


ジョグジャカルタで地震、と聞いて、
昔、訪ねたあの古い美しい町を思い出した。
死者は当初の発表の倍にもふくれあがり、
雨期が始まったジャワでは、容赦無く、
避難している人たちを、
激しい雨が濡らしているという。
今日のニュースの続報で、
バンドゥンもまた、
最も大きな被害に遭った街だと、報道されていた。
バンドゥンは、わたし、Giovanniも
2ヶ月、生活をした町である。
旧い都だった町で、
ジャカルタや、ジョグジャカルタ
(現地の人たちは、”ジョグジャ”と呼ぶ)
とは、趣を異にした、
落ち着いた、しっとりとした町である。
その町にある、大きな修道院の、一間を借りて、
わたしは、生活をしていたのであるが、
あの、修道院は、一体どうなっただろうか?
そこに住む、シスターたちは?
1995年の淡路島阪神大震災は、
わたし、Giovanniの身近な人たちの多くが、
命を失ったり、家や財産を失った災害だった。
ちょうど、インド、タイ、シンガポール、そして
インドネシアでの仕事を終えて、
日本に帰国し、暫く、何もすることなく
ぶらぶらしている時だったこともあり、
地震直後から、救援物資を担げるだけ担いで、
神戸へ向かった経験がある。
その後、2ヶ月近く、阪急六甲の駅近くの保育所
(当時は、避難所として30人近い被災者が
生活をしていた)で、炊き出しをしていた。
あれから10年以上の年月が経ったが、
この間にも、日本各地、世界各地で、
規模の大小を問わず、地震の被害は起きている。
その度に、
自分に、何ができるのだろうか?と、問いかける。
今すぐにでも、駆けつけて、神戸での経験を活かして、
救援活動ができるのじゃないだろうか?
と、思うと同時に、
今の自分には、物理的にそうできない現実があり、
そのジレンマに、歯噛みをしたくなる。
今これを書いている間も、
(そして、あながたこれを読んでいる間も)
痛み苦しみを味わい、
絶望の淵に立たされて、
途方に暮れている人たちがいるという現実は、
わたしたちのものでは、ないのだろうか?
0 件のコメント:
コメントを投稿