木曜日, 6月 11, 2015

単純素朴 simplicity

Ciao! Giovanniです。 我が家にはテレビが無い。 ああ、ある。リサイクル引き取りに出さなきゃいけない ブラウン管テレビが一台。 つい、二、三ヶ月くらい前まではばりばりの現役だったが、 テレビ放送のデジタル化で、しばらくの猶予の期間が終了し ついにもう放送を観ることができなくなったのだ。 ※現在は、iPadやiPhoneでテレビを観るシステムを導入して、快適なテレビ持ち運びライフを満喫している。

このテレビは、20年前東京に移り住んだ時に、当初はテレビは必要ないと思っていたものの、はやり夜が退屈で寂しいと、深夜の量販店へわざわざ出掛けて購入した物。たまたま今回は上記のような理由で使うことができなくなったが、そうでなければまだ壊れているわけではないし、使い続けたと思う。

テレビ同様に我が家には、同じように長く使っている製品や道具がたくさんある。扇風機も洗濯機もやはり20年近く現役だし、洗濯物を干すための木製のピンチときたら、東京暮らしの前から使っていたので、それこそアンティークの域に達するかも知れない。

物をどのように所有するかについては、人それぞれにやり方があるし、他人がどのような物をどれだけ持っているかということに、いちいち口を挟む事はないわけだ。稀に、親にはそろそろ自分の人生のゴールに向けての身辺整理を勧めたりはするが。

世界に影響をを及ぼす100人の内の一人に選ばれた、日本人の収納コンサルタントについて紹介する番組を観た。日本のみならず、アジアやヨーロッパ諸国、アメリカにも、その収納のメソッドを支持する人がたくさんいるという女性を紹介する番組だ。彼女自身ややクセのあるキャラクターで、好きか嫌いかと言われると、わたしGiovanniとしてはあまり好感が持てないタイプなのではあるが、彼女の思考、物を所有するということに対する考え方というようなところで、大きく共感できるところがたくさんあった。

彼女自身が、自分の転換地点として語っていたのは「自分にとって不要な物は、自分にとって何が大切かを見極めることを通して知ることが出来る」ということ。最初はきれいに収納することばかりに囚われ、ただひたすら物を捨てることだけに重きをおくために、本当は必要な物までを捨ててしまうという失敗を何度も繰り返してその中で、不要な物=大切では無い物、ということに気がついたとか。そして自分にとって大切なのが何かを知るためにその物をよく見る目が必要だということ。物をよく見るように、という声がどこからともなく聞こえてきたそうである。

また彼女のメソッドが欧米人にこのように受け入れられている一つの理由としてあげられたのが、不要になって物を捨てる時に、その物に対する感謝の言葉をかけて捨てるという方法。確かに日本やアジアの国々には、物には魂が宿っているというような哲学が根付いてきたわけで、針供養や人形供養などという行事も日本には古来から続いて残っている。物に命があるというような考え方は欧米ではむしろ異教的な呪術的な意味合いを持っていて、否定されてきたのだろうが、東洋の思想や哲学、自然環境と人間の共生、などに対する関心や共感という大きな潮流が、彼女のメソッドを受け入れる機を熟させたのかも知れない。

職場の友人が、突然、本を貸してくれた。ドミニック・ローホーというフランス人の本で、『「限りなく少なく」豊かに生きる』(講談社刊)というタイトルの200ページに満たない本だ。仏教、とりわけ禅に造詣が深く、アメリカでは仏教系大学で教鞭をとったこともあるという人物だそうだ。内容としては、単に物質としての物だけではなく、時間、感性、お金、目標、言葉、人間関係、感情、考え方、そしてエゴ、と、あらゆる生活の基盤になる要素について、よりシンプルに単純化することで得ることの出来る豊かさというようなことを、簡潔な短い文章で綴っている。

その中で、著者の非常に仲の良い友人との関係について書いているが、その友人は非常に寡黙な人で、一緒に色々な所へ出掛けても、ほとんど何も語らず、最後にさようならを言うくらいだという。もちろん著者の友人たちがみんなそうなのではないわけで、きっとたくさんのおしゃべりで愉しみ合える相手も大勢いるのだろうが、そういう沈黙を分かち合えて、なおかつ長く付き合っていける人間関係というのは、確かにとても豊かな間柄なのだろうと想像できる。

自分の生活を振り返ってみたとき、比較的シンプルに、多くの物を所有したり、次々と新しい製品に買い替えたり、いつもたくさんの会話や情報に振り回される、というようなことなく、生きているつもりではある。昨日のことをいつまでも引きずったり、明日がどうなるかと思い憂うこともできるだけしないで、と、心がけているつもりだ。
それでも、仕事上のストレスをいつの間にかたくさん抱えてしまい、知らないうちに疲労を蓄積させて、行き詰まってしまった。改めて、本当に自分に大切なことは何であるのかを見出すタイミングが、今与えられているのだと思う。

単純素朴、ということばが好きだ。
音の響きというか、ことばから発しているイメージに、豊かさが刷り込まれている気がする。
単純素朴に日々の生活を送ることができたら、と思って止まない、わたしGiovanniである。


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