木曜日, 3月 23, 2006

Around the round table - 丸いテーブルを囲めば


もう、かれこれ20年くらい、
わたし、Giovanniは、自分の”丸いテーブル”を探し求めています。

20年前に、生活をしていた、
フランスのcommunauteのダイニングテーブルの中に、
丸いテーブルが幾つもあったのだけれど、
いつか自分も、こんな丸いテーブルのある生活をしたい、
と、Sister Tessaにもらしたところ、
Oh, Giovanni! I am sure that you will find
your own round table one day!
と、彼女はキッパリと、言ったのでした。

あれ以来、彼女の言葉を信じる、その根拠も知らないまま、
ずっと、変わらずに、自分自身の”丸いテーブル”を
わたし、Giovanniは、探し求めているのです。

丸いテーブルって、何なんだろう?

例えば、相互の利害関係に大きな緊張感を持った国々が、
何かの交渉ごとを行う場合、
丸いテーブルを囲むという光景を、
みなさんは、観た事ないでしょうか?

日本の、上座、下座というような、位置関係による
人間関係のランク付けのようなものって、
世界の様々な文化の中にもあるのではないかと思うのです。

そういうランク付けを、完全にではないにしろ、
かなり、無視することのできる方法が、
丸いテーブルを囲む、ということ。

四角いテーブルだと、どうしても、
『ああん、何で俺はこんな角っこなんだよぉ!』のような、
不公平感が生まれてしまうけれど、
丸いと、何だかそれだけで、円満な感覚を覚えませんかね?

フランス時代、Le Puitsー井戸という意味ーという名前のついた、
可愛い家の管理人をしていたことがあります。
そこは、communauteの宿舎になっていて、
1週間単位で、20人程度の人が宿泊する施設でした。

その家のダイニングテーブルは、大きな木製の丸いテーブルで、
随分古い物のようでした。
その日の宿泊者人数に合わせて、食事前に
テーブルセッティングをするのですが、
20人分をきっちりセットして、
皆が席に着いて食事を始めようとするころに、
飛び入りや、たった今アメリカから到着、南アフリカから到着、
というような人たちがやってきたりして、
慌てて、椅子を足したり、スープ用の皿を取り出したり。

そういう時でも、丸いテーブルであれば、みんなが少しずつ、
自分とテーブルの距離を遠くするようにすれば、
難なくみんなでテーブルを囲む事ができるのでした。

ともに食卓を囲む、という事の大切さを、
現代に生きるわたしたちは、どんどん忘れてしまっていないでしょうか?

個人の意志や、志向が尊重されることは、
それはそれで意義のあることです。

しかし、一つの食卓を囲み、
同じ皿から同じ食べ物を分け合って食する、という、
人間の最もシンプルな、共同体としての行為を、
わたしたちは、急速に失ってきているということに、
危惧を感じる事すら無いのでしょうか?

一つの家族ですら、
親子が別に食事をするとか、兄弟が別の物を食べるとか。
家庭における食卓も、
今や人間社会の最も基本的な共同体ユニットである家族にあっての
役割を果たす事がなくなってしまったのでしょうか?

みんなで、丸いテーブルを囲むということ。
わたし、Giovanniは、これを求めているのです。

追伸 ちなみに画像は、Giovanniがかつて住んでいた村です。

by Giovanni

0 件のコメント: