、
心から弔慰を伝えるとともに、
キゴマの空のはるか高い所へ帰っていったK叔父の、
永遠の平安の眠りを、祈るばかりである。