日曜日, 12月 30, 2007

今年のクリスマスメッセージ、その後


Ciao! Giovanniです。
あ、コレ、久しぶりに言った。前は毎回コレで始めてたはず。

さて、早いもので今年も残すところあと二日となった。
今年は、例年にないくらい時が経つのが早かったような気がする、
わたし、Giovanni。

ここ何年か、クリスマスに、職場の仲間たちに向けて、
ちょっとしたメッセージを送ることにしている。
職業柄、クリスマス=売り上げを穫る材料、のようになるのは、
こういう職業を選択した以上仕方の無いことだからこそ、
せめて、クリスマスの本当の意味を、少しでも良いから
知ってもらえたら嬉しい、そう思ってのことだ。

今年は、こんなメッセージを職場の何人かと、
その他の友人にも、携帯メールで送信したのだった。

『いちばん身近な人たちだからこそ
難しいけどちゃんと伝えたいこと。
本当のクリスマスについて 少しだけ知ってもらえれば嬉しい。
クリスマスは 家族や友だちと過ごして
楽しんだり喜んだりする日だけど そんな時に 一つ忘れないで欲しい。
世界中には今も貧困や戦争があって
絶望や悲しみにうちひしがれる人たちがいる。
或いは自分たちのもっと身近にも
孤独や人知れない悲しみの中に立ちすくんでいる人たちがいる。

そんな 遠くに近くにいる全ての人たちと
希望や喜びを分かち合う日、それが
クリスマス

暗闇に明るく光る星を見つけた日、それが クリスマス!』

あまり、キリスト教っぽくなるのは、
送られたほうも、困ってしまうだろうから、
色々と言葉を選んで、こういう文章にしてみたのだけれど、
どれだけ、伝わっただろうか、と、半信半疑だった。

しかしながら、それぞれが、それぞれの思いを込めて、
短い返信をくれた。

食事の前にお祈りをした、色々と考えさせられた、
みんなが今までよりももっと幸せになれるようにと思った、
クリスマスにたくさんの良いことがあるようにと思った・・・

あぁ、みんなそれぞれに、そういう思いが心の内に
あるのだなぁ、と、思って、
こちらの心が、じんわりと暖かくなるのを感じた。

中でも、もうかれこれ7、8年ものおつきあいになる、
職場近くのcoffee shopで働く、
Eさんからのメールには、心を打たれるものがあった。

『ありがとうございます!豊かな言葉のプレゼント。
あたしは色んな思いを抱えている人と
コミュニーケーションをとって心に小さな灯火をともせる人になりたい。
まずは家族、友達、井の頭から。
Giovanniさんも心穏やかなクリスマスを…』

心に灯火をともせる人、
誰かの暗闇に、小さな光を灯してあげることのできる人。
彼女が、そういう人になりたいと思っていること、
それが、もう既に、灯火であるということなのだと、
わたし、Giovanniは思う。

画像は、カトリック渋谷教会のお御堂ステンドグラス。

金曜日, 12月 21, 2007

いちばん長い夜に

今年は早々と、9月23日の日記に既に、
わたし、Giovanni、冬至のことを書いている。

『ヨーロッパの人たちが、
冬の暗さや寒さから来る、気の滅入りを、
少しでも和らげるために考えたのが、クリスマスだ、
という説を聞いたことがある。
クリスマスを12月25日とする根拠は、
実は聖書などには無くて、
古代ヨーロッパに既に存在していた太陽を祀る祭と、
キリストの誕生を結び付けた、という説である。
その太陽の祭が、
一年で一番夜の長い冬至の明け、
すなはち、太陽が夜の闇に打ち勝ち、
これから段々と日が長くなるというタイミングで、
祝われた、ということである。
そこに、キリストという救世主の誕生を結びつけて、
盛大にクリスマスを祝う根拠にしたわけである。

そういうことは別としても、
長く暗い冬の夜を、クリスマスを待ち望む喜びや楽しさ、
例えば、ドイツのクリスマス市などもそうだが、
そういうもので紛らわせるというのは、
一つの人間の知恵だったのかも知れない。』

クリスマスの本当の意味を、今自分の身近にいる人たちに、
巧く伝えるのは難しいことなような気もする。
それだけ、クリスマスの価値観が、
本来のものとは、かけ離れたものとなり、
それがそれで一人歩きして随分遠くまで行ってしまっているからだ。

そのような、一人歩きしてしまったクリスマスを、
批難したり、悲観したりするつもりは無いが、
願うならば、
みんなが、少し立ち止まって、
いちばん長い夜に、いちばん静かな夜に、
暗闇で目を凝らし、静寂の中で耳を澄ましてくれたら、と、思う。

世界の多くの国や、地域で、今もまさに、
いちばん長い夜の暗闇の中で、
どこかに、自分たちに希望があることを報せる、
小さな星の光がまばたいではいないだろうか、と、
目を凝らしている人たちが、いるということに、
気がつくことができたなら。
そういう人たちの、囁くような小さな声に、
耳を傾けることができたらなら、
クリスマスは、もっと、本来の喜びと、明るい光で、
素晴らしいものとなるのだと思う。

冬至の前日を、
キリスト教の幾つかの暦が、聖トマスの日としている。
聖トマスは、キリストの弟子の一人だが、
キリストが、十字架にかかって死んだ後、
三日目によみがえって現れた時、
その復活を信じなかった、疑いの心の持ち主だった。

復活したキリストに、
自分の脇腹を手で触れてみるように、促されて、
初めて、その復活を信じたトマス。
この『疑いの心』から、『信じる心』への移り変わりを、
いちばん夜が長い今日の日と、
明日から始まる新しい日の境目になぞらえて、
聖トマスの日としたのだと言う。

悲しみから喜びへ、憎しみから愛へ、分裂から和解へ・・・
世界中の、そして、わたしたちの中の、
全ての闇が、今日のこの日を境に、
だんだんと、希望にあふれる光へと変わっていきますように。

いちばん長い夜に、
わたし、Giovanniは、そう祈ってやまない。














冬至行き トマスも心 晴れ渡り

水曜日, 12月 05, 2007

晴れた冬の日に

社内監査があったのだけれど、
監査前の準備の担当を任されていた、わたし、Giovanni。
100点満点のところ98点という結果は、
一見、なかなかのものと見えるが、
『監査100点』を目標に掲げていたから、
100点取れなきゃ、仕方が無かったわけである。

その監査のお疲れ休みという意味で、
昨日今日と連休だった。
特別な予定も何も無かったのだけれど、
それでも冬の冴えた晴天を仰いでみたら、
どこかへ行きたいと思った。

電車とバスを乗り継いで・・・
などと思いを巡らせている間に、
冬の昼間は短く、気がつけば自分の影が、もう、随分と長く、
積もったイチョウの落ち葉の鋪道に映っていた。














そう、結局の所、どこへも行かず、
いつもの休日と同じように、
泳ぎに行った、わたし、Giovanni。

プールの帰りに、都内でも有数のY公園を散歩した。
寒い中、たくさんの人が、散歩したり、
色づいた木々をカメラに収めたりしていた。

晴れた冬の日は、わざわざ遠くへまで出かけなくても、
都会の真ん中の公園で見上げる青空さえ、
とてもクリアで、眩しくて、清々しい。

しかも、空の碧に映える、
様々な色の木の葉の彩りが美しい。