改めて読み返してみたい。
『もう、かれこれ20年くらい、
わたし、Giovanniは、自分の”丸いテーブル”を探し求めています。
20年前に、生活をしていた、
フランスのcommunauteのダイニングテーブルの中に、
丸いテーブルが幾つもあったのだけれど、
いつか自分も、こんな丸いテーブルのある生活をしたい、
と、Sister Tessaにもらしたところ、
Oh, Giovanni! I am sure that you will find
your own round table one day!
と、彼女はキッパリと、言ったのでした。
あれ以来、彼女の言葉を信じる、その根拠も知らないまま、
ずっと、変わらずに、自分自身の”丸いテーブル”を
わたし、Giovanniは、探し求めているのです。
丸いテーブルって、何なんだろう?
例えば、相互の利害関係に大きな緊張感を持った国々が、
何かの交渉ごとを行う場合、
丸いテーブルを囲むという光景を、
みなさんは、観た事ないでしょうか?
日本の、上座、下座というような、位置関係による
人間関係のランク付けのようなものって、
世界の様々な文化の中にもあるのではないかと思うのです。
そういうランク付けを、完全にではないにしろ、
かなり、無視することのできる方法が、
丸いテーブルを囲む、ということ。
四角いテーブルだと、どうしても、
『ああん、何で俺はこんな角っこなんだよぉ!』のような、
不公平感が生まれてしまうけれど、
丸いと、何だかそれだけで、円満な感覚を覚えませんかね?
フランス時代、Le Puitsー井戸という意味ーという名前のついた、
可愛い家の管理人をしていたことがあります。
そこは、communauteの宿舎になっていて、
1週間単位で、20人程度の人が宿泊する施設でした。
その家のダイニングテーブルは、大きな木製の丸いテーブルで、
随分古い物のようでした。
その日の宿泊者人数に合わせて、食事前に
テーブルセッティングをするのですが、
20人分をきっちりセットして、
皆が席に着いて食事を始めようとするころに、
飛び入りや、たった今アメリカから到着、南アフリカから到着、
というような人たちがやってきたりして、
慌てて、椅子を足したり、スープ用の皿を取り出したり。
そういう時でも、丸いテーブルであれば、みんなが少しずつ、
自分とテーブルの距離を遠くするようにすれば、
難なくみんなでテーブルを囲む事ができるのでした。
ともに食卓を囲む、という事の大切さを、
現代に生きるわたしたちは、どんどん忘れてしまっていないでしょうか?
個人の意志や、志向が尊重されることは、
それはそれで意義のあることです。
しかし、一つの食卓を囲み、
同じ皿から同じ食べ物を分け合って食する、という、
人間の最もシンプルな、共同体としての行為を、
わたしたちは、急速に失ってきているということに、
危惧を感じる事すら無いのでしょうか?
一つの家族ですら、
親子が別に食事をするとか、兄弟が別の物を食べるとか。
家庭における食卓も、
今や人間社会の最も基本的な共同体ユニットである家族にあっての
役割を果たす事がなくなってしまったのでしょうか?
みんなで、丸いテーブルを囲むということ。
わたし、Giovanniは、これを求めているのです。』
ちょっと若い感じのする、初々しい文章に、
自分ながら、少し照れる気がするのだけれど・・・
実は、ここ数ヶ月、このブログという場所を借りて、
自分は何を伝えたいのだろうか?何を分かってもらいたいのだろうか?
と、言う、大きな疑問にぶつかって、
行き止まりの迷路から、抜け出すことができないでいた。
何か、無理矢理、それらしいことを書こうとすると、
そんな文章は何だかよそよそしくて、
自分ではないような気がしてしまい、
書きかけては、放り出し、しているうちに、
自分の本当のことばを、失ってしまったようにも思えたのだった。
つい今しがた、
明日、仕事が休みだというのを良いことに、
パソコンの前で、ネットサーフィンに興じていたのだが、
ふと思いたって、こんな文字を入れて検索をしてみた。
”Les souers de St. Andre"
これは、ベルギーに本部を置く、女子修道会の名前で、
今、読み返した、昔の日記に登場する、
Sister Tessaが属している修道会なのである。
今までにも、同様に、彼女たちの修道会の名前で、
検索をしたことがあったはずだが、
これという検索の結果が出てきたことはなかったのに、
比較的最近のアップなのだろうか、
今日は、この修道会のwebサイトが紹介されたのだった。
そこには、
彼女たちのvocation、つまり、キリスト教で言うところの”招命”、
修道会の歴史や、現在の活動などが、
フランス語で紹介されていた。
サイトの最初のページに、
15、6名のシスターたちが、家の前で集まったところの
写真が掲載されていた。
懐かしい顔ぶれが何人もいて、嬉しくて目が釘付けになった。
その面々の中に、
別のシスターたちの後ろで、ちょっと隠れるようにして立っている、
Tessaの姿があった。
写真が小さくて、はっきりとは見えないが、
グレーがかった瞳の色が、より薄いグレーに見え、
縮れてフワフワとしていた髪も、
心無しか、グレーがかったように見える。
彼女に最後に会ったのが、12年前。
月日がそれだけ経ったことを物語る写真である。
彼女が、
まだ随分と若かった、わたし、Giovanniに、言ったことば、
『いつかあなたも、
あなた自身の丸いテーブルを見つける日が来るわ』
が、この一枚の写真の中で、
少しはにかんだようにして、それでも、
あの頃と全く変わらない笑顔でいるTessaによって、
改めて、鮮やかに思い出された、今宵。
そして、
わたし、Giovanniが、
このブログを読む全ての人、あなたに、伝えたかったこと、
それが何であるかを思い出した、今宵。
再び、あなたと、
この”丸いテーブル”を囲みたいと思って止まない。
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