日曜日, 7月 30, 2006

ウラをかいて















心理サスペンスドラマなどを見ていると、
捜査官とか、刑事とか、はたまた、家政婦などが、
犯人の、ウラのさらにウラをかいて、
事件のトリックを見破ってしまう結末がある。

先週の水曜日だったか、
長雨が続いた久しぶりの快晴の日、
わたし、Giovanniは、みんなの期待通り、
屋外プールへ泳ぎに行き、
また黒くなったね、の、最高の褒め言葉を頂戴した。

その後、あと数日降って、いよいよ来週前半には梅雨明け!と、
予報は言っているが、
今日も朝から、時折雲がかかったりしつつも、よく晴れている。

さて、本日の、わたし、Giovanniの活動は?
次の中から、コレ!というものを選択せよ。

1 家でゴロ寝
2 プール
3 PCの前でぐだぐだ
4 太陽と戯れる
5 昼間っからビール
6 温泉
7 掃除
8 洗濯

正解は、2以外。

今日は、爽やかで、泳ぐのに絶好な感じもしたけど、
あえて、プールには行かず、
家中の窓とドアを開け放して、
風をびゅーびゅー通しながら、過ごした。

ソファーカバーやクッションカバーの洗濯をしたり、
霜で大変なことになっていた、
冷凍庫の霜を、ナイフと金槌で、こそげ落としたり、
合間、多摩川まで、自転車をこいだり、と。

あ、もちろん、ビールもいただきました。

真夏のこういう過ごし方、大好きだ。
どこかに特別出かけないで、家の周りで、
楽しく、涼しく過ごす。
ご近所で、無人販売している、
そこの畑で穫れた夏野菜を買って来て、
ラタトゥイユなんかを作って、
冷たい白ワインを飲んだりする。

東京を遠く離れた島の暮らしもそうだったけど、
南インドや、イタリアのかかとにあるBariという町も、
もっともっと、ゆったりと、時間が流れていて、
人間の本当の体時計にぴったりだった。

東京にいながらも、
休みの日は、そういう暮らし方が、
意外にできるのを、
みんなは、知ってるだろうか?

え?温泉は行ったのかって?
行ってないけど、ビーサンはいて、
夕方から行ってきます!

木曜日, 7月 27, 2006

親切不親切

世の中、どんどん進化してます。
そして、便利になってます。

進化=便利、と思っているのは、
メーカーさんや、広告屋さんだけで、
小さな機会に、何十もの機能をギューギュー押し込んで、
ほら、便利でしょ?凄いでしょ、と、おっしゃるが、
1億1千万人の内、一体何人が、そう思っているのか?

先日ニュースで見た、こんなピクトグラム。



市販薬のパッケージなどに印刷して、
服用方法の間違いなどを減少させるのがねらいらしい。

ちなみに、これは、
『車の中で服用してはいけません』

じゃあ、これは?


『臭い薬だから、鼻をつまんで飲みましょう』

うそうそ、最初のが、この薬を飲んで車を運転してはいけない、で、
下のが、おしりから入れる(座薬)である。

ピクトグラムを作った人としては、
考えに考えた結果の作品なんだろうけど、
こういう絵柄を見て、
そのメッセージを、どれだけ正しく読み取る事ができるのか?
字が添えてはあるが、外国人には分からないし、
目の見え難い、高齢者はどうなのさ?

便利さの押し売りは、親切?それとも不親切?

まだ、うら若い(24歳かな?)、
友だちの日記に、こんな一文を見つけた。

『今日利用者のおじいちゃんに呼ばれて、
”はいこれっ”って一枚の色紙(画像)もらっちゃいました(^・^)
うれしいね!!何回もありがとうっていいましたw
このおじいちゃん、糖尿病による網膜症でほとんど目がみえないねん。
移動も白い杖で歩いてて。
日中は居室にこもってて絵を描いてるんやけど、
文字を見るときも3センチくらい目を近づけて見るくらい。
そんなおじいちゃんが、一生懸命描いてくれた色紙大切にしないとねw

”小さな花、かわいいタンポポ、未来の喜び”
左のエンドウは俺の誕生日の花。花言葉は”未来の喜び”

俺の未来に喜びはあるんやろうかは疑問ですがw
介護の仕事は、給料安いし報われない事も多いけど、
一番人に”ありがとう”って言ってもらえる仕事やと思う。
つい”ありがとう”って言葉に慣れ過ぎてしまって、
ただただしんどい仕事に思えてしまう時もあるけど、
こういう時この仕事の価値が見出せる。(・・・・・)』

何でも進化させて、独りよがりな便利を押し売りする必要が、
果たしてあるのか?
この、介護に従事する青年と、おじいちゃんのやり取りに、
何かの真実が見えて来ないだろうか?

水曜日, 7月 26, 2006

久々のアドレナリンスイム














↑本文とは関係ありません!

行ってきたでぇ!
今年初の屋外プール。場所は、埼玉県某所。

えー!埼玉県まで?
と、言われるけど、東京のちょい先は、埼玉県です。
移動時間40分くらいで、到着。

梅雨の合間の晴れだったから、
おこちゃまをお持ちのご家族も、
不意打ちを食らって、
こどもたちをプールに連れて行く知恵が、回らなかったんでしょうね。
全体的に、すいてました。

そこのプールは、
いわゆる、こども向けプール
(スライダーとか、流れるプールとか)と、別に、
50mの競泳用プールがあって、
そっちは、ホントにすきすき!

滞在時間、約5時間。
途中、休み休み、日に当たりながら、
多分、3000m(3Km)は、泳いだと思う。

8レーンある内の、1レーン、ほぼ貸し切り。
対向スイマーを気にする事なく、
悠々と、リラックススイム。

アドレナリン、爆出!

やっぱり、止められません。
例え、埼玉でも、行きます!
これからも、どんどん!

そんな気配が!












昨夜の天気予報で、おねえちゃんが言ってたように、
今朝は、東の空が明るい。
お天道様が、上ってらっしゃる気配!

つ、ついに!何日ぶり???
こうやって、朝の柔らかな光を浴びるのは!

もう、7月も終わろうというのに、
肌寒く、どんよりと曇ったり、しとしとと降ったりの日々。
去年の今頃なんざ、ガンガンに夏まっただ中だったはず。

今日は絶対、何が何でも行ってやる!
屋外プール。
燦々と降り注ぐ太陽のもと、冷たい水の中を泳ぐ
あの心地よさを、今年も、この夏も、早く感じたい!

行って来ます。

火曜日, 7月 25, 2006

fructueux

わたし、GiovanniのBlogger仲間(って呼んでも良いのかな?)の
cavacavienさんの、”あまいものとあまくないもの”については、
随分前に、ちょこっとここに書いたはず。

検索⇒検索中⇒⇒ココ、クリック!

今日、覗いてみたら、
flickrのぱらぱらマンガみたいなの(何て呼ぶの?)
うちのブログにもついてるでしょ!写真が勝手に動くやつ。
あれが、なくなって、桃の頭頂部写真に変わってた。

flickrへ飛べるようになってたから、
飛んで行って見てみたら、
素敵、素敵!

フルーツいっぱいの写真集になってました。

ジメジメしとしとを吹き飛ばす、
爽やかで甘い香りが漂うようです。

ご賞味くださいませ!

追伸:cavacavienさんの写真は、とっても素敵だから、
あえて、わたし、Giovanniのブログには、
今回は写真無し!

月曜日, 7月 24, 2006

Rinka - XXX(Millions Kisses)

この人、あんまり好きじゃなかったけど、
コレは、能天気で、意外にOK!
ジメジメした日々に、案外、爽快!

心配なこと

わたし、Giovanniの周りにいる、
何人かの友人たちの事が心配だ。















心配の内容が、デリケートなので、
ここで詳細を語ることは控えるが、
ストレスや、何かしらの重圧の中で、
もがき苦しむ彼ら。

彼らの重荷を、取り除く事もできず、
また、最も相応しい、魔法のような言葉を見つけて、
彼らにかけてあげることもできず、
ただ、遠くで、近くで、
彼らを見守ることしかできないでいる。

ここの日記でも、度々、
繰り返して言ってきたが、
思い続けること、自分の意識の中に、
他者を留めておくこと。
そこに、何かわたしたちの目には見る事のできない
力が働くということを、
わたし、Giovanniは、信じて生きてきたし、
これからも、それを信じている。

彼らの今日が、今晩が、そして明日が、
少しでも、安心と平和に満たされるよう、と、
祈って止まない。

日曜日, 7月 23, 2006

だばだー、だーば、だばだー、だばだー


ここ数ヶ月歯科治療を受けている。
ご近所にある、歯医者さんで、
60がらみの、先生は、大層熱心なお方。
予約不要、平日午後9時まで、日曜日も治療をなさる。

反して、わたし、Giovanniは、
典型的なダメ患者で、
痛みさえ無くなれば、どんな治療も途中ですっぽかしてしまう。
せっせと数週間通っていたのに、
ある日、もう、いいか、と思ったら、
次の通院まで、数年ほったらかしたこともある。

先月、西表への旅行のこともあり、
実は、先生、来週1週間旅行なんです。
痛みが出ないよう、何とかお願いします、と、
またもや、お気楽患者のたわけを伝えたところ、
はいはい、と、承知していただき、
そのおかげでか、旅行中、
歯のことなんか、忘れるほどであった。

ほー、西表ですか?
いいですねぇ、珍しい魚なんかがいるんでしょうね?
と、南の島に感心がおありだったのか、
その後も、いいですねぇ、を繰り返され、
旅行後の治療でも、
ヤシ蟹なんていうのを食べましたか?だの、
イリオモテヤマネコは見ましたか?だの、
治療の前後に話をされるようになった。

診察室や、待ち合い室を見回すと、
絵画の趣味をお持ちのようで、
ご自分の名前のサインが入った絵が、数点、
掲げられている。

治療中は、
助手の女子たちにも、大きな声を荒げたり、
治療の技は、大変優れていらっしゃる、
いかにもな、歯科医師であるが、
口の中を照らす、
独特な形のライトのスイッチが切れている時は、
砕けた、ニコニコしたおじさまという感じだ。

ある日、診療椅子に座って、天井を向き、
大きく口を開けたところ、
何の脈略があったのか知らないが、突然、
Giovanni君の、そのヘアースタイルは、
いくらくらいかかるの?と、尋ねられた。
ちょうど、この時だったと思う、
旅行の前で、それまでもそこそこは短かったのを、
さらに、一気に短くした時だったので、
先生の目に止まったのだろうか?

また、数日、ご無沙汰してしまった医院の扉を開くと、
今日は誰も他の患者がいないらしく、
奥から、先生の声で、どうぞ、とすぐに呼ばれた。
こういう静かな日に、お好きなのか、診察室に流れている音楽は、
何故か、ヨーデル。
いつもの診療椅子に体を横たえ、口を開けようとしたら、
先生が、またこんなことをおっしゃった。

Giovanni君は、誰かに似てるって、言われたことありませんか?
ほら、あの演出家の・・・
(演出家と言われて、和田勉を想像してしまった!)
・・・何とか亜門、に似てるって言われませんか?

実は、これは何度か言われたことがある。
自分では似てるとは思わないけど。

そう言えばおととい髪をさらに短くしたところだった。
もっと身近な人たちだって、髪を切った事に気づかない奴もいるのに、
先生、人の髪型に敏感であられる様子。
まさに、髪の違いの分かる男。
だばだー、だーばー、だばだー、だばだー

木曜日, 7月 20, 2006

雨、まだ降り止まず

もう何日、太陽の光を見てないだろう?
ここ、数日、雨、雨、雨・・・

インドネシアで、再び地震があり、津波による被害で、
また、犠牲者が出た。
前回の地震後、インドネシアへ、急遽、帰国した、
フランス在住のインドネシア人の友人、Totokによる、
ジャワ島は、今、
地震被害からの『避難』の時期を終え、
ようやく『復興』の時期へと移り変わりつつある、という、
リポートを聞いた直後のタイミングだっただけに、
追い打ちをかけられた感を否む事ができない。

阪神淡路の大震災の時もそうであったが、
『避難』生活は、ある種の緊張感と、
人間としての”生き続けたい!”というヴァイタリティーに満たされるのか、
避難者も、案外、当初は、元気に生活をすることができる。
しかし、2、3ヶ月も避難民としての生活を続けると、
これから復興の機運が高まるという頃に、
肉体的、精神的にも、疲労が極限に達し、
体調を崩したり、鬱状態に陥ってしまったりすることが多いらしい。

今回の、日本列島各地の大雨の被害も、類を他に見ないほどのようだ。
たかが雨、と、油断していて、
大きな被害に遭ったり、怪我をしたり、亡くなった方も、少なくはない。

以前、N◯Kでも放映していた、
アメリカの連続ドラマ『ザ・ホワイトハウス』の、
再放映の昨夜のエピソードは、なかなかの秀作だった。

現役大統領ジェド・バートレットは、
学生時代、自分の父親が校長を勤める学校に、特待生として通っていた。
その当時、父親の秘書をしていた女性を、
(彼女は、自分のことを必ず、ランディーハムさん、と、呼ばせた)
大統領着任以来、彼は自分の秘書として雇っていた。
若い頃の彼に、男女平等を説き、
弱い立場にある者の為に尽くすことを教えた彼女。
秘書としても大変有能だった、大切な存在である彼女が、
ある日、初めて買った新車を取りに行くのだと、喜んで出かけた直後、
不慮の交通事故で亡くなってしまう。

彼女の葬儀が、厳かにワシントンの大聖堂で執り行われ、
その式後、大統領は、護衛官をも締め出し、独り、大聖堂の中で、
神に語りかける。

『何故だ?わたしは、今まで、あなたを信じて従ってきた。
なのに、何故だ? これはわたしの罪への酬いなのか?
これ以上もう(あなたのことは)知らない。』
そして、おもむろに内ポケットから煙草を取り出し、
火を点け、聖堂の床に落とした煙草を足で踏み消し、聖堂を後にする。

実は、大統領は、ある事実を隠しており、
これが、次の大統領選出馬を危ぶむ原因となっている。
アメリカという大国を担う大統領である自分が、
難病の持ち主であるという事実を隠蔽し続けてきたのだ。
これを、彼自身、自らを揶揄するように、罪と呼んだのだった。

神の存在を信じる、信じないは、自由選択として、
わたしたちの人生の上で起きる、
悲しく辛い出来事や、納得いかない不条理な出来事。
このような困難や困惑に直面した時に、
わたしたちは、どのようにそれを乗り越え、克服すれば良いのだろう?
時が解決するのを、ひたすら待てば良いというのか?
誰かが、何か手を打ってくれるのを期待していれば良いのか?

ドラマの中で、大統領は、この葬儀の後に、
自らの病いについての公式な発表を控え、
また、次の大統領選に出馬するかどうかの意志を表明する、
大きな記者会見を迎える。
大切な善き理解者だったランディーハムを亡くした喪失感と、
大統領選出馬への、極限の迷いの中で、
大統領は、彼女の幻を見る。

交通事故は、神様のせいじゃない。
わたしの死を言い訳にしないで欲しい。
大変だから、負けるかも知れないからと、
次の選挙に出馬しないというのは、卑怯な態度だ、と、
彼女の幻に、学生時代と同じように叱咤激励を受ける大統領。

雨が降りしきる中、私設秘書が差し出すコートを受け取る事もせず、
雨に打たれながら、会見場へ向かう車に乗り込む。
同席の主席補佐官レオにも、ただ沈黙を守る。

(この辺りから、沈黙の中、緊迫したシーンが続くのだが、
ここで、1970年代後半にデビューしたイギリスのロックバンド、
ダイアー・ストレイツの『ブラザーズ・イン・アームス』という曲が、
印象深く流れる。)

いよいよ、会見に臨む大統領。
報道官のCJには、最前列右端にいる医療関係新聞の記者を
最初に名指しするよう、くどいほど忠告されていた。
それによって、最初の質問は、医療関係の話題となり、
冒頭から、大統領の進退問題に集中することを避ける事ができるから、
だというのだ。
だが、会見場に到着するや否や、別の記者を指名する大統領。
ここで、記者は、ストレートに大統領へ質問する。
次の大統領選には、出馬するのか?と。

大統領を取り巻く側近たちの表情に、さらなる緊張感が見える。
大統領は、一体、何を決断しているのだろう。

テレビモニターを通して、大統領の表情を見つめていた、
主席補佐官レオは、大統領との、40年来の盟友関係の経験から、
大統領の一瞬の表情を読み取り、思わず、やるぞ、と、声を出す。

そして、その次の瞬間、
大統領は、両手をズボンのポケットに入れ、
口元に、微かな笑みをたたえた。

アメリカの多くのシリーズものドラマにありがちな、
最終回の幕引きは、ここで終わっている。
もちろん、この後、次のシーズンで、
大統領が何を決断したのかは、明確になるのであるが、
ここでは、それを明らかにせずに、終わっている。

しかし、このエピソードを丹念に見ていれば、
大統領が下した決断を、知る事ができるヒントが隠されている。

大統領とランディーハムが若かった頃のシーン。
男性教師と女性教師の給与に大きな差があることに、
問題意識を感じたランディーハムは、
若きジェドに、この問題を自分の雇い主である、ジェドの父親に、
問題提起するよう訴える。

ジェドは、それが問題であることは認めながらも、
それを行動に起こすことを渋る。
そのジェドに、彼女は、
困難だからと、やらずに逃げるのは卑怯だ、と、一喝する。
その言葉に、大きく心を動かされたジェド。
おもむろに、両手をポケットにつっこみ、口元に笑みを浮かべる。
あなたが、その格好をしたとき、それは、
やるということを決めた時だわ、と、
ランディーハムは、にこやかにジェドに微笑みかけた・・・










*写真は、ジェド・バートレット大統領役の
マーティン・シーン


雨は、まだ降り止まない。
しかし、必ず晴れる日はやって来る。

火曜日, 7月 18, 2006

(お試しバージョン)日本文化研究家 慈恩 灯慧流(ジャン・ピエール Jean Pierre)

本文と写真とは、何の関連もございません。


皆サマァ、コンバンワ。

ワ・タ・ク・チ・ノ名前ハァ、ジョン・ピエー(レ+ゲ)ト、モシマス。
ワタクチハァ、ウ(ル+グ)イィ、ニオンノォ、
ブ・ン・カ・ト・ユ・物ニィ、ムカチカ(ラ+ガ)、タイエン、
アコギャ(レ+ゲ)ヲ、イダイテオ(リ+ギ)マシタ。



ゼン、チャノユ、ブシドー、アカマイ(リ+ギ)・・・
ソコニハ、イトツノ、筋道ギャ、シッカ(リ+ギ)ト、
セ・ン・ジ・ン・達ノ、足跡ニヨッテ、
ツケ(ラ+ガ)(レ+ゲ)テイ(ル+グ)ノヲ、
ワタクチハァ、タイエン、ソンケシテオ(リ+ギ)マス。

ワタクチトォ、ニオンノ、最初ノ出会イハァ、
パ(リ+ギ)デ、ソノ道ノイトト、
シ(リ+ギ)合ウ事ニナッタトコ(ロ+ゴ)カ(ラ+ガ)
アジマ(リ+ギ)マシタ。

ソノ道ノイトトイウノハァ、オモノイトノ事。
オモノイトハ、トテモ優シイノデ、
ワタチモ、ソノ、優シサニイカ(レ+ゲ)テ、
ソノイトト、仲良クナッタノデス。

Non! non! non! non! non! non! non!
ワタチジシンハァ、オモデハ、マッタク、ア(リ+ギ)マセン!
jamais pas !

ワタチニハァ、コイビトガイ(ル+グ)。
ワタチハァ、カノジョヲ、トテモ、ココ(ロ+ゴ)カ(ラ+ガ)、
愛・チ・テ・イ・マ・スノデス。

ブシドー的ナ、発想デハア(ル+グ)カト、思イマスガ、
男タ(ル+グ)モノ、女ヲ、守(ラ+ガ)ズシテ、
ドナ(ル+グ)トイウノデショカ?

(ヤダヨヤダヨ、セクスナンカシテナイ。
純潔ヲ、オ守(リ+ギ)シマショト、ヤ・ク・ソ・ク・チタ。
手モニギテナイヨ。)

今、ワタクチハァ、潔ク、皆様ノマエデェ、
タカ(ラ+ガ)ニ、言イタイト、思ウノデス。
ワタクチハァ、ニオンジンノ心ヲモッテ、
イツカ、ニオンジン、ナ(リ+ギ)タイト、思テイマス。

ドーゾ、ヨ(ロ+ゴ)チク、オ願イタチマス。
swimming is wonderful!

イアン・ソープ、泳いでます!

月曜日, 7月 17, 2006

思いが重なるその前に 平井堅

こんなこともできちゃった!

良い買い物

人のプロファイルなどを見ていると、
趣味:買い物
って書いてる人、結構たくさん見かける。

ちなみに、わたし、Giovanniのプロファイルには、
趣味:買い物
は、無い。

旅の生活が長かったせいか、
出来る限り物は持たない主義。
もちろん、一つ所に10年も暮らせば、
所有物も自然と増えてきてはいるのだけれど、
それでも、自分の持ち物は、少なく生きているつもりだ。

買い物は、しない。
しない、と、言うと語弊はある。
日々、日常の食料品や日用品の買い物はする。
でも、そういう日常的な買い物以外の買い物には、
結構慎重な態度で臨む。

ずっと探していて、
やっと見つけたどうしても欲しかった物でさえ、
見つけた嬉しさの勢いで、即買いしたりしない。
一晩考えてみる。
それでも欲しければ、もう一度、見つけた店などへ行って、
既に、売れて無くなってしまっていれば、
それは、縁が無かったことだと、諦める。

珍しく、高円寺をぶらぶらした。
JRの駅から、新高円寺駅までの、商店街を、
あっちを覗き、こっちに立ち寄りしながら、
一往復してみた。

ここにも、あそこにも、と、
数ヶ月前か、1年前かに来た時には、
無かったような小さな店が、出来ていた。

そんな一つに、
アメリカの60−70’s頃の雑貨などを取り扱う店があった。
アメリカ雑貨らしい、カラフルな数々の商品群。
そこで、アレに遭遇した。












アレというのは、プラスチック製のフタ付きの容器で、
フタの中に液体が入っており、そのフタごと、冷凍できるようになっている。
つまり、夏なんかに、
容器の中にお手製のコールスローなどを入れて、凍ったフタをすれば、
ランチタイムに冷たいコールスローが楽しめる!てな代物。

今から30年くらい前のわが家に、
お隣りのM崎のオバァちゃまから頂いた、アレがあり、
当時の夏のお弁当などに重宝したものだった。
が、いつの間にか姿を消してしまったのである。

もの凄く積極的に、というわけではないが、
折に触れて、こういう雑貨店などを探してみたりしたのだが、
終に、今まで発見することなく30年を経過していたのだった。

全くの飛び込みで入った店だったが、
アレに再会できた嬉しさに、お店の人に、声をかけてしまい、
わが家にアレがあったことから、アレがどんなに便利かを、
力説した。

しかしながら、賢明な読者のみなさんなら、お分かりだと思うが、
わたし、Giovanni、アレを購入してはいない。
30年間、探していたのにも関わらず、
今の自分の生活に本当に必要かを考えてみた時、
必要ではないということは、確かだったのである。

丁寧に説明をしてくれた店のお兄さんに、お礼を言って、
また、来ます!と挨拶をして、その店を辞した。

その店から、数十メートルくらいの所に、古書を扱う店があった。
ぐるーっと、見回したら、あった。
上中下3冊で、なんと800円。

『これは、買いでしょう!』

躊躇うことなく、わたし、Giovanniは、購入。

さて、問題!
わたし、Giovanniが購入した、3冊800円は、
一体、何?

これぞ!と思いついたら、コメント!コメント!

良い買い物だった。

日曜日, 7月 16, 2006

深夜聴く音














昔、好きな子が初めて泊まりに来た夜、
不思議な音を聴いたことがあった。

ルーン、ルーン、ルンルンルン。

強いて文字にすると、こんなだが、
実際は、ルというより、ドゥ、に近い、鈍い音。
夜更けの闇の中で、とても心地良く響いた、不思議な音。

その子と、悲しい別れを迎えた後も、
雨の日に、その不思議な音を聴く度に、
何故だが、心地良さに満たされ、安心して眠りにつくことが
できた、不思議な音。

ある夜、懐かしい音を聴いたことがあった。
聴いた、と言うよりは、感じたに近いくらい、
音というよりは、響き。
階下の住人が、夜中に咳をしていた響きだ。

母のゼンソクの咳と同じ、
乾いた、胸にズーンと来るような咳。
職業柄よく日に焼け、がっちりした体躯の階下の住人も、
ああ見えて、ゼンソク持ちだったのか。

1年以上も前に、
好きな子を泊めたあのアパートは取り壊され、此処へ移り住んだ。
もはや、雨の夜の、不思議な音、
(バケツの底に、雨樋から規則的に落ちる雨が打ち付ける音だと、後に判明)
ルーン、ルーン、ルンルンルン。は聴こえない。

今、深夜に聴く音は、階下の住人の咳の音だけだ。

***********************************

今日、外出先から戻ってみたら、
階下の部屋の雨戸がぴっちりと閉じられていた。
玄関ドアの脇の洗濯機も無くなっていた。
引っ越したらしい。

もう、深夜に聴く音は、何も無くなってしまったようだ。

土曜日, 7月 15, 2006

しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん

若い人(わたし、Giovanniとて、未だ若いが)は、
知らないかも知れないが、
『子連れ狼』という時代劇シリーズの主題歌の歌い出しが、
タイトルの、”しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん”である。

全文はここで、
確認していただければ良いのだが、
この歌では、大五郎という名の、
独特な髪型(大五郎カットなどと呼ばれている)をした、
男の子のことが歌われている。
ここで大五郎を発見!
この大五郎役の男の子は、N◯Kの『にほんごであそぼ』で大人気の翼君です!)

しとしとぴっちゃん、と降る悲しく冷たい、幼な子を凍てつかせる雨。
その幼な子は、帰らぬちゃん(父)を待っている・・・

日本の梅雨のように、毎日毎日しとしとと降る雨は、
気分を滅入らせるし、日差しを浴びない分、
健康に害を及ぼすような気になるが、
日本が稲作民族であることが物語るように、
これは、性(サガ)と言うものであろう。

大五郎の歌は後半に、
『この子も雨ン中 骨になる、ああ 大五郎 まだ三つ』
こんな歌詞が出て来る。
つまり、ちゃんの身の上に、何かがあって、
幼な子の元へ返ることが無くなったりした日には、
この子も雨の中で、野垂れ死んで骨になってしまう、ということ。

しとしと降る雨には、哀しみのイメージが
付きまとうのだろうか?

今日の夕立は、凄まじかった。
しとしとぴっちゃん、どころの話では、ない!

仕事場(仕事をしている部屋そのもの)には、窓が無くて、
外の様子が全く分からないし、
外の音も余程のことでないと聞こえないのだが、
そのうち、雷鳴がゴロゴロと響くのが聞こえるようになった。

あまりに大きな雷の音なので、
窓のある場所へ行ってみると、
まさに、天が割れたかのような大雨が、
地上にある全ての物を、嬲るように降っていた。

ここまで降ったら、気分も爽快、と思いながら、
暫く、外の景色を見ていたのだが、
ものの、15分も降ったのだろうか?
あっと言う間に、暗かった空も明るさを取り戻し、
あの雨は、どこへ行ったのだろうかと思うくらい、
再び、晴れた空が顔を見せた。

こういう、いわゆるスコール的に降る雨は、
しとしと、の雨に比べて、
悲哀感は無く、むしろ、諦めというのか、
それを越して、ひゃっほー!感(?)がある。
フィリピンや、タイなんかだと、
ここぞとばかり、シャンプーや石けんを出して来て、
天然シャワーを楽しむのだが、
皆が、許すなら、わたし、Giovanniも、
同様な事を、日本でもやってのけるだろう。
(ただし、雷鳴中は危険)

以前、わたし、Giovanniのブログで、
ペギー小淵沢先生に、演歌歌詞解読講座をやっていただいた際、
八代亜紀の『雨の慕情』をテーマにされていた。
あの歌では、
実際には雨はまだ降っておらず、
雨が降れば、現場監督である良い人が、やって来る、
つまり、雨=嬉しい、というイメージだ。

一口に、雨、と言っても、降り方によって、
受けるイメージは、様々。

どちらにしても、とても梅雨らしかった今年の梅雨も、
そろそろ終わりそうだ。
青い空と眩しい日差しの夏は、目前!
夏好きな、わたし、Giovanniには、最高の季節!

さて、以前、お伝えしていた、
荒木俊彦さんの、ボサノヴァのライヴの詳細のお知らせ。
夏にぴったりな涼しい音楽を、room+J代官山で!
今日は、たくさんリンクを張ってるけど、
ここをご覧あれ!



追記:

そう言えば、
大五郎の父親の仕事は、豆腐屋であると、
わたし、Giovanniは、こどもの頃、騙されていた。

しとしとの歌の最後で、
『ちゃんの仕事は シカクぞな』という歌詞があるのだが、
このシカクは、四角で、豆腐だ、と教えられた。
本当は、刺客、つまり殺し屋であるのは、言うまでも無いが、
今更ながら、わたしを騙した叔父の、
抜群のユーモアセンスに感心する。

水曜日, 7月 12, 2006

翻訳コンニャク!

翻訳って、難しい。

実は、このブロク、Around the Round Tableには、
兄弟ブログ、Around the Round Table - intercontinentalという、
英語のブログが、存在している。
海外の友人たちへの、お便りツール的なものとして、
細々と、やっているのだが、
常々、ここの日本語版と、同内容でやりたいと思っているのである。

だが、わたし、Giovanniの日本語、
自分で言うのも何だが、癖があるというのが、独自の文体のようなものがあって、
それを、英語に翻訳するというのが、とても骨のある仕事になってしまう。

幾度か試みた事はあるが、これを、日本語で書いている量そのままに、
英語訳しなくてはならないと思うと、
やってみる前から、お手上げなのだ。

こんなとき、翻訳コンニャクがあれば、と、思う。
丸い、大きなフレームのメガネをかけて、
お〜〜い、ドラえも〜ん!と、
心細げに、呼んでみたくなる。


チャッチャラ、チャッチャッチャ〜
翻訳コンニャク!
(本当は、大山のぶ代風に、
ほ〜んやくこんにゃく〜、と、だみ声で言いたかった!)

翻訳コンニャク!の代わりに、見つけたこのツール。
ここのブログに、貼付けてみたので、
お好きな御仁は、試してみてみて!
*本画面の右下にあるので、スクロールして!

やり方は、簡単。
(1) 四角いスペースに、翻訳したい原文を
150文字以内に入力。
(2) 入力した原文の言語を、何語に翻訳するかを、
選択する。(△▽で選択できるよ)
(3)Click to Translate を、ポチっと。

ただまあ、文体とか、固有名詞とか、
あざとく判断して、スマートに翻訳、というわけには、
いかないので、
あくまでも、参考にする程度だから、ご注意。
ここで翻訳したのを、そのまま、外国人に送ったりすると、
笑い者にされてしまったり、なんていうこともあり得る。

ちなみに、
『本当は、大山のぶ代風に、
ほ〜んやくこんにゃく〜、と、だみ声で言いたかった。』
の翻訳は、エラーという結果に。

実際、あんまり使えないけど、
まあ、ご愛嬌ってことで。
和英辞典程度には、使えるかな。

火曜日, 7月 11, 2006

秘密の小箱

友人のロコさんの日記に、
職場で使っているマグカップが無くなっていて、探していると、
お掃除をしている人らしき人から、
掃除中に割ってしまった、代わりの物を用意します、
という、秘密のお手紙を見つけた、から始まり、
結局、薔薇の花の絵のマグカップが、
再度のお手紙を添えて用意されていた、という下りの、
心温まる話が書かれていた。

その日記が書かれていた頃、
ちょうど、わたし、Giovanniの職場では、
お掃除をしてくださるオバちゃん(親しみを込めて)たちの、
所属されている会社が契約切れになるとのことで、
永年、慣れ親しんでいた方たちと、お別れする事になっていた。

感謝の意味を込めて、ささやかな贈り物などを差し上げた
(らしい、わたし、Giovanniは休暇中であった)ところ、
オバちゃんたちからも、記念に、と、お品物を頂戴したのだった。

それは、休暇から戻って、
あ、それ、オバちゃんたちから、Giovanniにって、
と、言われて受け取った、
包装紙にリボンのシールが貼られた、四角い箱だった。
長い休みの後で、バタバタしており、
数日、その箱は、デスクの上に放置されたままになっていたのである。

ようやく、家に持ち帰り、さらに開けそびれている間に、
件の、ロコさんの日記を読んだのだった。

これって、まさか、薔薇の絵のついたマグカップ?
そう、思うと、箱の大きさと言い形と言い、
イギリス人の選ぶタイプの、細身の姿をした、
それこそ、薔薇の花やハーブの絵などがプリントされた、
ティーカップが入っていればピッタリな様子。

普段から、自分の持ち物使う物などの、色や柄にはコダワリがあり、
自分のメガネに叶わない物は、
持っていたくないというタイプの人間である、わたし、Giovanni。
ドキドキしながら、どうか、どうか、と、祈るように、
しかし、半ば諦めた気持ちで、その小箱を開けたのであった。




















小箱から出て来たのは、
何と、切り子硝子のコップだった。
こう言っては何だが、決して、職人が作ったような、
切り子でも高価な部類に入る物では無いのは、明らかだったが、
それでも、青が冴えた、シャープで涼しい印象の中に、
不思議な温かみを覚える、素敵なコップだった。

これからの季節に、午後の早い時間から、
旨いつまみの二つ三つを並べて、
冷酒を呑んだりするのに、ぴったりな、硝子の器。

その、深い青い色に、島の海と空を思い出し、
ちょっぴり、うるる、と来てしまったりもするのであった。

月曜日, 7月 10, 2006

そろそろ、旅のおわり

時間が経つのの、まぁ、何と速いこと。
西表から帰国(まさにこういう感じ)して、
早くも10日も経ったのだ。

このブログで、色々と、旅について、
というよりは、出会った人たちについて、
書いてきたのだが、
今となると、あの島にいたことすら、
幻だったか、夢だったか、と思うほど、
日々の生活は、とても現実的である。

島の暮らしが、非現実、ということでは決してないが、
時間の流れ様や、何よりあの日差しと空の碧さは、
わたし、Giovanniの現実生活とは、
雲泥の差があるから、こんな風に、感じるのだろう。

人物を書くことで、自己満足に陥っているので、
少々、消化が悪いと思われる読者もおいでだろうから、
あまり触れていなかった、いくつかの出来事を書いて、
今回、次回あたりで、
シリーズを締めくくろうかと思っている。
もう暫く、おつきあい願いたい。

再三、お話ししたよう、
従兄弟、Gちゃんは、西表島エコツーリズム協会で働いている。
西表は、島の産業と行えば、観光、という現状であるが、
その反面、観光資本が、島そのものを破壊する、という
ジレンマがあり、
元々、個々が持っていた、環境を守り保護して行こうという、
気持ちを、一つにまとめる形で、このような協会が発足した。

今回の旅の計画の段階で、
Gちゃんから、滞在中の二日間をかけて、
島の色々な場所を見学するコースが、提案されていた。
ただ、こちらは、そこそこの老齢の女性が二人いるもので、
丸二日を、長時間車に揺られて、というのはしんどいのではないか、と
懸念した結果、
一日を、そういうコースにあてて、
もう一日は、各自で好きなように過ごそう、ということになった。

その一日目は、Gちゃんの采配で、
コバヤシさんという男性が、我々の運転をしてくださることになった。
このコバヤシさんもまた、西表に惹かれて、
東京での職を捨てて、やって来た人の一人だそうだ。

最初は、マーレ川の岸に咲く、サガリバナを見に行った。
サガリバナは、二人の女性たちの是非ともの希望で、
この時期に、房を垂らして咲くという花を求めて、
川沿いに下ったのだった。


サガリバナは、そのオシベが、ダチョウの睫毛の如く、
長くフサフサとしており、
そのオシベの抵抗によって、フワフワと宙を舞い降りるようにして、
散るのが特徴のようである。

マーレ川の周辺には、アダンというパイナップルと間違うような
実をつける植物も群生していた。
このアダンの葉は、ギザギザと、のこぎりのような形状をしているが、
実も、葉も、捨てる事の無い植物と言われており、
その葉は、十分に乾燥させて、カゴに編んだり、草履に編んだりする。
草履は、石垣の市場辺りでも2千円ほどで売られているが、
とてもとても、2千円ではもったいないくらい、
手間がかかるのだそうだ。

次に、我々は、野生生物保護センターを訪問。
イリオモテヤマネコは、まさに絶滅への街道をまっしぐらに進んでおり、
100頭を切っていると考えられている。
現在、最新の個体数調査を実施しているらしく、
その結果如何にによっては、いよいよ、本格的な保護と繁殖の為の
飼育も開始されるかも知れないのだそうだ。




西表島がもう一つ危惧しているのは、外来種生物による、
西表島の生態系の破壊で、
建築資材などと一緒に島へ渡ってくる、オオヒキガエルなどが、
現在、早急な対策をとるべく対称として、あげられている。

西表の海洋生物を、間近に手軽に見る事の出来る場所として、
星砂海岸へ、次に案内された。
この海岸の砂には、珊瑚礁が細かく粉砕した物に混じって、
有孔虫と呼ばれる単細胞生物の遺骸ーこれが星型をしているーが、
多く見られる。




引き潮時には、遠浅になり、かなり遠くまで行っても、
海水はせいぜいくるぶしと膝の間くらまでしかなく、
それ位の水位の場所でも、
小さい、ちょうど、縁日に紙の網で掬うような、
金魚ほどの魚で、目にも鮮やかな青い色をしたのなんかを、
見る事ができる。

それでいて、所々には、珊瑚礁が深くえぐれている部分などに、
ぽっかりと、水深数メートルにもなるような、
大きな空間があり、シュノーケリング初心者などには、
もってこいの場所になっている。
(シュノーケリングの話は、次回、詳しく)

Gちゃんいはく、星砂海岸は、観光地である割には、
多くの生物を観察することのできる場所で、
3つの小さな浮き島のような島の合間合間に生える、
海藻類には、星の形をした有孔虫が生きた姿のままで、
付着しているのですら、
注意深く観察すれば、見つける事ができるらしい。

取りあえず、さらに、次回へ続いてみる・・・

木曜日, 7月 06, 2006

いのちのせんたく ー旅とは、どこかへ行くことではなく、 誰かに会うということであるー

島で出会った人/石垣昭子さん
(実名で、良いでしょう。)



石垣昭子さんについては、ご存知の方もいるかも知れない。

"GAIA SYMPHONY"(『地球交響曲』)という、
龍村仁監督による、ドキュメンタリー映画シリーズの、
第五番に出演されている(交響曲を共に奏でる人、と紹介されている)
石垣さんは、草木染色作家である。

彼女のプロフィールについては、
ぜひ、こちらを参照して欲しい。

今回の、西表への旅のいくつかあった目的の一つに、
この石垣昭子さんを訪ねること、が、あった。


昭子さんのご主人である、石垣金星(キンセイ)さんは、西表島生まれの、
郷土史家・伝統芸能継承者であり、
昭子さんと共に、
消滅していた西表の染織芭蕉布の復興と制作を行うための
「紅露工房」を設立。
また、島の青年と「シマおこし運動」を始められた。
現代における、西表の環境を守る活動家の第一人者と言って過言ではない。

特に、約束などを取り付けていたわけではなく、
星砂海岸の帰りに、工房を訪ねたのだが、
生憎、金星さんは不在で、昭子さんが、迎えてくださった。

工房は、メインの道路から、少し脇を入ったところにあり、
細い道を、車を背伸びさせるようにして、進む。
小道の脇には、芭蕉布の原料となる、
糸芭蕉の木が、数本、植えられていた。

道を抜けると、工房の庭に到着し、車を片隅に寄せる。
大きな車での、賑々しい来客に、誰かしら?と、
首をかしげている女性が何人か、庭で作業をしていた。

アトリエの入り口で声をかけると、
芭蕉布の衣(ころも、と呼ぶに相応しい衣服)を纏った、
昭子さんご自身が、出てこられた。

瞬間、ええっと、どなたでしたっけ?
という表情をされたようだが、
叔母が名乗ると、すぐに、分かったと見え、
挨拶もそこそこに、
話題が、最近結婚し、こどもを授かった
GちゃんMちゃんの話に移ったのだった。

まぁ、冷たいものでも、と、
何の木だろうか?大きな木の下に設えられた、
木製の低いテーブルの周りの、
恐らく、芭蕉の木の切り株を工夫して作ったと思われる、
低いスツールを、それぞれすすめられた。

あの人たちは、名古屋のギャラリーの方達で、
ワークショップということで、来られてるんですよ、と、
庭で作業をしていた女性たちの事を説明してくださった。

そうこうしていると、昭子さんのお弟子さんで、
昭子さん同様に、涼やかな布を纏った女性が、
氷の入ったグラスと、小さく一口大に切ったパイナップルを、
運んで来てくれた。
盆を乗せた手は、概ね、肘のところあたりまで、
藍で、目の覚めるような色に染まっていた。

グラスにお茶を注ぐ、トクトク、カラリン、という音が
暑い午後のひと時には、オアシスのように響いた。

叔母と母は、熱心に、昭子さんのお話に耳を傾け、
また、結婚した二人と幼子について説明し、
そして、ここぞとばかりに、
染色について、金星さんについて、
質問を投げかけたりしていた。

が、わたし、Giovanniは、その工房の佇まいに、
色々と気をとられ、
お話を伺いながらも、ふらっと立ち上がって、
庭を眺めてみたり、
時折、やって来ては大木の枝に留る、鳥を観察してみたり、
アトリエの奥に、無造作に吊るされている、
作品の、遠巻きに見てみたり・・・

ゆっくり流れる、島の時間の中でも、
ここは、とびきり、時計の針が動くのに時間をかけているように
感じられたのは、
ゆったり、間を取りながら、話をされる昭子さんの人柄とも
関係性があるのではなかっただろうか。

作業をされている方たちがいることもあり、
長居にならぬようと、思いつつも、30分はお邪魔したようだ。
また、是非来て下さい、
若い夫婦のことを、これからもよろしくお願いいたします、と、
挨拶を交わして、名残を惜しみつつ、
再び、糸芭蕉の木に、車がぶつからないよう気にしながら、
工房を後にしたのだった。

旅が終わって、東京へ戻って数日、
こうして、色々な人たちの事を思い出したりしながら、
そう言えば、と、思い出したことがあった。

石垣夫妻を、叔母はどうして知っているのだろう?
そこんところの説明が、全く無かったことに、気がついた。
そこで、電話で母に聞いたところ、
意外なことが分かったのである。

母と、叔母の夫(母のいちばん上の兄、故人)の、
従兄弟に当たる人で、伊谷純一郎という人がいる。

この人は、京都大学理学部動物学科卒業後、
大分県高崎山のニホンザルの生態研究を皮切りに、
霊長類の社会構造研究の先駆けとなった人である。
後に、彼の研究の範疇は、
アフリカ、タンザニアのチンパンジーから、
その調査対象はヒトへと、拡大し、
1984年、イギリス王立人類学会より、
「人類学のノーベル賞」と称されるハクスリー賞が授けられた。

わたし、Giovanniにとっては、大叔父にあたる、この伊谷純一郎が、
数十年来の、石垣金星さんとの友人であった、というのだ。
そして、金星さんを、西表島に訪れるという約束を果たす寸前の、
2001年8月、肺炎で逝去したのだった。

西表島で、エコツーリズムというフィールドで仕事を始めた、
Gちゃんにとって、
金星さんとの関わりは、ある意味必然であり、
また、どこかに、金星さんとの交友を深めることが、
亡くなった大叔父の意志を継ぐことである、
という気持ちが、あったのではないだろうか?

もう少し、タネを明かすが、
Gちゃんの父親である、わたし、Giovanniの叔父と、
Gちゃんとわたしにとっての大叔父である伊谷純一郎は、
ただの従兄弟どうしではなく、
それぞれの両親が兄弟、姉妹どうし、
つまり、叔父の父の弟と、叔父の母の妹が夫婦で、
その長男が大叔父なのである。
したがって、叔父と大叔父は、従兄弟という以上に、
とてもよく似ており、
Gちゃんは、大叔父の中に、どこか自分の父親を
見いだしていたのではなかったかと思うのである。
そして、そういうことも、
大叔父の友人であった
金星さん、その奥様である昭子さんとの友情を、
深くしていった理由の一つとしてあったのではなかっただろうか。

現在、昭子さんは、Gちゃんが働く、
西表島エコツーリズム協会の会長をされておられる。
また、金星さんは、西表リゾート開発差止訴訟原告団呼びかけ人として、
活動をされておられる。

愛する島と、島の生命たち、島の暮らしを、守るために、
そして、この島のたくさんの恵みを、
世界の人たちに知ってもらおうと、働いておられるのである。

番外編 ー旅の写真集2ー




世の中には、便利なツールがたくさんありますね。

旅の写真、Flickrを使って、
UPしました!

遠慮なく、ご覧ください。

Giovanni、旅の写真集は、こっちさぁー

水曜日, 7月 05, 2006

いのちのせんたく ー旅とは、どこかへ行くことではなく、 誰かに会うということであるー

島で出会った人/番外編

5日間なんて、あっという間!
ああ、もう帰国(!)だぁ、と、未練をたっぷり残しつつ、
石垣市街から、空港へ、M子叔母と向かった。

チェックインを済ませて、
空港の喫茶店で、石垣最後の食事をとる事にした。
あっさりめのスープの八重山ソバを食べて、
搭乗手続きまで、まだ少し時間があるから、
ここで涼みながら待ってましょうということになり、
暫く、旅の思いでなどを話しつつ、過ごしていた。

喫茶店は、チェックインカウンターを
見下ろす事のできる2階にあり、下を眺めていたら、
高校生らしい集団が、ゾロゾロと入ってきた。
最近の修学旅行は、石垣島なんかにも来るんですね、と、
叔母と話していたのだが、
手荷物検査の列が長蛇となってきて、
機中の賑やかに騒がしい様子を想像してしまい、
先が思いやられるなぁと、ため息をつく。

高校生集団の列が、短くなってきたので、
叔母を促して、搭乗の待ち合いへと先を進み、
ベンチに腰をおろして、搭乗時間を待っていた。

少し色のついたメガネに、
帽子を被った、華奢な男の子がやってきた。
あ!あれって、◯◯の×田△だ、と、
すぐに気がついた。
何人か、スタッフなのか、同行者がいるようであったが、
芸能人オーラのスイッチを完全にオフにして、
所在無さげに、壁際に立っている。
誰も、気づいている様子もなく、
叔母にそう言ってみたところで、どうなると思い、
黙って、時折振り返っては、彼の姿を見直したりしていた。

すると、次に、同じく◯◯の××っちと、△野が、
ぞろぞろと同行者を連れて、入ってきた。

ここで、ようやく、修学旅行の女の子たちが、
3人に気づいたようで、
あちらこちらから、あれ?とか、わーとか、まじまじ?とか、
小さい声が上がるようになった。

このまま、この石垣空港の小さな待ち合いは、
騒然、大パニックへと陥るのか、と、危惧したのだが、
ワーワー!と、今にも大きな歓声が上がりそうになる
高校生たちに向かって、
スタッフらしい若い女の子が、
まるで、手話のように、
唇に指をあてる、シー、のポーズと、
両手のひらを、ま、ま、落ち着いて、のように動かし、
軽くおじぎをした。

高校生たちは、その彼女の動作を見て、
案外、落ち着いた様子で、
そりゃそうだよね、キャーキャー騒いじゃ悪りぃよな、
と、納得したようだった。

石垣から、羽田まで、
わたし、Giovanniは、彼ら3人と、
至近距離で、旅を続けたが、その後も大きな混乱もなく、
よかった、よかった、と、思ったわけである。








まだ、続くよ。

いのちのせんたく ー旅とは、どこかへ行くことではなく、 誰かに会うということであるー

島で出会った人たち/レイ子さん



島最後の夜、GちゃんMちゃんの招きで、
夕飯をご馳走になった。

『唐変木』という名前の、通常はカフェとして
営業しているお店を、借り切って、
我ら3人と、GちゃんMちゃん、
ゆうき君とMちゃんのお母さん、総勢、7名で、
お店に伺った。

カフェ、というに相応しい、
木をたくさん用いた、温かみのある店内で、
今日は貸し切りのためなのか、
テーブルを中央に寄せ、
向こう側に3名、こちら側に3名が座る事のできるよう、
席が設けてあった。

店内に入って、
先ず、目に飛び込んで来たのは、
テーブルの上に、すでに並べられている、
四角い盆に、いくつも並べられた、小皿や小鉢など。
思わず、みんなの口から、わーっ!と、歓声があがる。
ちょっと、お雛様のお膳のようにも見える。

わたし、Giovanni始め、母も、Gちゃんも、
それぞれのカメラを向けて、
写真を撮る間にも、さらに一皿、そしてもう一鉢、と、
最終的には、20皿鉢が並び、
品目としては、30種にもなった。

せっかくなので、記録として、
以下、写真を見ながら、どんな料理だったかを
書いて行こう。












先ずは、四角い盆に乗っているもの
左の上から右へ
◯ゴーヤとパインの酢の物
◯カーナとスーナ(共に海藻)とコマ貝のサラダ
◯紅芋とラムレーズンのサラダ
その下から左へ
◯ジーマミ(ピーナッツ)豆腐
◯ラフテイ
◯豚のナカミ(内蔵)の炒めたもの
その下
◯ミミガー(豚の耳)
その下から右へ
◯シロバナセンダングサのゴマ和え
◯アキノビシの和え物
◯クワノハのおしたし

お盆の右側の3皿
左の上から時計回りに
◯コンブイリチー(コンブの炒めたの)
◯煮物(パパイヤ・ニンジン・昆布巻きなど)
◯モズクのテンプラ/アーサー(海藻)のテンプラ/
ミジュン(片口鰯)の唐揚げ/いかすりみののり巻き揚げ/
紅芋もちのテンプラ

お盆の下(先付け)
左から
◯スクー豆腐/豆腐よう(豆腐を泡盛に漬けて発酵させたもの)/
オオタニワタリ(庭にも生えているような羊歯の新芽。茹でて
マヨネーズで)

お盆の左
上から
◯ナーベラ(へちまの若いの)の煮物
◯田芋の揚げ物
◯ホウビカンジュのおしたし
◯マチクの筍、マコモの焼いたもの

これ以外に、
◯タマ(魚)のマース(塩)煮(一人一尾)
◯イノシシのレバーの焼いたもの
◯カニのみそ汁
◯ご飯
◯ハワイ種パインと、ピーチパイン
がついた。













原型は、恐らく宮廷料理のスタイルなのだろうが、
レイ子さんの、抜群のセンスで、
現代風にも、アレンジがほどこされた、琉球料理の数々。
海藻、野草がふんだんに使われていることと、
日本の本土の、何でも醤油味、という味付けとは違い、
とても薄口の塩味で、食材の味が十分に分かる、
爽やかな味付けが、特徴的だった。

また、ヘチマや、パパイヤなど、
たわしにするばかりかと思っていたり、
食後のデザートとして食べることしか知らなかった、ものが、
料理として口に入るという新発見!

ここでも、島の暮らしがいかに、
自然の恵みを大切にしてきたのかを、見て取る事ができる。

言うまでもないが、これだけの料理を作るにあたっての、
食材の調達は、大層な骨折りだと思う。
まさに、馳走とうに相応しい、手間のかかりようだと思ったのだが、
料理そのものは、意外にも、一日がかりということでもない、と、
帰り、星立集落まで、我々を車で送ってくださった、
レイ子さんの助手の女性がおっしゃっていた。

その帰りの車の中で、
M子叔母が、その女性に、不意にこんなことを聞いた。
『レイ子さんは、もうおばあの年齢なのかしら?
髪が白いから、おいくつくらいなのかしらねぇ?』と。
いえ、いえ、まだまだ”ねーねー”ですよ、という返答だった。
確かに白髪ではあるけれど、元気いっぱいで、
レイ子ねーねーと、いかにも、皆から慕われながら
お店を切り盛りしている様子が伺われた。

わたし、Giovanniも、
次に島を訪れたら、レイ子ねーねーと、親しみを込めて、
呼ばせていただこうと思う。

ご馳走さまでした、レイ子ねーねー!

次回は、島で出会った人、番外編!
誰?誰?

日曜日, 7月 02, 2006

いのちのせんたく ー旅とは、どこかへ行くことではなく、 誰かに会うということであるー

Mちゃんとゆうき君


(写真は、Mちゃんと愛犬。星立の浜でのシルエット)









Mちゃんとは、初対面だった。

Gちゃんと、Mちゃんの馴れ初めを語る叔母によると、
二人が最初に出会ったのは、随分昔のことらしいのであるが、
それは、お互いに顔を見た事がある、程度のことで、
Gちゃんが、長年住み慣れた大原地区から、星立集落へ越してからが、
二人がお互いを知り合い、愛を育む季節であったようだ。

Mちゃんは、まだ10代の頃から、
西表が大好きで、その魅力に取り憑かれて、
毎年何度も足を運ぶ多くの人たちの一人だったようだが、
ついに、3年前、住民票を移して、
西表の星立集落での生活を始めたそうだ。

一月ちょい前に、
二人の間に、ゆうき君という男児が生まれたことからも、
GちゃんとMちゃんが出会ってから、その後の展開が、
島の生活とはウラハラに、
随分、スピード感のあるものだったということが
容易に想像できるのである。

Mちゃんは、元々、東京都下の生まれ育ちで、
出産準備のための帰省の間も、
どうやら、名札に”Giovanni"と、書いてある人がいないかと、
キョロキョロしながら、わたしの職場にも
買い物にやって来ていたらしい。

Mちゃんも、西表を愛する事になるきっかけは、
この特別な自然の環境、海や、野生の生物たちに、
興味関心を抱いたことのようだ。
だが、星立集落に住むようになり、
島の人たちの暮らしを分かち合うようになってから、
この島の人たちが、永年、守ってきた風習や、
祭り、行事というものに、目が留るようになったと言う。

そして、そういう暮らしの基盤に、
自然を愛でると同時に、自然を畏れ、逆らわず、
上手く付き合いながら生きる知恵というものが
あるということを、
Mちゃんは再度発見したのだそうだ。

我ら、旅の一行が、星立に到着して荷を解き、
最初に、Gちゃんの家を訪ねたとき、
家には、自分たち自身も、
その前日に東京から帰って来たばかりの、
Mちゃんと、ゆうき君、
そして、初めて孫を島へ送り出すことの心配を、
少しでも和らげる為にご自分も同行された、
Mちゃんのお母さんの3人が、暑い午後のひとときを
過ごしていた。

Mちゃんは、ちょうど授乳中で、
我々が訪ねた事で、機嫌を損ねたのか、
ゆうき君が、大きな声で泣き始めた。
『かぁちゃん、おっぱいくれるの
止めんなよ!腹がすいたよ、おっぱいおくれ!』
と、言っているに違いなく、
我々は、挨拶もそこそこに、その場を引き取った。

意志のはっきりした赤ちゃんねぇ、と、
M子叔母は、感心しながらも、
赤ちゃんにはあの家は、暑いわねぇ、
クーラーを付けないのかしらねぇ?と、
幼いこどもを加えた、新しい家族の生活の今後を、
少し、心配していたようだった。

Gちゃんも、決して何も考えていないわけでは
ないのだろうが、
何しろ、夫婦もすっかり島の暮らしが当たり前になっており、
きっと、少々の不便はあっても、
自然の恩恵を、お父さんお母さんを通して、たくさん受け、
ゆうき君は、
逞しく、島のこどもとして大きくなって行くのだろう。

石垣から、東京へ帰る飛行機の中で、
M子叔母はこう言っていた。

『ゆうき君も、大きくなって、こんな狭い島の暮らしは嫌だ、と、
都会へ出て行くのよね、きっと。都会で大人になって、家族を持って・・・
そして、そのこどもがまた、ある日、会社を辞めて島へ行く、って
言い出したりするのよ、繰り返しよ・・・』

ゆうき君、Giovanniおじさんから、
沖縄で代表的な子守唄となりつつある、
元ネーネーズ・古謝美佐子の名楽曲
「童神( わらびがみ)~天の子守唄~」を、贈ります。
今夜も、星立の涼風(しだかじ)に吹かれ、おやすみなさい。



次回は、島で出会った人たち。

土曜日, 7月 01, 2006

いのちのせんたく ー旅とは、どこかへ行くことではなく、 誰かに会うということであるー

Gちゃん






あなたが、もし、西表島ファンで、
毎夏行ってます、とか、年に2回は行きます、とか、
そういう人だったなら、
ひょっとすると、Gちゃんを知ってるかも知れない。

Gちゃんは、わたし、Giovanniより、3つほど年長。
祖母が生きていた、こどもの頃は、
夏休みの度に、鳥取の祖母のところで従兄弟姉妹たちが、
勢揃いになり、
男の従兄弟たちの最年長ということもあって、
Gちゃん、Gちゃん、と、慕われていたおにいちゃんだった。

今回の旅にあたって、
最後にGちゃんに会ったのはいつだったかと、
指折り、過去を辿ってみたのだが、
祖母の葬儀の時だとすれば、かれこれ、20年前になるのだろうか?

この20年のお互いの消息は、ほとんど知るところではない。
かろうじて、わたし、Giovanniは、
Gちゃんが、大学を卒業後、就職したけど、
会社を辞めて西表島へ行ってしまった、
という基本情報をだけは、知っていた。
だた、Gちゃんが、
わたしのフランス時代、インドなどアジアの旅人時代を、
知っているはずはなく、
恐らく、まだ何も世間を知らなかった、
ぽんやりしていた、Giovanniのイメージしか、
Gちゃんは持ち合わせてはいなかっただろう。

Gちゃんの母親である、M子叔母が
旅の行き帰りに語るGちゃんの過去20年を、聞かされて、
改めて、Gちゃんの人物像が、生き生きと浮かび上がり、
今、目の前で、授かった乳飲み子を抱く、
新米父親としての現在の姿に重なっていく。

学生時代から、西表の自然に魅せられて、
度々、この島を訪れていたGちゃんも、
就職をきっかけにして、
観念したのか、西表への旅をやめていたそうだ。

叔父が亡くなり、
叔母が一念発起で、住み慣れた家を売り払い、
通りをはさんだ、向こう側の家を購入して
引っ越す事を決意したとき、
Gちゃんが、叔母に、
『それなら、一緒にぶっとんでみよう』
(と、言ったかどうかは知らないが)と、
自分の決意を叔母に告げた。

会社を辞めて、西表へ行く、と。

会社勤めの3年間で、
大きなお金を蓄えていたそうで、
車を買うか、西表に行くか、迷った末、
西表移住を選んだらしい。

当初は、環境庁と沖縄県が運営する、
西表野生生物保護センターで、
まさに、イリオモテヤマネコなど、
絶滅危惧種と言われる動物を保護する仕事に従事し、
日々、調査や研究に明け暮れたのだそうだ。

本人は否定しているようだが、
その、イリオモテヤマネコの調査での実績が
高く評価され、
ツシマヤマネコの調査をすべく、
対馬への転勤を命じられたことをきっかけに、
同センターを辞したらしい。
それだけ、西表を愛していたということなのだろう。

西表の何に、Gちゃんは魅せられたのだろう?

野生生物保護センターを辞めた後、
Gちゃんは、西表エコツーリズム協会の設立に関わり、
現在も、そこでの働きを続けている。

西表エコツーリズム協会の設立の経緯や理念を、
改めて読んでみると、
Gちゃんが西表に向かい、そこに生活の基盤を置き、
そこから離れる事を拒んだ理由は、
単なる自然の美しさ素晴らしさに対する
憧憬のようなものだけに止まらず、
それらを破壊しようとしている大きな資本を阻止したい、
正しい生態系壊滅させる、いかなる原因をも根絶したい、
という、力強い積極的な姿勢があったのだということに、
気がつかされたのである。

ちょっとした会話の中にも、
西表の自然の生き物たちの話題が織り交ぜられる。
『ここから帰る間に、道ばたで、ジーっという
鳴き声が聞こえたら、何がいるか見てごらん』とか、
答えは教えてくれないけれど、
身近にいる生き物に、興味を抱くよう、
導いてくれるような、会話が楽しい。
こうやって、西表を訪れるたくさんの人たちに、
ここがただの観光地ではないのだということを、
知らせてきたのだろう。

GOひろみのモノマネをするときの声のような、
鼻を少しくぐもらせてちょっと甘えたように話す、
Gちゃんの独特な話し方は、今も昔と全く変わらない。
東京にいる都会っこだった、Gちゃんは、
いつの間にか、
イリオモテヤマネコを守り、マングローブを守り、
そして珊瑚礁を守り、
島の人たちの本来の暮らしを守る、強く逞しい大人に
なっていた。

もし、あなたが、西表島で、
アカショウビンや、有孔虫(こいつの骨が星砂!)について
熱心に語る、お兄さん(おじさん?)に出会ったら
それは、Gちゃんかも知れない。




そして、Gちゃんの生活を守ってくれる、
Mちゃんとの出会い、
それから、GちゃんとMちゃんに与えられた
守るべき存在、ゆうき君の誕生、と、
まだまだ、お話は続くが、
今回は、ここまで。

ペギー小淵沢の演歌歌詞(ス)解読講座 中半

雨の慕情

心が忘れた あのひとも

 まんずは、ここです。冒頭のところから、
 はっきりと、主(ス)張すていることが明確に
 表現されているのが、お分かりいただけますか?
 この女は、はっきりと、
 『あんたのことなんか、もうどうでもええんよ、
  何の未練もないわさ、もう忘れてすもうたわ』と、
 男とのきっぱっりとすた別れを、宣言すているわけでっす。

膝が重さを 覚えてる

  その反面、心は忘れてすもうても、
  体は覚えてる、という、
  すかも、その『重さ』を覚えてるという言葉に、
  ちょっとばかりの、エロティスズムを感ずながらも、
  さらっと、流すているところが、
  上手い、ホントに、上手い詩(ス)だなや。

長い月日の 膝まくら
煙草プカリと ふかし(ス)てた

  ここんところの解釈は、難すい。
  二つの、解釈が、一般的に言われております。

  一つ目は、
  この、『煙草プカリと』ふかすているのは、
  男のことで、膝まくらされながら、煙草を飲んでた、
  との解釈。
  二つ目は、
  女が、男を膝まくらすてた時(ズ)分の事を
  今となって、思い出すながら、煙草をふかすてる、
  という解釈。

  この箇所についての論議は、
  度々、”演歌歌詞学会”でも、取りざたされる
  議題でありますが、
  現在のところは、二つ目の解釈が、
  正統であると、言われております。
  これは、一つ目で言うている、男の行為は、寝たばこに通ずるところから、
  消防庁からの、強い要請もあって、
  寝たばこを推奨するような歌詞は、相応すくないと、
  考えられるようになったからですて。

憎い 恋し(ス)い 憎い 恋し(ス)い
めぐりめぐって 今は恋し(ス)い

  ここんとこは、わたすがいちいち説明するまでも
  ねぇでしょ。
  みなさんも、成熟した大人の女、同ずような、
  この、心の葛藤を、幾度も繰り返すて、
  ここまで、歩いておいでだということだと、お察すいたすます。

雨々ふれふれ もっとふれ
私のいい人 つれて来い
雨々ふれふれ もっとふれ
私のいい人 つれて来い

  さて、ここでクエスチョン。   
  この、男の職業は、何ですょ?
  
  サラリーマン?違います。
  ホスト?いいえ。
  ダンサー?まさか?

  答えは、現場監督。
  工事(ズ)現場の、監督さんです。

  雨が降ると、現場の仕(ス)事は、休みになって、
  それなら、ちょっこと、女のとっころでも
  行ってくるか、と、いうことになるわけです。

  だからこそ、女も、雨が待ち遠すいというわけです。
  雨が、わたすのいい人を連れてくるというのは、
  こういうすくみになっているわけですて。

さて、ここで5分間のトイレ休憩にいたすます。

(すーこっこっこ)












注釈:
『ペギー小淵沢の演歌歌詞(ス)解読講座』スリーズ、
実(ズツ)は、あんます、評判が良ぐなかったんで、
このまま、お蔵入りさせるつもりだったんだけど、
ひょんなところから、好評をいただいたもんで、
急遽、続きをアップすますた。
satomiさん、ありがとうございますて。

番外編 ー旅の写真集1ー

旅の事を書こうと思っていたら、
わたし、Giovanniの、全くの個人的趣味により、
人物伝を書く事になってしまった!

ああん、島の話や、海の話をもっと聞きたいのにぃ、
という皆さまも多いと思うので、
番外編として、
写して来た写真を何枚か、ご紹介しましょう!

まずは、ご覧あれ!
この美しい海を!




青い、と一口に言ってしまうのは、
申し訳ないくらい、青い。または、
蒼い? 
この色はどこから来るのだろうか?と、幼い頃に抱いていたのと
同じ疑問を、海に向かってぶつけてみたくなる。

冷たく冷やした、ミントゼリーのように、ひんやりと甘い、
というイメージだが、
水温は、温泉と紛うばかりに温かく、
味はもちろん、塩っからいのである。
にがり成分を、たっぷりと含んでいる濃い海水。

写真の、砂浜が写っているものは、
石垣島からボートで5分で渡る事の
できる、竹富島にある唯一の砂浜、
コインドビーチ。
ちょうど、大潮の時期だったので、
正午を過ぎるとどんどん潮が引いて、
かなりな遠浅になる。
ビーチの施設としては、
無料のシャワー小屋とトイレがあり、
飲み物販売と、ビーチパラソルを貸してくれる
ボックス車が1台いるのみ。
他に何が必要さ?

で、次の3枚は、さっき言った竹富島。
叔母と母は、牛車(速度時速3m?)で、
のんびりと、島内を巡っておりました。

わたし、Giovanniは、自転車を借りて、
島内一周の旅(約10分)!
完全に観光地化されてはいるのだけれど、
西表島ではほとんど見なかった、赤瓦の屋根が、
青い空に映えて美しい!
屋根の上のシーサー君も、何だかマンガちっく?

















とりあえず、今日はここまで!
番外編の次回もお楽しみに!