水曜日, 5月 31, 2006

対岸の火事




長い人生(?)の中で、
実際に火事の現場を見たことは、何度もはない。
かすかな記憶を辿れば、小学生の頃、
近所の銭湯が出火したのを、
野次馬丸出しで、見に行った事があった。
(と、思うのだが、定かではない)

もちろん、その火事を、
自分でどうこうできるはずもなく、
消防隊が消火している様子を、
はらはらしながら傍観していることしか、
我々には出来ない。

この数日間で、インドネシアでの地震のことを
2度、ここに書いた。
死者の数も、どんどん増えているようで、
遠く(地球的視野で言えば近いのだが)離れた
ここからでは、何の手も施す事ができず、
悔しい気持ちばかりが募る。
対岸の火事を、ただ、傍観しているしかない。

この地震に関することをここに書いたことで、
実は、思っている事がある。

このブログも、案外、色々な人が読んでくださっていて、
コメントも、ちらほらとではあるが、
日々、何かしら、いただくのだが、
今のところ、
今回の地震について、どなたからも、何も言われていない。
そう言えば、職場の、日常の会話の中でも、
誰もこのことについて言及していなかった。

コメントをするとしても、
または口に出して話してみたとしても、
ある種の虚しさばかりが蓄積されるばかりなのかも知れないし、
何を言ってみたところで、何が変わる訳でもない、と、
みな思っているのだろうか?

或は、単なる無関心で、まさに、『対岸の火事』。
火の粉も飛んで来ず、延焼の心配も無いなら、
自分たちには、何ら関わりのないこと、と、
思っているのだろうか?

今回の地震のことは、
”Around the Round Table - intercontinental"にも、
短く紹介したのだが、
実は、そちらを通じては、
即座に何人からかのメールを受け取った。
イギリス、フランス、シンガポールなどの友人たちからだ。

日本人だから、そうでないから、
という比較論は、間違っているとは思うが、
往々にして、島国にいる日本人は、
世界のどこで何が起きても、対岸の火事として、
眺めていることが、多いように思う。

周わりを、ぐるりと海に囲まれているこの国は、
まさに、ここより外の国や地域は、対岸であるから、
仕方の無いことなのだろうか?

そう、言っている、わたし、Giovanniとて、同様で、
今回は、自分に馴染みのあるインドネシアであったが、
これが、モルジブだったりベネズエラだったら、
ここまでの思いはしないまま、
遠くで燃える火事の火を、ちらっと見るだけで、
おしまいだったかも知れない。

思いを届かせる、という、非科学的な方法を、
わたし、Giovanniは、信じている。

以前、スリランカを訪問したことがある。
民族間の紛争がとても激しい時期で、
(今もそれは続いているが)
銃を抱えた兵士が、至る所におり、
わたしが滞在していたわずか10日ほどの間にも、
政治家が暗殺される、というような
緊迫した状況下だった。

学生たちのグループと、話す機会があって、
そこで、
『この国のこういう状況を見て、あなたの意見を
聞かせてください。どうしたら、こういう状況から
我々は脱することができるのでしょうか?』と、
質問をされた。

わたし、Giovanniも、政治に明るいわけではなく、
また、彼らの態度が熱心であるだけに、
不用意な発言はできないと思った。

『政治的な発言は、わたしにはできない。
わたしに言えるのは、目に見えない力を
信じる事が大切なのではないか、ということだ。』
苦し紛れ半分に、このように答えたのを覚えている。

彼らの反応は、非常に冷ややかで、
それで何の解決になるというのか?と、
批難する声も、上がったが、
それは当然と言えば当然だったろう。

わたしがそこで言いたかったのは、
人間として、できる色々な手をつくした上で、
後は、何か見えない力に委ねるしかない、
ということだった。
そういう、
何か気持ちのよりどころのような場所がないと、
行き詰まってしまって、
ただ、しんどいだけなのではないか、と、
言いたかったのだ。

彼らとのディスカッションの最後に、
わたしは、一つ、約束をした事がある。

『今日、みなさんと出会った事、
スリランカという国にあなたたちがいて、
日々の緊迫の中で、希望を捨てずに生き続けようと
しているということ。
わたしは、生涯、このことを忘れずに覚えている。
いつも、わたしの思いの中に、
あなたたちは存在し続けるでしょう。』

それまで、若干、
期待はずれに白けた顔をしていた学生たちが、
わたしが宣言した約束を聞いて、
俄に表情を変え、口々に、
『わたしたちも、
あなたとの今日の出会いを忘れない!
あなたも、いつまでもわたしたちの思いの中に
いるでしょう。』と、言ってれた。

そして、現に、あれからの長い歳月で、
もちろん、顔も名前も、とうの昔に忘れてしまったが、
約束通り、彼らは今も、わたしの思いの内にいる。
と、同時に、
彼らの言葉に、彼らとの約束の言葉に、
支えられながら、今を生きている自分がいる。

災害や、思いもかけなかった事故や、
或は、戦争で、
絶望のどん底に突き落とされた人たちが、
何を待ち望んでいるだろうか、と、考えるとき、
それは、救助の手であったり、温かい食事だったり、
政治的和解だったりするかも知れない。

または、もっと身近な事を考えるとき、
身よりもなく、孤独の中で寂しく生きる高齢者や、
親に虐待を受け、息を殺しながら日々を送るこどもたちが、
何を待っているだろうか?
その答えを見いだそうとするとき、
わたし、Giovanniは、こう考える。

そういう状況にある人たちが、望み、待っているのは、
単なる物資や、形式だけではなく
(それらもまたもちろん重要であるが)
自分たちは、仲間や家族や、社会、世界から、
決して忘れられてはいない、という
確信ではないかと思う。

思いを届ける、気持ちを送る、という行為。
それによって何かが劇的に変わるとか、
全てが元に戻る、というのではないのだが、
そういう目に見えない力が、
実は、人の心に働きかけるのではないか、と、
わたし、Giovanniは、考える。

幸いな事に、わたしには、
最後に会ってから、何十年が経っても、
今も尚、見えない何かによって、
強く繋がっている、友人たち、仲間たちが、
世界の至る所にいる。
わたしのことを、きっと忘れないでいてくれる、
彼らの存在にわたしは、生かされているのだ。

対岸の火事を、ここから消す事はできない。
だが、
わたしは、あなたたちと一緒にいる、
というこの思いを、届けることは、
さほど、難しくはない。

月曜日, 5月 29, 2006

訂正

ジャワ島の地震で大きな被害を受けたのは、
バンドゥン(Bandung)ではなく、
ジョグジャカルタ南部の、バントゥル(Bantul)だと、
友人から報せがきました。

どちらにしても、彼らに思いを合わせる気持ちは、
変わりません。

インドネシア/ジャワ島地震 続報

































ジョグジャカルタで地震、と聞いて、
昔、訪ねたあの古い美しい町を思い出した。

死者は当初の発表の倍にもふくれあがり、
雨期が始まったジャワでは、容赦無く、
避難している人たちを、
激しい雨が濡らしているという。

今日のニュースの続報で、
バンドゥンもまた、
最も大きな被害に遭った街だと、報道されていた。

バンドゥンは、わたし、Giovanniも
2ヶ月、生活をした町である。
旧い都だった町で、
ジャカルタや、ジョグジャカルタ
(現地の人たちは、”ジョグジャ”と呼ぶ)
とは、趣を異にした、
落ち着いた、しっとりとした町である。

その町にある、大きな修道院の、一間を借りて、
わたしは、生活をしていたのであるが、
あの、修道院は、一体どうなっただろうか?
そこに住む、シスターたちは?

1995年の淡路島阪神大震災は、
わたし、Giovanniの身近な人たちの多くが、
命を失ったり、家や財産を失った災害だった。

ちょうど、インド、タイ、シンガポール、そして
インドネシアでの仕事を終えて、
日本に帰国し、暫く、何もすることなく
ぶらぶらしている時だったこともあり、
地震直後から、救援物資を担げるだけ担いで、
神戸へ向かった経験がある。

その後、2ヶ月近く、阪急六甲の駅近くの保育所
(当時は、避難所として30人近い被災者が
生活をしていた)で、炊き出しをしていた。

あれから10年以上の年月が経ったが、
この間にも、日本各地、世界各地で、
規模の大小を問わず、地震の被害は起きている。
その度に、
自分に、何ができるのだろうか?と、問いかける。

今すぐにでも、駆けつけて、神戸での経験を活かして、
救援活動ができるのじゃないだろうか?
と、思うと同時に、
今の自分には、物理的にそうできない現実があり、
そのジレンマに、歯噛みをしたくなる。

今これを書いている間も、
(そして、あながたこれを読んでいる間も)
痛み苦しみを味わい、
絶望の淵に立たされて、
途方に暮れている人たちがいるという現実は、
わたしたちのものでは、ないのだろうか?

日曜日, 5月 28, 2006

直球ど真ん中!


『直球ど真ん中のgiovanniさんのブログは
読み手のココロに響きます。(・・・と思います。)』
blogger仲間の、cavacavienさんに、
こんなコメントをいただきました。

そうですか?直球ど真ん中ですか?

確かに、言いたい事をはっきり言う人だ、と、
言われることはあります。
好きな事は好き、とか、嫌な事は嫌、みたいに。

嫌な事は嫌、の、有名な話だと、
コンビニのレジで、柿のタネを店員に投げつるなど、
激しい面も、実はあったり。

それでも、昔はとても引っ込み思案で、
言いたい事をはっきり言うなんてことは出来ない子だった。
以前、何かの雑誌の取材を受けた事があって、
できあがった紙面に、
『靴の上から痒いところをかくような人』って
書かれたことがあった。
要するに、もっとズバッと言ってよ、と、
取材した人は思ったらしい。

こういうところは、実は今も、
本質的には変わっていないようにも思うのだけどねぇ。
そうではないのかな?

フランスにいた時や、アジアの国々で働いていた頃、
確かに、言いたい事をはっきり言ったり、
自分を主張したりしないと、
埋もれてしまっていたかもしれない。

日本や一部のアジアの国では、
黙っている事が美徳、とか、謙虚になることが大切、
みたいな文化があるのだけれど、
それが通じない世界は広い。

Giovanniは黙ってるから、OKってことね、
って、思われるだけで、
黙ってるけど、本当は反対!などと言うのは
通じないことがほとんど。

直球ストレートは、嫌われたり、敬遠されたりするかな、
と、思っていたけど、
ココロに響くと、お褒めを頂いたから、
どんどん直球でいくことにします。
(cavacavienさんも、同類と見てます!)

土曜日, 5月 27, 2006

ジョグジャカルタにて地震



インドネシアの古都、ジョグジャカルタ付近で
大きな地震があったらしい。
犠牲者が3千人近い、とか?

1992年頃、何日か滞在した事のある町でもあり、
また、友人の家族が住む町でもある。
友人の実家は、全壊したらしいが、
家族は、みな無事とのこと。

遠くにいることが歯がゆい。

犠牲になった人々のことを思い、
静かに祈りたいと思う。

遠いけど近く、昔だけど今も



20年前、日本を捨てるようにして、
フランスへ行ったという話
を、
ここに書いた、その同じ日に、
同様の内容の日記を、Around the Round Table - intercontinental
にも書いた。

それを読んでくれた友人から、メールが届いた。

彼女はデンマーク人で、フランスのコミュニティーで、
一緒に働いた仲である。
わたし、Giovanniよりは、随分後になって、やって来たかと思いきや、
同年の数ヶ月違いということらしい。
まあ、言ってみれば、同期生?

彼女はその後、隣村の修道会に入会して、
シスターになり、今もその村で生活をしている。

彼女とも、1995年にフランスへ行って以来、
会っていないし、手紙やメールをもらった記憶も無いので、
12、13年振りのやりとりということになる。

毎回、思うことだし、
ここでも同様の事を何度か、書いたかと思うのだが、
そういう距離感や時間の感覚とは不思議なもので、
何千キロを離れ、何年もが経っているというのに、
こうして便りをもらうと、
彼女と、よく散歩をしたあの20年前の日々が、
あたかもついこの間のことのように感じられるし、
まるで、
今もその日々が続いているかのように錯覚することもある。

確か、ご両親とも音楽家で、
本人も音楽の勉強をした彼女だったが、
一緒にクワイヤーの練習をしたことを、思い出す。
今も、毎日のクワイヤー練習は、担当だそうだ。

遠くにいるはずなのに、
すぐ近くにいるように感じ、
随分昔の出来事なのに、あたかもあの時が、
今も続いているような感じ。

COMMUNIONという神秘を、感じざるを得ないと、
わたし、Giovanniは思うのである。

木曜日, 5月 25, 2006

野の花のように、空の鳥のように







職場の同僚(正しくは上司だが)の娘のSちゃんが、
昨日、2歳のお誕生日を迎えた。

初対面は、1歳になるちょっと前なのだが、
この1年ちょいで、人はこんなにも成長するのか!
と、驚く思いである。

実は、ここ暫くSちゃん自身とは、会っていないのだが、
Sちゃんママ(同僚、いや上司)から、
日々の成長ぶりを聞いたり、ブログを覗いたりで、
着々と育つ、Sちゃんの様子をつぶさに知る事ができる。

世の中がどんどん変化しているので、
例えば、わたし、Giovanniが育った時代と、
Sちゃんが育って行く今の時代には、
明らかな違いがあるわけである。
わたしより、若干、若いSちゃんママの幼少時代とて、
今とは随分違うはずだ。

今、こどもを育てている人、そしてこれから
10年、20年と、育てて行く人たちの前途は
どうなのだろう?

物質的に、どうこうという不安は、無いだろうけど、
環境、社会、学校教育などなど、山は険しく谷は深くは
なかろうか?

職場の同僚のこどもさんのこと、と、言ってしまえば
それまでだが、
人類の大切な宝であるこどもたちを取り巻く環境が、
あまりにも殺伐としていたり、
こどもたちを巻き込む悲しい事件や事故が、
日々繰り返される中、
わたしに出来る事はないものか?と、
思いを巡らさずにはいられない。

野の花のように、空の鳥のように、
Sちゃんが、
そして、Sちゃんと同じような世界中のこどもたちが、
愛され守られて、生かされることを、
わたし、Giovanniは、祈って止まない。

火曜日, 5月 23, 2006

HOW TO Blogger?


ここのブログは、Bloggerというブログで、
日本ではまだ、さほどメジャーではないらしい。

が、このブログを始めて以来、
デザインのシンプルさなど、結構、みんなから評判は高いようだ。

日本のメジャーなブログには、
カレンダーがついてたり、その他、さまざまな仕掛けが
簡単に設定できるようだが、
Bloggerには、そういうオプションがあまりついておらず、
自分で、カスタマイズしなくてはならなかったりする。

"クリボウの Blogger Tips"で、
詳しい事が紹介されているので、
興味のある人は、ご覧あれ。

で、今日は、よく尋ねられる質問に、一挙に、お答えする!

『Giovanniのブログに、
コメントしたいけれど、やり方がよく分からない』
『コメントしたつもりでも、実はされていないのかなぁ?』

難しいことは、全くない。

1  文章の最後にある、
”posted by Giovanni @ 3:09 PM 1 comments links to this post ”
というところの、〜commentsをクリックすると、
コメントを書き込むフォーマットが登場する

2  四角に囲ってあるコメント欄に、
あなたのコメントを、自由気ままに書き込む

3  お名前も、ぜひ!

4  アルファベットのクネクネしたのを、
きちんと入力(自動的に送られる変なコメントをこれで阻止!)

5  投稿!

以上。

ただし、今の所は、みなさんのコメントを、
こちらで承認しないと、アップしないようになっています。
規制、ということではないですが、
万が一の時に備えて、投稿⇒即アップ、にしてません。

それを知らないで、諦めていた、あなたも、
再度挑戦してください!

みなさんのコメント、お待ちしています! 

ええ、お気に入り


ここに度々登場する、
"room+J 代官山"の店主である、友人のHAALちゃんのブログにも、
実は、わたし、Giovanniが度々登場する。

で、最新の"和食器屋店主のつれづれブログ"では、
昨夕の、二人の飲み会の話が早速アップされていた。

彼の地元、C駅の駅前のWATAMIで、
夜の7時半から、深夜12時半の閉店まで、飲み食い。

そうなんです、早くて安くて、しかも、なかなかのお味。
名古屋フェアを開催中で、オーダーしたのは、
名古屋フェアメニュー、ONLY!

二人とも、八丁味噌が好きで、
鶏肉の朴葉味噌焼き、味噌カツに満足。
HAALちゃんも書いてたように、きしめんの揚げたものは、
いくらでも後を引く、薄塩で、大正解。

まぁ、ここいちばん!のデートなら、
コジャレタ、ダイニングバーも良かろうが、
気のおけない友人との、楽しいひとときには、
気軽なスタイルがぴったりだと思う。

ええ、お気に入りです!

美味しい食べ物と酒を、さらに旨く深い味わいに変えるのは、
時に、シリアスに、時に、腹が捩れるほどに可笑しい、
おしゃべりである。

3月に、自分の店をOPENした、新米オーナーには、
もちろん、色々と苦労もあり、悩みどころもあるだろう。
彼の腹の中に、恐らく沸々としている、思いの丈を、
わたし、Giovanniに、打つけてくれるのなら、任しといて、と、
彼の言葉に、耳を傾けた。

わたし、Giovanni、饒舌家で話し好きであるが、
案外、聞き上手とも言われる事がある。

話はちょっと外れるが、
前にも触れた事があっただろうか? 
わたしの職場には、70人近くの仲間がいる。
彼らの多くは、20代の、学生や、
自宅を離れて、自活する、善良なる男女。
若さを謳歌し、好奇心や躍動感で一杯!
そんな彼らの多くが、同時に、
大いに悩み、迷い、そして、憂鬱に陥るのである。

場合によっては、
二人きりになったエレヴェーターや、倉庫の物影で、
そっと、耳打ちしてくれることがある。
彼らの悩みや迷いや憂鬱を。

そして、わたし、Giovanniは、
ただ、真摯に彼らの語る言葉に、耳を傾ける。

彼らに対し、多くを助言することは、
わたしの役割ではないと思っている。
人には、恐らく、それぞれに割当てられたロールがあり、
わたしには、静かに耳を傾けるそれが、
割り振られているのだろうと、感じている。

さて、飲み会に戻ろう。

HAALちゃんとも、長い付き合いになる。
改めて、出会った最初の頃を、二人で指折り数えてみて、
時の経つのが速いということを、
また、実感せざるを得なかった。

そして、これから、また幾年、幾十年かが経ったときも、
きっと、HAALちゃんと、飲んでいるだろうなぁ!
駅前の、お気に入りの場所で。

日曜日, 5月 21, 2006

民営化、はんたーい!

民営化、はんたーい!
個人ユーザーの権利を守れー!

久々の水泳ネタ。

ここのところ、
都内各所の公営プールの実質的な運営が、
民営化され、コ◯ミとかT◯Pとか、
有名どころのスポーツクラブが参入している。

わたし、Giovanniが水泳を始めた代々木のプールも、
施設の老朽化を建て前の理由にあげているが、
実際は、団体専用のプールにして、経営を安定させようとして、
3月末で一般公開を終了。

民間企業が参入したプールはどこも、
5月末に、何日間か休館にして、改装を行い、
6月に新しくなってお目見えするらしい。
サービスを向上させる、とか、ロッカーを最新のタイプにして、
より使い易くする、とか、謳っていてるのだが・・・

今日は、とても良い天気だったし、
絶好のスイミング日和だったので、
早朝ミサの後、
例の、アドレナリンプールへ向かった。

大きな大会などがしばしば行われるプールなので、
事前にチェックしておくべきだったのだが、
プールに到着し、エントランスに貼り出された告知を見て、
がっかり!!!

『本日は、メインプールの一般開放は行っていません』

大学関係の大会のため、メインプールは終日貸し切り。
一般公開は、サブプールのみだ、というのだ。
まぁ、ここは、サブプールも50mあって、
十分に、”泳ぐことのできる”プールなので、
1500mくらい、泳いだのではあるが・・・

こういう経営方針って、要するに、個人ユーザーよりは、
団体様優先!ってことなのかなぁ?
公営のスポーツ施設って、本来は、市民の健康増進とか、
そういう目的の上に、存在しているのではないのかね?
6レーンのうち、5レーンが団体使用、なんて、
もってのほかじゃないの?(某プール)

郵便事業も、これからどうなっていくのか、と、
心配になってしまう。

**************************
気を取り直して、今夜のメニュー紹介。

爽やかに晴れた一日だったので、
早々から家でビールを飲む事にした。

その肴として、
◯水菜のゴマ和え



◯おぼろ豆腐の冷や奴


飲んだ後は、Giovanni家の夏の定番、
◯ジャジャ麺


てなところで。
おあとがよろしいようで・・・

金曜日, 5月 19, 2006

旅 京都編その2


今回の旅の直前、読み終わった小説がある。
宮尾登美子著の、『東福門院和子の涙』である。
これは、江戸徳川将軍家から、初めて天皇へ嫁いだ
和子、という女性を主人公とし、
その生涯を和子の側近として仕えた、
ゆき、という女性が、
和子の死後、自分の主について語るという手法で描かれた物語である。

舞台は京都御所ということもあり、また、
多くが語り言葉で書かれているという事もあって、
その小説を読んでいる最中は、ついつい御所ことばがうつり、
職場でお客様への手紙を書きながらも、
『◯◯様におかれましては、つつがのうあらしゃりますことと・・・』
などとタイピングしそうになったりした。

以前にここで、谷崎潤一郎のことを少し書いたが、
その続きとして、
わたし、Giovanniが、文章を書くにあたって少なからず影響を受けているのが、
宮尾登美子だということを、後日、書くつもりである。

宮尾作品は、文芸作品としてたいそう人気があり、
また、映画化、ドラマ化されている作品が多い。
その中でも、宮尾登美子の出世作とも言えるのが、
女性で初の文化勲章を受勲した、日本画家、上村松園の生涯を描いた、
『序の舞』である。

これもまた、京都を舞台とした作品で、
今から100年ほど前の京都の町家の暮らし、風俗、言葉などが、
生き生きと再現されている名作である。

この『序の舞』で描かれる京の町や、暮らしぶり、
そして生きた日々の言葉について、監修をしたのが、Nさん。
わたしも、親しみを込めて『おかあさん』と呼ばせていただいていた、
Nさんである。

宮尾登美子自身は、四国の生まれ育ちで、京都に住んだ事は無い。
その彼女が、物語の主人公に、京の町中を、
◯◯から××まで歩かせようとする。
すると、おかあさんは、
『そんだけの時間で、女の脚で、そないには歩けまへん』と、指摘する、
というように、物語により信憑性を持たせる役割を果たしたのである。

わたし、Giovanniと『おかあさん』の出会いは、
随分と旧い話となる。
(この話は、今回の旅の話と直接の関係が無いので、
後日、別にすることにしよう)

さて、今回の京都滞在は、数時間。
先日書いた、錦市場から、堺町通りへ抜け、
三条を通って河原町通りと交差するところのすぐ上の、
カトリック教会へ。

実は、早朝6時にバスが京都駅に到着し、
京都タワー地下の銭湯がオープンする7時までの約1時間、
わたし、Giovanniは、東本願寺へ。

東本願寺の御影堂と呼ばれる本堂は、
世界最大の木造建築物であり、今、大修復を行っている。
去年の秋の京都訪問時に引き続き、今回も靴を脱いで上がったのは、
こちら、阿弥陀堂。





















わたしの場合、仏教を信心する、ということでは勿論ないのだが、
古い歴史を持ち、信仰を集めた場所への、
一種の敬意を表すつもりで、ご本尊、阿弥陀如来様の前へ。
まだ、朝早い静けさの中で、
やはり同様の思いで訪れていると思われる、数名の男女と共に、
しばし瞑目のときを過ごした。

その数時間後、わたし、Giovanniは、
先述のカトリック教会の御堂で、ミサにあずかった。
京都に住んでいた時代に通った、懐かしい教会である。
ここにも、老若男女を問わず、
人間の英知を越えた、大きな存在に畏敬の念を表し、
また、その大きな慈愛の中に身を委ねる人々の姿が。

京都という町には、その長い歴史の中で芽生えた、
信心、信仰が、深く根付いている。

数百年という歴史の経緯の間には、
お互いの信仰を否定し合うことを発端とした、
悲しく醜い争いも、絶えることが無かったのは事実である。
また、現代の、世界の様々な地域で起きている争いの原因の多くは、
やはり、信仰の違いから来るものであると言われている。

京都は、今や日本国内にとどまらず、
世界中から、ありとあらゆる人たちが、訪れる町である。
国籍、人種、文化、そして信仰の違いなどを超え、
全ての人たちを包容する力量が、この町には十分にあると思う。

日本の、京都という町が、
世界を本当の豊かさと、平和に導くための役割を、
果たす事が出来る日がくることを、
わたし、Giovanniは、願ってやまないのである。
(つづく)

木曜日, 5月 18, 2006

旅 京都編その1

10年ちょっと前に、京都に住んでいた。
結構、町中で、最寄り駅は阪急河原町。

京都に住むことになった経緯は、
とても単純に、
『住みたかった』から。
フランス、インドと暮らして、
日本に帰国してきたとき、父親が長期休暇をとっており、
無職な親子3人で、慎ましくものんびりと、
海のある町で生活した。

海のある町は、夏は何となく、活気があるのだが、
夏が終わったとたんに、寂しげな空気漂い、
我ながら、『こんな所でこんなことしてていいのか?』と、
自問するようになり、
それじゃあ、と、
散髪をしに長距離バス(笑)で出かけた神戸の帰りに
立ち寄った京都で、
『あ!京都に住みたい!』

その翌週には再度京都へ向かい部屋探し。
で、さらにその翌週には引っ越していた。

そんな単純な気持ちで移り住んだ京都は、
噂に聞いていたような、よそ者イジメなどあろうはずもなく、
むしろ、誰をも暖かく包容してくれるような、
コスモポリタンの町という印象だった。

さて、歴史はこれくらいにして、
今回の旅の報告。

ご覧あれ、この色使い。





これが京都。
京都と言うと、古風な地味な、はんなりとした、
というようなイメージをお持ちの方もいるかと?
でも案外、そういう景色ばかりではない。
要するには、今の東京のように、国中の芸術/文化、
そしてそれを支える技術が集まって来る
町だったわけだからね。

この画像は、京の台所と言われている錦市場の
アーケード様の屋根。
錦市場も、居並ぶ店の趣が、以前とは随分
変わってしまったけれど、
それでも、
創業◯◯年、というような厳めしい看板を掲げた
乾物屋や、八百屋、湯葉屋など、
京都ならではな店も数多く残っている。

旧いモノと、斬新な物が、同居しても違和感が無い町。





以前、京都駅ビルが、超のつくほど近代的に
生まれ変わった時、
京都生まれ京都育ちのおばあちゃんが、
『これはこれで、京都らしおすなぁ』と、
語っていたのを思い出した。
(つづく)


水曜日, 5月 17, 2006

意外に。






読まれてます、このブログ。
一日、10回くらいは、誰かが訪問してきてます。
下手すると、20回近く、カウンターがカウントされてる。

素直に、嬉しいです。
独り言、みたいなブログだけど、そりゃあ、人に読んでもらえれば、
嬉しいに決まってます。

宣伝してもらっても、また、短くてでも良いから、
コメント書いてくれると、もっともっと、嬉しいに違いないです。

ただいま




一人暮らししてると、ただいま、と、言うことがない。
だから、ここで、みんなに向かって言う。

ただいま!

土曜日の夜、夜行バスで出発して、
さっき、飛行機で帰ってきた。

軽く、日程を説明しておくと、

土曜日 八王子発
日曜日 京都着 ⇒ 大阪 ⇒ 神戸泊
月曜日 神戸 ⇒ 鳥取泊
火曜日 鳥取泊
水曜日 東京着

てなかんじ。

一応、ポイントポイントで、
やるべきこと、確認すべきこと、などは
きちんとやってきた。

京都滞在は、実質、数時間だったんだが、
一番、思い入れが大きいから、
書きたい事はたくさんあるので、
別途、京都のまとめはやりたいと思う。

大阪は、比較的いつも素通りしてしまい、
神戸では、弟にビジネスを一つ斡旋。
神戸で生ビールと言えば、ここ、
"ミュンヘン"
で乾杯し、弟宅に宿泊。

翌日は、旧知の友人と、
"赤萬">で餃子とビール、
と、思ったら、午後2時から!
鳥取行きバスに間に合わないから、諦めて、別の店でお茶を濁す。

鳥取は、美味いもの三昧。
ここでは書ききれないから、これも後日ね。

てなことで、まあまあ、のんびりと楽しくやってきたものの、
明日から仕事と思うと、もう憂鬱。

来月末の西表島行きを楽しみに、
ぼちぼち行きますか。

土曜日, 5月 13, 2006

夜行バス、西へ







日曜日から水曜日まで、連休をとった。

夜行バスで、西へ行きます。

夜行バス。
色々な国で乗ったなぁ、と、思い出してみる。

タイのチェンマイからバンコクへ。
冷房が、超〜、きいていて、
おい、眠っちゃダメだ!死んでしまうぞ!
と、思うくらいだったが、
やはり、夜行バスなので、眠っちゃったよ。
死ななかったけど。

インドの南部では、
夜行バスに乗ったつもりは無かったけど、
真昼に、行き先もよく知らぬまま、
渡された、住所らしき(現地語だったので)ことが
書かれた紙片を手に、バスターミナルで乗ったバスが、
目的地に着いたのは、
空の星が燦然と輝くだけの、漆黒の闇夜。

バスドライバーから促されて降り立ったのは、
侘しい白熱球が、夜店のように、ほの明るく光る、
露店街の小さなバス停。

一体、どこへ行けば良いのやら、
皆目見当もつかず、途方に暮れそうになったとき、
道ばたの露店のおじさんに、
声をかけられた。

『日本人が来るから、来たら案内するように
言われてる』と。

ここを、まっすぐ行くと、教会の十字架がある、と、
案内されて、十字架を見つけたときは、
安堵した。

夜行バスって、何だか、愁いを含んだ感じがする。

別に、逃亡者が全て、夜行バスで旅するわけでも、
駆け落ちのときは、必ず、夜行バス、ということでもないが、
何となく、そういうニオイがあるような、
そういう人生を運んでいるような、
気がするのは、気のせいかな?

わたし、Giovanniは、
逃避行でも、駆け落ちでもない。

明日朝は、京都着。
早朝7時に、駅前で(京都タワー地下)
風呂に入るのが楽しみだ。

水曜日, 5月 10, 2006

土ものの優しさ

代わり映えのしない休日だが、
泳ぎに行って、ちゃんとご飯を作って、
美味しく食べた後、
いれるコーヒーは、格別だ。

今日は、普通のヴァニラアイスに、
蜂蜜をかけて、コーヒーと一緒に。

代官山の、和食器の店、
"room+J 代官山"の店主である、友人のhaalちゃんから、
以前、わたし、Giovanniの引っ越し祝いに、と、頂いた、
素敵なカップに、cafe noirをたっぷり注いだ。










普段、比較的、硬質な陶器の食器を使うことが多いので、
手しごとの、こういう土のものの優しさに、ほっとさせられる。

世の中、色々な事が、便利に、簡便に、
機械化されたり、整備されたりして、
それはそれで、現代生活ということなのだろうけれど、
やはり、どこかで、優しいものや温かみののあるものを、
人間は求めているのではないかと思う。

イタリア製のテラコッタの植木鉢に、
ローズマリー、パイナップルミント、タテナミ草など、栽培中。
夏に向けて、バジルも育てなければ。




小さいけれど、我が家の、ガーデン。

クリーミーな泡野郎めが!

ちょっと、お下品なタイトル?
いやぁ、だって、クリーミーなんだよ、コレ。



たまに行く、Irish Pubなんかだと、
お兄さんが、バースタンドに備え付けの、
でかいハンドルがついたマシンで、
ゆーっくり、ゆーーっくり、
グラスに注いでくれる。

すると、グラスの上7分の1くらいが、
まるでカフェクレムの如し色の、クリームのような泡になる。
で、この泡がまた美味いし、最後まで消えないのだ。

やっぱり、ギ◯スはPubで飲まなきゃだめだな、
と、思っていた。

が、なななんと、
家でもこのクリームを再現することができる、
画期的なしくみになっていた。
(いつからなってたのか、知らないけど、最近、発見した)

缶のギ◯スの中に、”フローティング・ウィジェット”と
呼ばれる、白いプラスティックの玉が入っていて、
缶を開けると、缶の中の圧力が一気に解放され、
このサージング(泡立ち)が起きる、というしくみ。

これで、家にいながらにして、Pub気分!
こつは、液体をグラスに、ゆっくり注ぐ事だな。

黒ビールのつまみには、ちょっと淡白過ぎるかと思ったけど、
今日は、近所の八百屋で、蕨を買ったので、おしたしにした。
それと、一緒に、鶏のササミをショウガを効かせて
茹で冷やしたのを薄く切って芥子醤油で。




ああ、今宵も幸せなり。

火曜日, 5月 09, 2006

Giovanniについて語る@明大前

4人目は、こんなことを言ってる

月曜日, 5月 08, 2006

たまには、恋の話?

恋は、甘い?それとも、苦い?

今から数年前、Aと偶然出会った。
それこそ、ビビビ!
目と目が合って、恋に落ちた。

最初のデートは、駅前の小さなイタリアンレストラン。

メニューは2枚。なのに、1枚は捨て置き、
1枚のメニューを間に挟み、
あぁでもない、こうでもないと。

前菜は、5種盛り合わせにしよう。
パスタが、ホワイトソース系だから、
ピッツァは、トマトソース系がいいね。

イタリアンの楽しいところは、
一つの皿から、二人で取り分けて食べる、
カジュアルさ。











これ、美味しいよ。
どれ?ホントだ!こっちも食べてみて!
ルッコラって、ゴマみたいな香ばしさがあるね?

あぁ、幸せ。

カラフェの白ワインも、
順調に、二人の胃袋を満たして、心もいっぱい。

二人で分け合って食べたお皿が、
テーブルから下げられて、さて、これからがいよいよの真骨頂。
デザートタイムである。

再び、メニューを取り寄せて、
幾つも並ぶ、スイートな名前たち。

●ティラミス
●洋梨のタルト
●リコッタチーズケーキ
●ダークチェリーのパイ

あぁ、決まらない。決められないよ。

結局、選んだのは、
甘い恋が、下の上で溶けるようなジェラートの盛り合わせ。









じゃ、あとはエスプレッソね。
君も、エスプレッソ、飲む?

デザートと一緒に飲む、濃厚なコーヒーは、
まさに、ディナーのクライマックス!
最初の前菜から、サラダ、パスタ、ピッツァ、
そして、ジェラートの、全ての味と、
今ここで、お別れをし、
このコーヒーで、舌をリセットする。

この後は、脳のどこかにインプットされた、
味の記憶を、微かに思い出しながら、
余韻を楽しむだけ。

え?コーヒー飲めないの?苦いから?
あ、そうなんだ?まぁ、それは仕方ないよね・・・

これが、
何かを予感させるような、その日の食事の結末・・・

***********************

楽しく美味しい食事の、
最後にして最高の山場であるコーヒー。
これを分かち合うことができなかった、Aとは、
長続きすることなく、
終わった。







恋は甘い、でもコーヒーは苦い。
でもやっぱり、苦いコーヒーが好き。

日曜日, 5月 07, 2006

Giovanniの文章読本 その壱

このブログを、本格的に始めて、2ヶ月になる。
努めて、毎日少しでも文章をUPしようと思っているが、
眼精疲労が酷くなっているので、ややセーブ気味。

勿論、わたし、Giovanni、
文章を書く事を、専門的に学んだ訳でもない、
全くの我流なのであるが、
ここで、文章を書くにあたって、色々と気をつけている事がある。

やはり、正しい日本語、ということには、
とても注意を払うようにはしているつもりである。

世の中に、新しい表現方法や言い回し、言葉などが、
どんどん生まれていて、
何が本来の正しい日本語の姿であったかを、
忘れそうになることもある。

そんな時、わたし、Giovanniが、
自らの文章の手本にしている、3人の作家がいる。

谷崎潤一郎は、日本の近代の偉大な作家の一人である。
この作家の人となり、また、作品について、
わたしが、とやかく評を呈するつもりは全く無い。
むしろ、個人的なオマージュとして、
谷崎と、わたしについて、書いてみようと思う。

















今にして思うと、わたしが彼の作品
『細雪』と、どのようにして出会ったか、という
明確な記憶が無い。
気がつくと、『細雪』は、わたしのいちばんの
愛読書になっており、
長旅には、必ず、文庫本(3冊に分冊)を携帯し、
ときには、一度の旅に、2、3度と読み返す事がある。

内容の詳細については、割愛するが、
この物語の舞台は、戦前の兵庫県芦屋/神戸/大阪である。
物語は、大阪船場の大店(おおたな)の4人姉妹の、
時代に翻弄された人生を中心に、
当時の関西の、いわゆる上流に属する階級の、風俗などが
描かれている。

まるで絵巻物のような、淡々とした語り口調で、
それでいて、次にどのような絵が現れるか全く予想も付かない、
ストーリーの妙を感じさせられる大作には、
何度読んでも、ぐいぐいと引き込まれてしまう。

芦屋、神戸は、わたしGiovanniにも、
親しみのある街であり、
この物語で、主人公らが話す、話し言葉には、
なおさらの親近感を感じるところから、
遠い外国の地での長い旅には、欠かす事ができないのである。

さて、わたし、Giovanniは、先に、測らずしも、
谷崎潤一郎の作品を、自らの文章の手本、と、書いた。
しかし、そんな烏滸がましい事のあることだろうか?
手本、と勝手に思っているだけのことで、
谷崎の持つ豊富な語彙、そして、文章を著す技能など、
わたしには、足下にも及ばない。

谷崎文学のみ限らず、文豪と言われる人たちの作品の中で、
わたしが多く学ぶのは、漢字の用い方である。

『細雪』の中で、
4人姉妹の中でも、最も奔放に生きた、末娘の妙子が、
身分違い、と、姉たちから嗜められた、
丁稚上がりの写真家、板倉と、自由恋愛に陥るという
エピソードがある。

このエピソードは、板倉が簡単な耳の手術から、
体内に黴菌が入り、脚を壊疽(エソ)に冒され、
壮絶な悶絶の末、亡くなるという結末で終わるのだが、
その直前、田舎から板倉の年老いた両親が呼び出され、
このまま放って置けば、息子さんは助かりません、
脚を切り落とせば助かります、と、
親としての決断を迫られる。
だが、田舎の人は、何かにつけて決断力が無い、と、
この物語の主人公らにも揶揄される、板倉の両親は、
ただ、おろおろとするばかり。

ここで、谷崎は、
この二人の老人が、病院の廊下の隅で、ひそひそと話す様を、
『頭を鳩めて』という表現を使っている。

鳩の頭が、小刻みに前後する様子が、
自分たちの息子が、今眼前で、死ぬか生きるかという状態にある、
この老いた両親の様子に、いかにもぴったりとくる表現である、
と、この件に到達するたびに、感心させられる。

谷崎の、絵巻物文学を、現代に受け継いでいる、とも言われているのが、
宮尾登美子である。

水曜日, 5月 03, 2006

川のある豊かな暮らし





♪武蔵野の大地を、流れる多摩川のように、
清らかに、おおらかに、生きて行きたい・・・

もし、誰かが、多摩地域の小学校の校歌の作詞を、
わたし、Giovanniに、依頼してきたら、
こんな歌い出しにしようと思っている。

川のある暮らしは、素敵だ。
古代文明の時代から、人間の生活には、
断然、川があるほうが良いに決まっている。

東京という大都会の、比較的西の地域を流れる、
多摩川。

例えば、インドのガンジス河のような、
神々しさは無いし、
黄河のような、ダイナミズムも無い。
かと言って、とびきり美しい自然を残した川、
というわけでも無い。

どちらかと言うと、都会に相応しい、
コミュニティー・リバー的な役割がある、
と、言えるのではないか?

コミュニティー・リバーなどという概念が、
あるかどうか、実は知らないが、人が集う川。
健康維持のために、
朝夕、ウォーキングやジョギングをする人。
暖かい季節の休日ともなると、
バーベキューを楽しむ仲間たち、
お手製弁当を広げる家族連れ、など。
世代や性別関係無しに、多くの人が集う川。

無謀な開発や、環境の破壊が、
残念ながら、川そのものの規模を随分と
縮小させてしまったのは、明らかである。
元々の川幅の、3分の1の水量も無いほどである。
逆に、ちょっとした台風などで、
すぐに、水位が上がり、川は氾濫する。

現代の、都会に住む我々に、
時に、自然の大きな力は、人間にとっての
脅威になる、ということを、
思い出させてくれる、川。

真冬の日差しの無い川岸は、
見ているだけで、凍てつくような寒さの中にも、
溌溂とした、潔さのようなものを見せてくれる。

川のある生活は、素敵だ。
豊かな日々は、川と共にある。

***************************

今日は、多摩川沿いを、川下へ自転車を走らせた。
眩しい初夏の日差しの中、
普段なら、よく口ずさむ歌まで、忘れるくらい、
川と、川岸で遊ぶたくさんの人たちを、眺めることに
忙しかった。

1時間ほど下った所で、自転車を止め、
友人に電話をしたところ、仕事が休みで家にいる、とのこと。
川まで出て来るので、お茶でもしようよ、と。
やって来た彼女と、お茶ならぬ、
赤ワインのボトルと、チーズを買って、川岸の土手に腰掛けた。

ここんところ、どうなのさ?
仕事の話やら、彼女の彼氏の話やら、
四方山話に、花をたくさん咲かせながら、ワインを空けた。










時折、話題が途切れても、キラキラ輝く川面が、
退屈さを感じさせない。
時間が、ゆったりと流れているような気がした。

高い所で燦々と輝いていた太陽が、
少し低い場所へ移動すると、思いの外、風が涼しくなり、
暗くならない内に家に辿り着くため、岐路につくことにした。

楽しかったね、また、やろうね。
そう、友人が言ったので、うん、やろうやろう、と返事をした。

ただ楽しいだけじゃなくて、豊かだなぁ、と、
わたし、Giovanniだけじゃなく、彼女も思ったに違いない。

***************************

多くの文明が、大きな川の岸辺で、命を与えられたように、
現代に生きるわたしたちにも、
川は、こんなに豊かなものを与えてくれる。
新しい文明が、ここでまた生まれる、というよりは、
わたしたちが、何千年も昔に、川から教えられ、
そして既に失ってしまった大切なことを、
もう一度、思い出させてくれる。

清らかに、おおらかに、川のように生きる暮らし。

月曜日, 5月 01, 2006

エミール

うちの犬の名前は、エミール。
見て見て。これが、うちのエミール。













てへへ、ぬいぐるみさ。
大の大人の男が、ぬいぐるみですかい?
旦那ぁ?

いや、大人の男だって、ぬいぐるみ、
可愛がったっていいだろっ!
本物の犬を飼う事ができるような生活ではないけど、
わたし、Giovanni、無類の犬好きなのである。

本物の犬の代わりに、このぬいぐるみの
エミール君が、わが家を守ってくれている。

エミールという名前には、大切な思いでがある。

20年前に、滞在していた、フランスのコミュニティーで、
わたし、Giovanniの最初の担当修道士が、
ブラザー・エミールだった。

カナダ生まれの、とても聡明で、繊細な印象を持つ人で、
良い意味でも、コミュニティーの中で、
エリートっぽい感じがする人だった。

わたしが住んでいた、Le Puits(井戸という意味)という
名前の付いた家には、
他に、メキシコ人のMarioとGeraldoが住んでいて、
我々3人と、ブラザー・エミールとで、
週に2回、読書会をしていたのだが、
まだ、そこでの生活に日の浅かったわたしには、
退屈な、夕方の30分だったことを、覚えている。

その後、わたし、Giovanniは、
そのLe Puitsの管理人の仕事を任される事になり、
ブラザー・エミールとの、二人三脚が、
一年位、続いた。

このコミュニティーは、
キリスト教の、旧い修道院の伝統を受け継いだ共同体で、
一日に3度ーー朝食前、昼食前、そして夕食後ーーの、
お祈りの時間がある。

夕食後の祈りは、一時間ほどで、修道士たちが退堂し、
その後、会衆たちが残って、静かに、時には、深夜まで続く。

ところが、ある日、修道士たちが皆、退席した後、
ブラザー・エミールだけが、残っていたことがあった。
何か、特別な役割があってとか、そういう様子ではなく、
頭を低く垂れて、ただ、祈り続けているようだった。

その彼の姿は、見ようによっては、
何か苦悩に満ちたようにも、
また、何かに癒されるのをひたすら待ち望んでいるようにも、
見えた。

普段のブラザー・エミールとは、
別人のような、その白いローブを身に纏った後ろ姿に、
わたし、Giovanniは、いたたまれない気持ちを
感じざるを得なかった。

彼の為に、何ができるだろう?

わたしの答えは、ただ一つだった。

それから、何十分もの間、
わたしは、彼のすぐ後ろで、一緒に祈ったのだった。

どれだけの沈黙が、礼拝堂に流れただろうか。
ブラザー・エミールは、
静かに立ち上がり、退堂していった。

彼と、わたしの心に、
何かしら、熱い思いが流れたのを、
わたしは感じながら、
わたしも、自分の家へ、帰って行った。

自分の部屋のドアを開けようとしたとき、
ドアの下に、小さな紙片を見つけた。

『ありがとう。Giovanni』

ブラザー・エミールの筆跡だった。

***************************

うちの愛犬、エミールが、
わが家へ最初にやってきたとき、
当たり前のように、エミールと、名付けた。
もちろん、ブラザーの名前を取って付けたのは、
説明するまでもない。

***************************

わたし、Giovanniがフランスを去ってから、
18年が経った。
その後、コミュニティーを二度訪ねたが、
最後に訪ねた10年前には、生憎、
ブラザー・エミールは、旅へ出ていて会う事が
できなかった。

明日は、わたしが、最初にコミュニティーへ到着した日から
ちょうど20年の日である。

ブラザー・エミールに、メールを送ってみようと思う。