わたし、Giovanni、冬至のことを書いている。
『ヨーロッパの人たちが、
冬の暗さや寒さから来る、気の滅入りを、
少しでも和らげるために考えたのが、クリスマスだ、
という説を聞いたことがある。
クリスマスを12月25日とする根拠は、
実は聖書などには無くて、
古代ヨーロッパに既に存在していた太陽を祀る祭と、
キリストの誕生を結び付けた、という説である。
その太陽の祭が、
一年で一番夜の長い冬至の明け、
すなはち、太陽が夜の闇に打ち勝ち、
これから段々と日が長くなるというタイミングで、
祝われた、ということである。
そこに、キリストという救世主の誕生を結びつけて、
盛大にクリスマスを祝う根拠にしたわけである。
そういうことは別としても、
長く暗い冬の夜を、クリスマスを待ち望む喜びや楽しさ、
例えば、ドイツのクリスマス市などもそうだが、
そういうもので紛らわせるというのは、
一つの人間の知恵だったのかも知れない。』
クリスマスの本当の意味を、今自分の身近にいる人たちに、
巧く伝えるのは難しいことなような気もする。
それだけ、クリスマスの価値観が、
本来のものとは、かけ離れたものとなり、
それがそれで一人歩きして随分遠くまで行ってしまっているからだ。
そのような、一人歩きしてしまったクリスマスを、
批難したり、悲観したりするつもりは無いが、
願うならば、
みんなが、少し立ち止まって、
いちばん長い夜に、いちばん静かな夜に、
暗闇で目を凝らし、静寂の中で耳を澄ましてくれたら、と、思う。
世界の多くの国や、地域で、今もまさに、
いちばん長い夜の暗闇の中で、
どこかに、自分たちに希望があることを報せる、
小さな星の光がまばたいではいないだろうか、と、
目を凝らしている人たちが、いるということに、
気がつくことができたなら。
そういう人たちの、囁くような小さな声に、
耳を傾けることができたらなら、
クリスマスは、もっと、本来の喜びと、明るい光で、
素晴らしいものとなるのだと思う。
冬至の前日を、
キリスト教の幾つかの暦が、聖トマスの日としている。
聖トマスは、キリストの弟子の一人だが、
キリストが、十字架にかかって死んだ後、
三日目によみがえって現れた時、
その復活を信じなかった、疑いの心の持ち主だった。
復活したキリストに、
自分の脇腹を手で触れてみるように、促されて、
初めて、その復活を信じたトマス。
この『疑いの心』から、『信じる心』への移り変わりを、
いちばん夜が長い今日の日と、
明日から始まる新しい日の境目になぞらえて、
聖トマスの日としたのだと言う。
悲しみから喜びへ、憎しみから愛へ、分裂から和解へ・・・
世界中の、そして、わたしたちの中の、
全ての闇が、今日のこの日を境に、
だんだんと、希望にあふれる光へと変わっていきますように。
いちばん長い夜に、
わたし、Giovanniは、そう祈ってやまない。

冬至行き トマスも心 晴れ渡り
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