日曜日, 9月 23, 2007

冬至と浴衣

ここ数日は、突然、気圧配置が大きく変わったのか、
ほんの少し前までのムッとした残暑を忘れ、
朝晩など、ひんやりとすらする。

前から何度も話しているが、
この、気圧配置の大きな変動が、
わたし、Giovanniの大きな弱点なのである。
冬眠する森の動物たちのように、
季節の変わり目の、大きな変化を、じっと眠ってやり過ごす。
眠っている間に、ゆっくり体を馴らしていく。
学生時代なんかは、こういう季節、
うっかりとすると2、3日くらい学校をサボってしまったり、
などということもあったが、
流石に、仕事をしているとそういうわけにはいかず、
その分、休みの日は、何となくダラダラ、ズルズルと、
一日を送ってしまう。
暫くは、そういう休日が続きそうな、季節の節目である。

こうなると、もう仕方ない。
夏は終ったと観念せねばならない。
もう、秋が始まったのだと、腹をくくらなければ。
何を大げさな、とおっしゃるやも知れないが、
これがわたし、Giovanniにとっては、大きなできごとで、
秋から冬の季節に滅法弱いのである。
卵が先か、にわとりが先か、と同様、
体と精神と、どちらが先になるのかは分からないが、
秋冬は、先ず、精神的に駄目になってしまうのだ。
気が滅入る、という表現そのままに、
奈落の底の深い深い場所へ、ずーっと気持ちが引きずり込まれ、
その暗い淵から這い上がることが出来なくなるような感覚。
そういう感覚が、12月の冬至まで続く。
(夜が一番長い冬至を過ぎると、
まるで憑き物が落ちるように、気分が軽くなるのだ)
だからこそ、わたしにとっては、
この”夏の収束を受け入れる”ということが、
大きな覚悟の必要な、毎年の一大イヴェントなのである。

ヨーロッパの人たちが、
冬の暗さや寒さから来る、気の滅入りを、
少しでも和らげるために考えたのが、クリスマスだ、
という説を聞いたことがある。
クリスマスを12月25日とする根拠は、
実は聖書などには無くて、
古代ヨーロッパに既に存在していた太陽を祀る祭と、
キリストの誕生を結び付けた、という説である。
その太陽の祭が、
一年で一番夜の長い冬至の明け、
すなはち、太陽が夜の闇に打ち勝ち、
これから段々と日が長くなるというタイミングで、
祝われた、ということである。
そこに、キリストという救世主の誕生を結びつけて、
盛大にクリスマスを祝う根拠にしたわけである。

そういうことは別としても、
長く暗い冬の夜を、クリスマスを待ち望む喜びや楽しさ、
例えば、ドイツのクリスマス市などもそうだが、
そういうもので紛らわせるというのは、
一つの人間の知恵だったのかも知れない。

話が、随分飛躍してしまったけれど、
わたし、Giovanniも、そういう季節だからこそ、
静かな秋冬の夜を、少しでも気分を紛らわせながら
過ごしたいと思うわけである。
例年、このブログにせっせと文章を書いたり、
好きな長編の小説を、読み返したり、創意工夫してみている。

そんな今年の秋冬には、ちょっとした一仕事が。

毎年、夏が始まると、
今年こそは、浴衣を着るぞ!と、思い立つのだが、
生まれてこのかた、一度も自分の浴衣を持ったことがない。
数年前から、毎夏の初めに、浴衣を作る宣言をするが、
叶った試しがない。

今夏も、御多分にもれず、
作年の夏の終わりに、仲良しのAちゃんという女の子と、
来年の夏前に、浴衣の生地を見に行こうと、
固く約束をしたはずなのに、
結局、今年の夏、Aちゃんに会ったのは、
混雑する電車の乗り換えの通路と、
飲み会帰りの駅前の繁華街だった。

しかしながら、どうしても今年こそは、
という気持ちもあったので、
まだ、今からならひょとすると間に合うやも知れない、と、
8月の終わりに、駆け込むようにして、
生地代と別に、5千円で浴衣を仕立ててくれるという店へ、
生地の見立てに一人で行ったのだった。

賢明な読者のみなさんは、お察しかと思うけれど、
いかなることでも、人と同じは極力避けたいのが、
わたし、Giovanniの常。
以前から、紺地や黒地に白い縞、なんていう生地は、
全く念頭に無く、
考えていたのは、茶色の細かいギンガムチェックの浴衣。
斬新じゃないですか?ギンガムチェックと言えば、
ボタンダウンのシャツか、テーブルクロスか?
で、そんなつもりで生地を選びに行ったのだけれども、
色々吟味しながら、綿のものよりは、
麻の方がシャリ感もあって、良いかという結論に。
そこで、麻のコーナーを覗いてみたら・・・




見つけた、これぞまさに、Giovanni的な柄ゆき。
コーヒー多めのカプチーノ色の地に、比較的明るい水色の格子。
この生地を見つけて、
すぐさま思い描いた全体のコーディネートは、
格子の水色に合わせた青系の帯で、足元は、革のサンダル。
そんな、いでたち。

しかも、夏の終わりの特価品で、赤札のついた反物を持って、
いそいそと、申し込みカウンターへ、と、ふと、
みると『かんたん、浴衣ソーイング』。
自分で浴衣を縫う人のための、型紙ではありませんか!
即座に、わたしの頭の中の計算機が、はじき出した答えは、
『型紙が500円だから、自分で縫えば4500円のお得!」
という答え。
4500円と言えば、結構なお代ですよ、旦那ぁ〜と、
自分で自分に言い聞かせた。

裁縫は初めてではないが、浴衣を縫うのは生まれて初めて。
先ずは、型紙とにらめっこから。
ようやく、型紙を切り抜くところまで辿り着いた。
これから3ヶ月かけて、完成させる予定である。

これからの、秋の夜長、縫い針をチクチクと進めながら、
わたし、Giovanniは、何を思いながら過ごすだろう?
浴衣作りの進捗は、随時ここでまた、
ご紹介してゆきたいと思っているが、
何はともあれ、このシーズンを乗り越え、
無事に冬至の日を迎えられるようにと、切に願うだけである。

水曜日, 9月 19, 2007

毎日書く、日記なるもの

『日記(にっき)とは、日々の出来事を記した記録で、
今日では文学の一ジャンルに数えられており、
文学の最も初期のかたちのひとつとも見られている。
あるいは、初期のかたちという以上に、
人がものを書くという行為の原初的なもので、
文学という概念以前のものといってよいかもしれない。
英語では、Diaryという表現の他に
Personal journalという表現もなされる。』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

だそうだ。

以前にも、何度かここで話したが、
自転車通勤をしている間の時間というのは、
日頃考えたり、思ったりしていたことを、
思い切って、ことばにするための時間であったりもする。
あったりも、と、言うのは、
必ずしも、いつもそのための時間だけであるのでなくて、
場合によると、
カラオケばりに好きな歌を熱唱する時間であったりもするからだ。

思い切って、ことばにするための時間。
そう、口に出して言ってみると、
自分の思考が、すんなりとまとまったり、
当然に思っていたことの、矛盾点を発見できたりする。

口に出して、(実際に声に出す、出さないは別として)
表現するときに、
それはやはり、聞き手を想定して、ということになるのだが、
わたし、Giovanniの場合、
どちらかと言うと、読み手を想定した、
書きことばを、丁寧に選ぶことに重きを置いていると、
自分では思っている。

昔から、文章を書くことが好きだった。
起承転結を明確に意識することは、あまり無かったかとは思うが、
1000字以内で書く小論文とかを、巧く落ちをつけて、
しかも、最後の一マスに、『。』を書くときの満足感。
学校へ行くことは、どちらかと言うと、あまり好きではなかったのだが、
国語の時間、特に、作文の授業となると、
俄然張り切っていたのではなかったかと思う。

しかしながら、毎日書く、日記というものは、
あまり得意ではなかった。
そもそも、毎日、決まったことを継続してやるという
粘り強さなどは、欠けていたし、
今日はこんなことがあって、あんなことをした、
などという、さらりとした文章を書くのは苦手だった。
練りに練って、何度もことばを並び替えたり、
より相応しい単語を、吟味したりしながら書く文章のほうが、
得意だったのだ。

通勤時間に、誰かに読み聞かせるようにして作りあげる
わたし、Giovanniの文章。
しかし、残念なことながら、自転車をこぎながらであるが故に、
その文章を、書き留めることはないままである。

そんな、日々、生まれて忘れられていく文章を、
少しでも、ここに、
自らの記録として、記憶に残すため、
書き記して行くことができれば、と、改めて思うのである。

毎日書く、日記。
三日坊主ということばが、似合う日記にならないように、
と、願ってやまない。



今年初めて拾った、ドングリ。
わたし、Giovanni、昔、
お寺の裏山でドングリを1000個拾ったことがある。

火曜日, 9月 18, 2007

今宵、再び、丸いテーブルを囲めば

まずは、このブログを始めてすぐの頃の、こんな日記を
改めて読み返してみたい。

『もう、かれこれ20年くらい、
わたし、Giovanniは、自分の”丸いテーブル”を探し求めています。

20年前に、生活をしていた、
フランスのcommunauteのダイニングテーブルの中に、
丸いテーブルが幾つもあったのだけれど、
いつか自分も、こんな丸いテーブルのある生活をしたい、
と、Sister Tessaにもらしたところ、
Oh, Giovanni! I am sure that you will find
your own round table one day!
と、彼女はキッパリと、言ったのでした。

あれ以来、彼女の言葉を信じる、その根拠も知らないまま、
ずっと、変わらずに、自分自身の”丸いテーブル”を
わたし、Giovanniは、探し求めているのです。

丸いテーブルって、何なんだろう?

例えば、相互の利害関係に大きな緊張感を持った国々が、
何かの交渉ごとを行う場合、
丸いテーブルを囲むという光景を、
みなさんは、観た事ないでしょうか?

日本の、上座、下座というような、位置関係による
人間関係のランク付けのようなものって、
世界の様々な文化の中にもあるのではないかと思うのです。

そういうランク付けを、完全にではないにしろ、
かなり、無視することのできる方法が、
丸いテーブルを囲む、ということ。

四角いテーブルだと、どうしても、
『ああん、何で俺はこんな角っこなんだよぉ!』のような、
不公平感が生まれてしまうけれど、
丸いと、何だかそれだけで、円満な感覚を覚えませんかね?

フランス時代、Le Puitsー井戸という意味ーという名前のついた、
可愛い家の管理人をしていたことがあります。
そこは、communauteの宿舎になっていて、
1週間単位で、20人程度の人が宿泊する施設でした。

その家のダイニングテーブルは、大きな木製の丸いテーブルで、
随分古い物のようでした。
その日の宿泊者人数に合わせて、食事前に
テーブルセッティングをするのですが、
20人分をきっちりセットして、
皆が席に着いて食事を始めようとするころに、
飛び入りや、たった今アメリカから到着、南アフリカから到着、
というような人たちがやってきたりして、
慌てて、椅子を足したり、スープ用の皿を取り出したり。

そういう時でも、丸いテーブルであれば、みんなが少しずつ、
自分とテーブルの距離を遠くするようにすれば、
難なくみんなでテーブルを囲む事ができるのでした。

ともに食卓を囲む、という事の大切さを、
現代に生きるわたしたちは、どんどん忘れてしまっていないでしょうか?

個人の意志や、志向が尊重されることは、
それはそれで意義のあることです。

しかし、一つの食卓を囲み、
同じ皿から同じ食べ物を分け合って食する、という、
人間の最もシンプルな、共同体としての行為を、
わたしたちは、急速に失ってきているということに、
危惧を感じる事すら無いのでしょうか?

一つの家族ですら、
親子が別に食事をするとか、兄弟が別の物を食べるとか。
家庭における食卓も、
今や人間社会の最も基本的な共同体ユニットである家族にあっての
役割を果たす事がなくなってしまったのでしょうか?

みんなで、丸いテーブルを囲むということ。
わたし、Giovanniは、これを求めているのです。』

ちょっと若い感じのする、初々しい文章に、
自分ながら、少し照れる気がするのだけれど・・・

実は、ここ数ヶ月、このブログという場所を借りて、
自分は何を伝えたいのだろうか?何を分かってもらいたいのだろうか?
と、言う、大きな疑問にぶつかって、
行き止まりの迷路から、抜け出すことができないでいた。

何か、無理矢理、それらしいことを書こうとすると、
そんな文章は何だかよそよそしくて、
自分ではないような気がしてしまい、
書きかけては、放り出し、しているうちに、
自分の本当のことばを、失ってしまったようにも思えたのだった。

つい今しがた、
明日、仕事が休みだというのを良いことに、
パソコンの前で、ネットサーフィンに興じていたのだが、
ふと思いたって、こんな文字を入れて検索をしてみた。

”Les souers de St. Andre"

これは、ベルギーに本部を置く、女子修道会の名前で、
今、読み返した、昔の日記に登場する、
Sister Tessaが属している修道会なのである。
今までにも、同様に、彼女たちの修道会の名前で、
検索をしたことがあったはずだが、
これという検索の結果が出てきたことはなかったのに、
比較的最近のアップなのだろうか、
今日は、この修道会のwebサイトが紹介されたのだった。

そこには、
彼女たちのvocation、つまり、キリスト教で言うところの”招命”、
修道会の歴史や、現在の活動などが、
フランス語で紹介されていた。

サイトの最初のページに、
15、6名のシスターたちが、家の前で集まったところの
写真が掲載されていた。
懐かしい顔ぶれが何人もいて、嬉しくて目が釘付けになった。

その面々の中に、
別のシスターたちの後ろで、ちょっと隠れるようにして立っている、
Tessaの姿があった。
写真が小さくて、はっきりとは見えないが、
グレーがかった瞳の色が、より薄いグレーに見え、
縮れてフワフワとしていた髪も、
心無しか、グレーがかったように見える。
彼女に最後に会ったのが、12年前。
月日がそれだけ経ったことを物語る写真である。

彼女が、
まだ随分と若かった、わたし、Giovanniに、言ったことば、

『いつかあなたも、
あなた自身の丸いテーブルを見つける日が来るわ』

が、この一枚の写真の中で、
少しはにかんだようにして、それでも、
あの頃と全く変わらない笑顔でいるTessaによって、
改めて、鮮やかに思い出された、今宵。

そして、
わたし、Giovanniが、
このブログを読む全ての人、あなたに、伝えたかったこと、
それが何であるかを思い出した、今宵。

再び、あなたと、
この”丸いテーブル”を囲みたいと思って止まない。