火曜日, 4月 11, 2006

和解するということ その2



和解する、ということでもう一つ思い出すことがある。

JBという友人のことだ。

インドのマドゥライ(マドラス)で働いていたときに、
JBとは最初に出会ったと、記憶している。

何がどう、というのではなかったのだが、
何となく、馬が合わなかった。

確か一度だけ、仕事で二人連れ立って、
どこかへ出かけた事があったのだが、
何を話すでもなく、気まずい沈黙ばかりが、
二人の間に、横たわるように、続いていた。

結局、馬は合わないまま、気まずさの沈黙も、
そこから立ち去る事の無いまま、
JBは自分の町へ帰って行った。

その数年後、JBは、フランスへ渡り、
わたし、Giovanniは、
再び、インドでの生活を始めていた。

インド中部の、ハイデラバードという町を
訪問する機会があった。

そこは、JBの故郷で、
JBの家族を訪ねることになった。

夫を亡くした未亡人である、JBのお母さん。
そして何人かの兄弟姉妹が、
手厚くもてなしをしてくれた。

お母さんは、息子であるJBを、
それはそれは、自慢のたねにしておられて、
フランスから送られてきた写真などを、
誇らしげに見せてくださった。

そういう、JBのお母さんを初めとする、
ご家族と出会い、
自分が、JBのことをあまり良くは思って
いなかったことに、
一種の後ろめたさを感じたし、
又、ある種の恥ずかしさすら覚えた。

ああ、いつか、機会があったら、
JBに、
君の家族にお会いしたよ、
素晴らしい家族だね、
と、笑って、
伝えたい、と、その時は心から思った。

そして、その2、3年後だろうか・・・

久しぶりのフランスの共同体。
日曜日の朝のミサの後、
教会の外には、数百人の人が、
互いに挨拶を交わしたり、楽しげに
話をしたりしていた。

たくさんの人たちの人垣の向こうから、
誰かがこちらに向かって近づいてくる
気配を、感じた。

ちょっと、映画か何かの、
スローモーションシーンのように、
人の固まりが、
まるで、モーセの十戒の海が開く場面のように、
二つに割れて、その間を、
こちらへ向かってくる、その人は、
JBだった。

満面の笑みをたたえて、
ついに、ここまで到着したJBは、
両手を広げ、ハグと握手を求めてきた。

JBと会ったのは、インド以来、
恐らく、6年振りだったと思う。
その6年間、自分の心のどこかで、
かたくなに閉ざしてきた扉が、
その瞬間に、何ごともなかったかのように、
大きく開かれた気がした。

自分は、何に心を閉ざしていたのだろう?

和解していなかったことにすら、
気がつかないでいる自分がそこにはいる。
とても消極的にではあるが、
和解を拒み続ける自分がそこにはいる。

和解するということ。
それは、そういう自分の姿を認め、
先ず、自分自身と和解するということなのでは
ないだろうか。

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