水曜日, 9月 19, 2007

毎日書く、日記なるもの

『日記(にっき)とは、日々の出来事を記した記録で、
今日では文学の一ジャンルに数えられており、
文学の最も初期のかたちのひとつとも見られている。
あるいは、初期のかたちという以上に、
人がものを書くという行為の原初的なもので、
文学という概念以前のものといってよいかもしれない。
英語では、Diaryという表現の他に
Personal journalという表現もなされる。』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

だそうだ。

以前にも、何度かここで話したが、
自転車通勤をしている間の時間というのは、
日頃考えたり、思ったりしていたことを、
思い切って、ことばにするための時間であったりもする。
あったりも、と、言うのは、
必ずしも、いつもそのための時間だけであるのでなくて、
場合によると、
カラオケばりに好きな歌を熱唱する時間であったりもするからだ。

思い切って、ことばにするための時間。
そう、口に出して言ってみると、
自分の思考が、すんなりとまとまったり、
当然に思っていたことの、矛盾点を発見できたりする。

口に出して、(実際に声に出す、出さないは別として)
表現するときに、
それはやはり、聞き手を想定して、ということになるのだが、
わたし、Giovanniの場合、
どちらかと言うと、読み手を想定した、
書きことばを、丁寧に選ぶことに重きを置いていると、
自分では思っている。

昔から、文章を書くことが好きだった。
起承転結を明確に意識することは、あまり無かったかとは思うが、
1000字以内で書く小論文とかを、巧く落ちをつけて、
しかも、最後の一マスに、『。』を書くときの満足感。
学校へ行くことは、どちらかと言うと、あまり好きではなかったのだが、
国語の時間、特に、作文の授業となると、
俄然張り切っていたのではなかったかと思う。

しかしながら、毎日書く、日記というものは、
あまり得意ではなかった。
そもそも、毎日、決まったことを継続してやるという
粘り強さなどは、欠けていたし、
今日はこんなことがあって、あんなことをした、
などという、さらりとした文章を書くのは苦手だった。
練りに練って、何度もことばを並び替えたり、
より相応しい単語を、吟味したりしながら書く文章のほうが、
得意だったのだ。

通勤時間に、誰かに読み聞かせるようにして作りあげる
わたし、Giovanniの文章。
しかし、残念なことながら、自転車をこぎながらであるが故に、
その文章を、書き留めることはないままである。

そんな、日々、生まれて忘れられていく文章を、
少しでも、ここに、
自らの記録として、記憶に残すため、
書き記して行くことができれば、と、改めて思うのである。

毎日書く、日記。
三日坊主ということばが、似合う日記にならないように、
と、願ってやまない。



今年初めて拾った、ドングリ。
わたし、Giovanni、昔、
お寺の裏山でドングリを1000個拾ったことがある。

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