土曜日, 12月 30, 2006

一年の終わりに

え?本当に?と、思うくらい、
あっと言う間に過ぎて行った、2006年。
しみじみと、今年を振り返る心のゆとりも無いくらい、
年末も、バタバタと忙しく過ごしてしまった。

明日から、ほんの短い期間だが、
休みをとって、両親に会いに行く。
親の年齢も、多く重ねると、
やはり、新年くらいは一緒に過ごしたくなる。
朝の早い飛行機なので、
今日は、とっぷりと風呂につかって、
早めに寝よう。

一年の終わりにあたって、
このブログを読んでくれたみなさんに、
これだけは、伝えておきたい。

平和。
世界の人の、全ての命を脅かす恐怖が、
来年こそは取り除かれて、
本当の平和のうちに、
わたしたちが、この地球で、一緒に、
生きていくことができるように。
そのために、わたし、Giovanniに
できることは何だろうか?

毎年同じようなことを考えているように、
思うけれど、
来年は、本当に、平和のタネをまき、
その平和を、大きな木に育てたい。

先日書いた、
新しく見つけたオリヴの木の前で、
しばし、その銀色に光る葉裏をなぜながら、
そんなことを思った、今日の帰り道だった。

そんな年末の朝、
新しく買ったジャムのふたの裏に、
こんなサプライズが!



ありがとう、2006年!
そして、2007年もハッピーな笑顔で、
行きたいものである!

水曜日, 12月 27, 2006

何気ない、マグカップたち(改訂)


わが家の食器の棚を、見た人は、ちょっと驚くかも知れない。
Giovanniって、一人暮らしだよね?
何でこんなに食器が揃っているの?
と、言われることはしばしばだ。



主に、ガラスのコップやボール、耐熱皿と、
白い陶器や磁器。
業務用または、それに準ずる物が多く、
色柄のものは、ほとんど、と言って良いほど、
わが家には存在しない。
ひと頃、随分と、客を招いて料理をした時期があり、
同じ皿が6枚とか、1ダースとか、
揃っているほうが何となく都合も良いと、買いそろえた結果が、
こういうことである。

ただ、例外的に、
イラストやデザインがカラフルな、コーヒーマグが
幾つか、並んでいる。
一般的なお客を招く時には使わない、
個人的に朝のコーヒーや、
夜寝る前の温かい飲み物に使うだけだ。

まだ、もう少し若かった頃、
好きな子が出来て、いい感じに付き合いが進むと、
その子専用のマグカップを買ったものだ。
今思うと、
自分の若さが微笑ましく思い出されるエピソードだが、
当時はきっと、それはそれで必死だったのだろう。

その子の個性や感性に似合った色柄やデザインのものを、
色々見て回って購入し、
お泊まりの翌朝、
そのマグカップに、いれたてのコーヒーを注ぐときの幸せ。
そんな幸せに、酔いしれる自分は、本当に若かった。

ところが、その後、専用マグカップを買うと、
その恋が終ってしまう、というジンクスに気がついた。
独占欲が強い性格だったので、
相手の存在を、自分の生活の中に組み入れてしまおう、
そういう魂胆を、相手に見破られてしまい、
それを負担に感じると、とっとと愛想を尽かして、
いなくなってしまう、ということだったのだろうか?

つい最近知り合って、上手く行けば良いのに、と、
思った相手がいた。
知り合って、すぐ間も無いうちに、
家へ来ることになり、
その当日、出かけた先で、
ふと、マグカップを探してみる気になった。

店を三軒見て回ったのだが、
クリスマスギフトのシーズンだったからだろうか、
ツリーやサンタの絵が描かれたものばかりが並んでいて、
なかなか、コレというものを見つけることは
出来なかった。

若かった頃の自分であれば、
それでも、翌朝二人で飲むコーヒーのことを思って、
それなりの物で妥協してでも、
マグカップを買って、持ち帰っただろう。

その時は、結局、
まだ先があるだろう、これからゆっくり
より素敵なマグカップを見つける時間があるだろう、と、
夕食後のデザートに食べるプリンだけ買って、
そそくさと、帰宅したのだった。

棚に並んでいる、
色とりどりの楽しいマグカップには、
そのそれぞれに、ちょっとしたエピソードがあり、
今となっては、
それなりの良い思い出になっていたりする。
早朝のコーヒーや、深夜のココアを飲むときに、
手に取ったマグカップに、
ふと、そんな昔を思い出させられたりすることもあるけれど、
いつの間にか何となく、
何気ない、毎日の生活のシーンの一部となっていて、
何か劇的な心の動きを誘導するものでは、
もう、なくなってしまっている。
ただ、朝冷えの手に伝わる温もりだけが、
かすかに、楽しい日々の思い出の断片を、
伝えているかも知れない。

ちなみに、最近知り合ったその人とは、
大きな進展を見ることがなく、
結局、その人専用のマグカップは、必要でないままに、
関係は終ってしまった。
その人のためのマグカップを探しながら、
心のどこかに、
買ってしまえば、それで終ってしまう恋、と、
いう思いが働いて、
それが色々なことに、ブレーキをかけていたのかも知れない。
そんな分析をする反面、
あのとき、無理にでも、新しいマグカップを用意しておけば、
その人との関係に、
何か幸せなきっかけを作ることが出来ていたかも知れなかった、
とも思い、
今となって悔しい気持ちになる自分もいる。

ともかく、
わが家のキッチンの棚に、新しいマグカップが並ぶのは、
まだまだ先のことになりそうで、
今は、何気ない、マグカップたちが、
わたし、Giovanniの心をホットさせてくれるだけである。

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最後の下りのところ、
翌朝思い返して若干書き足してみた。
これが、正直な気持ちかな。

by Giovanni

土曜日, 12月 23, 2006

静かな夜 2006 クリスマス・メッセージ























心がざわめくのは、何故?
自分の気持ちが、通じないからだろうか?
それとも、仕事が思う通りに進まないから。
目の前に山積みになった、幾つもの課題に、
手をつけられずにいる、わたし、Giovanni。

賑わう町。
『心を込めて』という謳い文句を添えた、
物ばかりが行き交うシーズン。
心は本当に、伝わるのだろうか?
鳴り止まない、音楽。

本当は、静かな夜。
闇の静寂の中で、その人は生まれた。
痛みに耐える母と、見守る父、二人の息づかい。
他に聞こえるのは、
満天の星のまばたきと、天使のグロリアか。

本当の静かな夜は、
例え、大都会の喧噪の中であっても、
迷いも、不安も、恐れも無い平和な心に訪れる。

小さなキャンドルのともしび一つで祝う、
静かな夜。
物質的には、簡素で貧しくても、
心は豊かに満たされる、本当の平安を招く、
静かな夜。

わたしが本当に探し求めているものは何だろう?

それは、
全てがそこから新しく始まる、
静かな夜。

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世界情勢も、日本の毎日の生活の中で起きる様々な事件や事故も、
そして、わたし、Giovanni自身の身のまわりや心の中で起きた、
一つ一つの出来事も、
気持ちをざわめかせ、嫉妬や、憎悪や、絶望を、
幾つも、生み出す原因となった、
そんな一年だった。

解決できないままの、数々の問題や課題。
理想に描く喜びや平和へ、到達することができないでいる、
焦燥感の中で、
クリスマスという日を迎えようとしている。

キリスト教会でアドヴェント(待降節)と呼ぶ、
クリスマスまでの準備の期間、
教会の神父が、こうおっしゃっていた。

『全てが解決し、何の問題も無くなった状態での喜びなど、
あり得ない。
様々な困難を抱え、苦しみ、葛藤しながらも、
そこに本当の喜びを見いだそうとする姿勢こそが、
生きている人間に求められている姿である。』

静かな夜。
その夜の静寂の中で、
わたしたちは、自分たちが抱える課題や難問の大きさに、
途方に暮れそうになるだろう、が、
また、その静けさの中で、
次の新しい朝を迎えるという、希望を見いだし、
本当の平和を、心に築くのではないだろうか。

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平安な夜が、みなさんと共にありますように。

木曜日, 12月 14, 2006

闇/光










キリスト教を基盤とした西洋の文化や哲学では、
善=光、闇=悪、という公式が、
歴然と成立している。
全て正しく良い事象は、光に端を発し、
その逆は、闇から来るというのだ。
イエス・キリストは、
世の闇を照らすために来た、光である、と、
キリスト教の信仰では教えられている。

日本を含め、東洋の文化や哲学には、
白は白、黒は黒、ではない、
曖昧なグレーの部分を認める姿勢が、
しばしば見受けられる。
陰陽哲学のシンボルとなっている、
巴の印は、
陰の中心に陽が存在し、
陽の中心に陰が存在する、という哲学を、
具体的に示している。

人が、心に闇を持った時、
恐らく、西洋社会では、一般的に、
その闇をすっかり拭い去るための手だてを考え、
仮に、それが不可能であるのならば、
ありったけの光を闇に照らして、
闇があることを気づかないようにするかも知れない。

今までそのような経験が全く無かったわけではない。
生きている日々、歳月が、長くなればなるだけ、
それらの日々や歳月が、
決して、常に明るく光り輝いているばかりではない、
ということは、周知の上である。

何度も、真っ暗な闇に打ちのめされ、
立ち直ることが出来ると信じるのさえ、
不可能だと思うような出来事に遭遇してきている。

心に影を落とす闇が、
季節の逡巡と関連があると断言するには、
いささか科学的な根拠を欠くかも知れないが、
太陽の日差しが薄れ、闇の夜の長いこの時期、
わたし、Giovanniの心には、重くて厚い闇の雲が垂れ込める。

冬眠ホルモンなる物質の存在を、
漠然とは知っていたが、
そういう物質がわたしの体内にも必ずあるということは、
確信であった。
できることならば、夜の長い冬の間中、眠ってしまって、
気がついたら陽光眩しい春を迎えていたい、
という願望は、常に持ち続けてきた。

長い夜は、ときに、辛く寂しく、
何か行き場を失ったような息苦しささえ感じさせる。

10年くらい前だっただろうか。
夏が去り、かろうじてまだ夕方の儚い光を、
暫くは味わうことの出来た秋が終わり、
突然、つるべ落としのように夜が訪れる季節になり、
わたし、Giovanniは、
生まれて初めての、心の闇を体験した。

理由も無く、何の脈略も無いのに、
ただ、悲しくて、
仕事から帰宅した部屋に明かりを灯すことすらできず、
冷えて、真っ暗な空間で、
独り泣き叫ぶことしかできなくなった。

その深い闇の中で、
問いかけ続けた、
『わたしは誰なのか』『何のために生きているのか』
という、究極の疑問。
こんなに、一生懸命生きているのに、
なぜ自分は満たされず、喜ぶことが出来ないままでいるのか、と、
夜になる度に、闇に訴え続けた日々。

わたしのその心の闇を、破る光は、
ある日、やってきた。

冬至。
一年でもっとも夜の長い日。
その日が終わり、
今日からは、太陽の日差しを浴びることの出来る時間が
少しずつとは言え、長くなる、
その日を迎えて、
わたしの心は、闇の苦しみと決別することが出来たのだった。

闇と光について思うとき、
わたし、Giovanniは、
闇こそが悪、という西洋的な哲学によりは、
闇の中の究極な部分に光が存在すると考える、
東洋の哲学に、より相容れることのできるものを感じとる。

闇を知り得たからこそ、
光がいかに優れていて、貴重な存在であるかを、
理解することができる。
また、光の降り注ぐ、
人間が生理的に本来の命を、もっとも活動させることのできる
環境は、
夜の闇の休息の時間があってこそのものであるのだ。
そして、光を際立たせるために、
闇の存在は、不可欠なのである。

闇と光は、相対する存在では決して無い。

キリスト教の幾つかある暦の一つによると、
冬至は、キリストの使徒の一人である聖トマスの祝日だと言われている。
トマスは、
十字架に架けられて亡くなったキリストが、
自分自身の言葉通り、3日目によみがえり、
トマスの元に現れた際、
ただ目で見ただけでは、我が師の復活の事実を信じて受け入れることができなかった。
キリストの脇腹の傷に指を入れて初めて、
よみがえりを信じた人、と、聖書に記されている。

不信、疑いという闇の先に、新しい信仰の光がある。
その折り返し地点を、冬至になぞらえた暦であると言われている。

今、わたし、Giovanniの心を覆う厚い闇の雲が、
突然晴れて、
今までとは違う新しい光を見る日は、すぐ間近である。

今年の冬至は12月22日。
もう目の前である。

火曜日, 12月 05, 2006

Olive Tree

まさか、とは思っていたが、
その反面、そうなる予感は何となく心に抱いていた。

自転車で通勤するようになって、随分と経つ。
当初は、自転車で20分もかからない程度の通勤であったのだが、
その通勤途中、怪我をしたことと、
その後の異動先が、
自転車で通うには、やや距離があったこともあり、
一時、自転車通勤を自粛していた時期もあった。
しかし、今の勤務先になってからの、ここ2年は、
片道45分を、雨や雪が降りさえしなければ、
ほぼ、毎日のように、自転車で往復している。

そんな長い距離を(と、皆は言うのだが)
自転車通勤をしている理由は?と、問われて、
強いて言えば、と、答えるとすれば、
その45分間が、電車通勤の時間と、実は、ほとんど差が無い事。
同じだけの時間がかかるのであれば、
前夜の酒の残った、
決して心地良いとは言いがたい空気の淀んだ車内よりは、
清々しい、戸外の空気の方が、
(たとえ、車の排ガスを含んでいるとは言え)
まだ、健康的なのではないか。

それに、途中一度、立ち漕ぎをして一気に上る坂はあるが、
その他はほとんど平坦な道だとは言え、
往復1時間半の有酸素運動が、身体に及ぼす色々な効果。
これも、馬鹿にできない。

まあ、交通費を浮かす、などと言う、
超リアルな理由も無きにしもあらずだが、
一番大きな理由と言えば、
町並みの移り変わりを眺めたり、人間の日々の営みを観察したり、
そういうのが、好きなのに違い無い。

わたし、Giovanniが、自転車で通勤する地域は、
新宿から電車で20分そこそこの、
所謂、”武蔵野”と、称されるエリアである。
恐らく、現在のような住宅街として形成されたのも、
さほど昔のことではなく、
そもそもは、田畑の広がる、長閑な地域だったのではないだろうか?

その名残であるのか、
このエリアには、今も、造園業などを営む家が多く残っており、
ハナミズキなどを栽培しては、
庭師の小父さんなどが乗っている、白い小さな荷台の付いたトラックに、
土のついた苗木を積み込んで、
売りに行くような姿を、しばしば見かけるものである。

そんな、ちょっとした雑木林の傍らでは、
おばあちゃんらが、
趣味と実益を兼ねて野菜を育てる大きな畑があり、
夏であれば、露がしたたるようなキュウリや、
真っ赤に熟れたトマトが、
臨時に設えた売店(しばしば無人である)に並べられたり、
冬であれば、大根の土を、
手を切るような冷たさの水で洗う小母さんの姿を、
見かけたりする。

2年も通っていると、
この道は、あそこの角が車が多くて曲がり難い、とか、
ここの歩道は、デコボコしていて走りづらい、とか、
自然、楽にスムーズに走ることのできる道が決まって来る。
毎日出会う、
こどもを保育園へ送るお父さんや、
眠そうな目でどこを眺めているのか分からない白い犬。









そんな、毎日のいつもの通勤路沿いに、園芸店があった。
園芸店と言っても、
わたし、Giovanniが、うんと若い頃、
植物を育てるのが大好きで、
ほとんど毎日のように、花の苗や鉢を買ったり、
何も買わずとも、ただただ、その店先を覗きに行っていた、
前掛け姿の小母さんと、息子さんが営っていたような、
商店街の園芸店とは違っていた。

園芸店、と言うよりは、
ガーデニングショップ、と呼ぶのが似つかわしい店で、
三面が大きいガラス張りになった店をグルリと囲む庭には、
小さな花の苗や、ハーブの苗、
薔薇やら、果樹やらの鉢物、
中には、先に出た、造園業の小父さんのところのような、
立派な樹木なども植わっていた。

店内は、ここが商店街の園芸店とは違う、
ナチュラルテイストな、ガーデニンググッズなどが
所狭しと並んでいる売店と、
残りの半分は、
新鮮なハーブなどをふんだんに使った、プレートランチや、
ハーブティーなどが楽しめる、レストランになっていた。
普段の、早い時間の出勤でなく、
午後からの出勤の日など、昼前にその店の前を通りかかると、
若い奥さんたちが、
ハーブの苗を物色したり、
ランチの席の空くのを待って行列したりする様子を、
見ることができたものだ。

そこの、売店とレストランに入る、
これもまた、ガラスで出来たドアの横に、
大きなオリヴの木が生えていた。
この店が、恐らく開店して数年だから、
せいぜい、樹齢5、6年位の木だったのだろうが、
風格すら感じる大きな立派な木だった。

ご存知のように、
『オリーヴは、ぶどうと並んで、
もっとも早くから栽培されてきた果樹で、
オリーヴオイルは、すでに6000年前から
シリアで使われていたという記述がある。』
(『オリーヴオイルを使う本』ダニエル・
オージック著)
また、オリヴは、その果実も、幹や枝も、
葉も、全てが有益に使うことの出来る植物で、
地中海沿岸の国々では、
南半球の熱帯雨林で、ココナツがそうであると、
言うのと同様、
”捨てる部分の無い植物”と、オリヴのことを呼んでいる。

日本では、比較的温暖な瀬戸内の気候が、
意外にもオリヴ栽培に適していたのか、
旧くから小豆島で栽培されているが、
一般的には、国内では珍しい植物とされていた。
だが、近年のガーデニングブームで、
意外に栽培そのものは、手がかからないのと、
あの、オリヴグリーンと言われる、
いかにも、地中海の空と白い家並みに映えそうな、
深いグリーンに好感を持つのか、
家庭のベランダの寄せ植えや、オシャレなカフェなどに、
植えられているのを、よく、見かけるようになった。




園芸店の、その大きなオリヴの木を観るために、
わざわざ立ち止まることは、さすがに無かったが、
横目に眺めながら通った毎日。
いつも変わらず見せてくれるオリヴグリーンの姿が、
わたし自身、気がつかないうちに、
心のどこかに、安心感与えてくれていたのではなかっただろうか。
また、いつか、自分もこんな大きなオリヴの木を植えた庭がある、
安住の地を見つけたい、と、いうようなことを、
無意識のうちに考えていたのではないかと思う。

ある朝、同じように、いつもの道を走っていた。
件の園芸店の前を通過すると、
いつもと何やら様子が違っているのに気がついた。
店内が、閑散とした感じになっており、
オリヴの木の横のドアには、
大きな張り紙がしてあり、
園芸店の閉店が告知されていた。
ブームということの怖さなのだろうか、
一時ほどの賑わいが無くなってたのかもしれない。
或は、競合する類似した形態の店が、
もっと便利な場所にできたのか?
理由は分からないが、
ある日突然、その店は閉まってしまったのだ。

閉店後、その場所は、
元の様子をある程度残しながらも、
隣接していた中古車販売店が、買ったか借りたかで、
今まで、ハーブの苗が愛らしく並んでいた場所に、
眩しいくらいにワックスがけされて、
けばけばしい、ハワイのレイのような、
独特の装飾をほどこされた中古車が、
あれよあれよという間に、並ぶようになった。
それでも、ガラス張りの店の建物は、
ガランとした空き家のまま、
手をつけられずにいた。
そして、オリヴの木も、何も無かったかのように、
涼しげな表情で、南から照る太陽の日差しを、
浴びていたのである。

自転車通勤の良さは、
決して毎日同じ道を通う必要が無く、
その日の気分に合わせて、違う道を選ぶことも出来たり、
何か必要に迫られて、大きく気分転換をしたくなれば、
日々慣れ親しんだ今までの道を、
あっさり見限って、
今日から新しい道へ漕ぎ出すこともできる。
ふと、気がついたら、
元の園芸店の前の道は、通らなくなっていた。
特に理由は無かったのだが、
今思うと、何かを予感していたのかも知れない。

ある夜、珍しく、帰宅の道に、
中古車販売店となった、元の園芸店の前の道を選び、
街灯の無い薄暗がりの中、
いつものように、オリヴの木を目で探した。
しかし、ガラスのドアの横の、その木のあるはすの場所には、
もう、オリヴの木は無かった。
予感は、的中したのだ。
いつまでも、ここにあり続けるはずは無い、という、
オリヴの木の悲しい結末の予感が、事実になったのだ。

切り倒された切り株を確認するのは、
あまりにも惨めなので、
わざと見ないように、自転車を漕ぐ足を早めた。

木を切り倒す、しかも、オリヴの木を。
日本でも、例えば、街路樹のケヤキや、
庭の松を切り倒すということになれば、
それは、大騒ぎになるはずである。
しかし、オリヴという外来の、自分の生活とは、
直接大きな関わりの無い木だから、と、
その木を倒した人は、
斧を入れることを躊躇しなかったのだろうか?
それとも、ただ単に、
そういうセンチメンタリズムなどとは、
全く関係の無い経済活動を優先させた、
ただの作業として片付けられただけだったのだろうか?

それでも、切り株を見なかったことを幸いに、
一縷の望みをつなぎ、
どうぞ、切り倒されたのではなく、
どこか暖かで、日差しがたっぷりと降り注ぐ、
いかにもオリヴの木に相応しい場所へ、
移植されたのでありますように。
そう、祈るような気持ちで、
わたし、Giovanniは、帰路を急いだ。

振り返ってこの一連の出来事を思うとき、
果たして、あの1本のオリヴの木が、
それほどまでに自分の生活や精神に何か影響を与えていたのか、
と、問われれば、そうではないような気もする。
その木を失ってしまって、物語として、
今の自分の状況に、巧妙にこじつけているだけなのかも知れない。
だが、たとえそうだったにしても、
今、自分が、あのオリヴの木への大きな憧れの気持ちを、
強くしていることは、事実である。





















イタリアの、
比較的乾燥した土地に、
しっかりと深く根を拡げて立つオリヴの木。
樹高がとてつもなく高くなることは無いが、
むしろ、枝葉を四方に茂らせ、どっしりと、安定した姿になる。
そんな姿を、どこか、自分と比較して、
あまりにも頼りげのない、足元も覚束ない今の自分を、
省みている自分がいるような気がしてならない。

旧約聖書の有名な話に、ノアの箱船の記事がある。
神を顧みなくなった人間への戒めとして、
神は、大洪水によって、地上を改めようとされる。
そのことを、勤勉で信仰に篤いノアにだけ、神はお知らせになった。
神の仰る通り、ノアは大きな箱船を建造し、
地上の全ての動物をツガイでその船に乗せ、
家族とともに、大洪水をその船で乗り越えた。
雨が止み、風がその勢いを止め、日の光が差し始め、
ノアが鳩を一羽放すと、
やがて、その鳩が、オリヴの一枝を觜にくわえて、戻って来た。
それを見たノアは、水がひき、陸地が現れていることを知り、
大洪水の終焉を確認したのだった。
そんなことからも、鳩とオリヴの枝は、
平和の象徴と覚えられるようになった。

ここのところ、何だか気持ちの穏やかに安まる日が無く、
身体も疲れ切っていた。
自分がこれから、どこへ向かおうとしているのか、
何となくその行き先に、確かな安心感を見いだせないような、
漠然とした気持ちを感じたり、
職場の色々な人間関係に翻弄されることの重圧や、
日々繰り返すだけの何も変わらない職務への疑問、
そんな幾つもの要因が、知らず知らず、
自分を痛めつけていたようだった。

安心や、平和な落ち着いた状態を、
自分がこれほどまでに望んでいたのか、と、
今改めて思い起こさせられ、自分でも驚きを隠せないでいる。
もちろん、今の自分が、極端に不安定で幸せでない、
そういうことではないし、
求めている安心や安定が、
何か、富を積むとか、貯蓄をするとか、
より楽な暮らしをする、という類いのものでないことは、
よく分かっている。

自分の心が、何を拠り所にして、
今まで生きてきたのか。
そして、自分が寄り頼む存在が、誰であるのか。
そういうことを、忘れてしまっていなかっただろうか?
或は、自分を欺いて、素知らぬ振りしてきていないだろうか?
今となっては、
あのオリヴの木を切り倒したのは、他の誰でもなく、
わたし自身だったような気がしてならないのである。

平和のシンボルであるオリヴの枝を、
今一度、この心に取り返そう。
鋭い斧を入れて、切り倒したのではなく、
どこか暖かなひだまりの、肥沃な土に植え替えるために、
掘り起こしたあの大きな木を、
わたし、Giovanniは、再び、
心に空いた大きな穴に、植えようとしている。



つい、2年ほど前まで、
荒れ果てて忘れ去られたような空き地だった広い土地が、
整備されて大きな公園になった。
人工的に作られた公園ではあるが、
なだらかにすり鉢状になった地形を上手く利用し、
ゆるやかに下っていった先に、池のある美しい公園で、
朝早くでも、池の端を散歩する人や、
犬を遊ばせている人たちを縫うように、
わたし、Giovanni同様、
通勤、通学の自転車を走らせる人で賑わう、町の公園である。


この公園にも、こんもり丸く茂った、
オリヴの木が立っていたことに、ある日、気がついた。
公園のエントランスに、
幾種類もの針葉樹が寄せ植えされたようになった、
小さな築山があり、
周りを囲む敷石を辿ると、
山を登って反対側へ降りることができる仕掛けになっている。
その山の、目立たない裏側の麓に当たる場所に、
日影を作る物が何も無く、
ただただ、太陽から放たれる全ての光線を、
一身に浴びる、オリヴのその姿を見つけたとき、
わたし、Giovanniは、思わず自転車を止めて、
その深い緑の色をした葉を、そっと撫でた。

深く耕し新しくふっくらとした、
わたしの心の土に、再び植えられたオリヴの木。
新しく生まれる、鮮やかな色のその葉を、
そっと撫でる日が、
すぐまた訪れるという予感がしてならない。

月曜日, 12月 04, 2006

寒い夜

この2、3日、天気予報の人たちは、
日々、口々に、
この冬いちばんの寒さ、を、伝えている。

寒いのは、つらいが、
乾燥した冷たい空気が、
キリッとしていて心地よく感じる、自転車通勤。

残業を控えろ、と、社長が声を上げて、
定時に、そそくさと帰り支度。
帰り道の大きなスーパーに辿り着くまでの間に、
今宵の夕餉のメニューを考える。

一昨日の夜、友人が飯を食いにやって来て、
酒蒸しにでもしようとして、しそびれたアサリが、
そのまま冷蔵庫にあるのを思い出した。

チャウダーだ!
そうすると、足らない食材は、無いな。

☆アサリのチャウダーの作り方

材料 アサリ(砂を抜いておく) 玉ねぎ ニンニク
   カリフラワー ブロッコリー 牛乳 バター

作り方

1 スライスした玉ねぎをバターで透き通るまで炒める
2 炒まったら、水を注いで強火で玉ねぎを煮る
3 カリフラワー、ブロッコリーを小房に分けて、
  (2)の鍋に加えて煮る
4 カリフラワーとブロッコリーが柔らかくなり過ぎる
  手前に、アサリを殻のまま入れる
5 アサリが口を開いたら、牛乳を入れて、塩で
  味を整える

*アサリは火が通り過ぎると固くなるので、口を半分開いた
後は、手早く!
*食べる直前に、胡椒をひいて、アクセントを!

















こんなチャウダーには、意外にも、
玄米ご飯が合ったりする。

火曜日, 11月 28, 2006

爆発事故に巻き込まれる、の巻

年次休消化の目的で、
月2回くらい特に予定も無いけど、
休みを入れてもらっている。
今日は、その日。
明日の自分の定休と合わせると2連休ということだ。

生憎の天気で、
気分もまったりとしているけれど、
それでも泳ぎに行ったり、町へ出かけようと、
地味にウキウキしながら、
朝、きちんと起きて、コーヒーの支度をしていた。

わが家のコーヒーは、
簡易エスプレッソマシン、などとも呼ばれる
モカポットを使用。
下段の水タンクと、上段のポット部分を密閉し、
タンク部に仕掛けたコーヒーの粉を入れたフィルター部分に、
火にかけて圧力がかかった下段の水が、
瞬時に水蒸気と化し、コーヒー粉を通過し、
抽出されたコーヒーが上部ポット部から噴出する、
という仕組み。

何十年と、わが家のコーヒーは、こうして
毎朝毎晩良い香りを放ちながら、
作られていたのだ。

静かな連休の薄曇りの朝。

よりによって・・・

ブン!

という鈍い音が静寂を突き破った。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。

次の瞬間、
部屋中が、茶色い飛沫に覆われた様子が、
目に入った。

モカポットが、爆発したのだ。












ポットの上部と下部を、
回し閉めるときに、
調子が悪い手応えは確かにあったのだが、
そんなことは全く気にせずに、
火にかけた自分を責めた。

幸い、死者もケガ人も出ることはなく、
ただただ、真っ白なキッチンの壁や天井の
至る箇所に、
深い茶色の、エスプレッソのシミがついただけだった。

わたし、Giovanniの住む、アパートの白い壁は、
ラッキーにも、
ビニール製の壁紙で出来ており、
濡れたタオルでゴシゴシと拭いたら、
シミはウソのように消えていった。
ついでに、いつもより奇麗になった。
ヒョウタンからコマとは、これか?

壁も天井も床も、せっせと磨きながら、
ウキウキの休日が台無しになったと、
悔やみながら、
それが、コーヒーが原因だと分かりつつも、
それでもコーヒーが飲みたくなった。

月曜日, 11月 27, 2006

花を贈る/少し嬉しい

ちょっとした機会に、花を贈る。
職場の同僚で、2歳の娘を持つお母さんがいて、
娘の2歳のお誕生日の時に、
娘へ、ではなくてその同僚に、
小さなブーケをあげたら、
とても喜んでくれたことがある。

女の人で、花をもらって嬉しく無い、という人は、
恐らく希有な存在ではないかな?
小さなブーケでも、
もの凄く喜んでくれるので、
こちらも少し嬉しくなる。

仕事上、とてもお世話になっている女性で、
長年のおつきあいだけれども、
一度も会った事の無いSさんという人がいる。
電話で話をするばかりで、
今までなかなか実際にお目にかかるチャンスが
無かったのである。

そのSさんの職場に、用事があって伺う事になり、
初対面するSさんに、と、
駅前の花屋で、小さなブーケを求めた。
大きな花束なんかは、大仰になると思い、
ちょっとした気持ちを表す意味で、
花屋さんが予めアレンジをして、
可愛いガラスの器に『食卓に飾るブーケ』などと
書いた札を立てて売られているものを一つ選んだ。

途中、電車でもみくちゃにされそうになるのを
かばいながら、遠路はるばる、到着。
Sさんを訪ねたところ、
『Sは体調不良でお休みしています』とのこと。

ウ、ララー。
明日必ず出勤される、と分かっていれば、
お見舞いに、ブーケを置いてくることもできたけれど、
しばらくお休み、ということだったので、
結局、ブーケは手元に残ったまま、
岐路についた。

どうしよう?このブーケ?
と、思いながら、帰り道を少し回り道をして、
別の女友だちを訪ねてみようと思いたった。
ついでに、と言っては何だけれど、
このブーケ、理由もちゃんと話して、
彼女にもらってもらおう、と。
ところが、何と、彼女も今日は不在。

で、結局のところ、





















わが家の食卓に飾られた、
小さなブーケ。

何となく、少し嬉しい。

日曜日, 11月 26, 2006

DONABE DE SOUP

気がつけば11月末。
暖冬と言われているから、比較的暖かいとは言え、
夜、自転車で帰宅して、誰もいない部屋に戻ると、
身体はすっかり冷えきっている。

そういう夜は、土鍋を出してきて、
鍋に限る。

独りで鍋、って、寂しい、と、
おっしゃる人たちもいるけれど、
そんなことは関係無く、
寒い日に、湯気たっぷりの鍋を食せば、
身体も温まり、
心も一緒にポカポカしてくる。

わが家の鍋のレパートリーは、
幾つかあるのだが、
今日は、鍋料理の話ではない。
今日は、土鍋でスープ。

土鍋にたっぷりスープを作って、
チーズトーストなんかを添えて食べれば、
本当に、幸せな気分。
作り方も簡単。
土鍋だから野菜も早く煮える。

☆シルヴァンさんのママンのスープ土鍋バージョン☆

材料 ジャガイモ 玉ねぎ ニンジン キャベツ 鶏肉
   パセリ

作り方 
1 玉ねぎはクシ切り、その他の野菜と鶏肉は一口大に
  乱切りにしておく
2 土鍋に野菜を入れ、水を注ぎ、沸騰するまで強火
3 沸騰してきたら、キャベツ、鶏肉を入れてさらに煮る
4 じゃがいもが柔らかくなったら、塩で味を整える
5 食べるときにパセリのみじん切りを添え、胡椒をひく

  *野菜は他に、ブロッコリー、カリフラワーなど、
  まあ、何でもいいのですよ!
  *トーストに、溶けるチーズをのせて少し焦げ目を
  つけたのを一緒に食べると旨い!

”シルヴァンさんのママンのスープ”という命名は、
このスープをわたし、Giovanniの母が作って、
スイス人のシルヴァンさんに食べさせたところ、
あぁ、ママンの味!と、喜んだのが由来。

とにかく、土鍋は鍋料理だけ、と思っているのであれば、
こういう使い方も、ぜひお試しあれ!


















ちなみに、わが家の土鍋は、長谷製陶のもの。

火曜日, 11月 21, 2006

ひと休み
























東京へ移り住んで、早いもので11年。
そろそろ、12年目に突入する、
わたし、Giovanni。

ご縁があって、始めた今の仕事も、
同じだけの年月、続けて来た。

がむしゃら、と言うには、のんびり過ぎた、
『頑張らない』がモットーでやってきた
11年だった、と、振り返る。

それでも、
ここまで、よく来たなー、
よく続いたなあ、と、
自分を褒めても良いんじゃない?

どうです?
ちょっと、ひと休みしませんか?

何度考え直しても、
やはり、生涯は、ただ一度。
指折り数えれば、その終焉まで、
さほど遠くは無いのだ。

ここらで、ひと休み。

本当に、自分がこうありたい自分であるために、
次に選択するのは、
何なんだろう?と、
コーヒーマグの温もりを、
指先と、掌に感じながら、
考えてみようよ。

深い水の底の、
静かな世界。

砂塵に目を覆いながらも、
走り続ける列車。

見上げると、
どうあがいても自分には
創り出すことの出来ない、
空と雲。

ひと休みの時。

日曜日, 11月 12, 2006

わが家のごはん

25歳の男子1名女子2名が、わが家へやって来た。
名目は、『25歳の会』。

彼らが、時々一緒に飲み食いをしてると聞いて、
夏の頃だったか、飛び入りで参加させてもらった。
年齢不詳キャラのわたし、Giovanni、であるが、
それにしても、うんと年下の彼らと、
話に花が咲き、楽しい飲み食いだったので、
じゃ、次回はわが家へおいで、と、話していたのを、
実現させたのだった。

4、5日前から、
彼らに何を食べさせようか、と、
色々思いめぐらせていたのであるが、
結局のところ、わたし、Giovanniの最も得意なところ、
南仏からイタリアにかけたあたりの家庭の味、
みたいなコンセプトで、メニューを考えた。

その夜のメニューはこんな感じ・・・

*茹で南瓜の自家製マヨネーズ和え
*チコリとカリフラワーのサラダ&サーディンとドライトマトディップ添え
*地鶏と3種の豆トマト煮込み&クスクス
*鰯のマスタードオーヴン焼き
*大根と柿の柚子風味サラダ
*ラ・フランスのクラムブル
*コーヒー

若い男女たちは、十分、堪能してくれて、
美味しい、凄い、を連発。
今年食べた最高の料理、などと褒められて、
少し照れたけれど、
美味しいと言われて、嬉しくないわけはなかった、
わたし、Giovanni。

ここ何ヶ月も、人を招いたことがなかったが、
以前はちょくちょく、こうやって、
職場の子たちや、友人を、2人3人、
多い時には12、3人もがやってきて、
わが家の食卓に共に着くことがあった。

一緒に働いてる子たちなど、中にはご実家暮らしもいるが、
概ね、一人暮らしで、
彼らの昼食の様子などを見ていると、
1コインショップで買った、カップ麺とおにぎりとか、
菓子パンに出来合いのポテトサラダ、なんて感じ。
まさか、毎日毎食そうではないと信じるが、
かなりの割合を、ああいう食事で済ませているんだろうと思う。

わたし、Giovanniの母は、
長年、幼稚園教諭として働いていた人で、
忙しいワーキング・ウーマンだったが、
それでも、
出来合いのオカズやレトルト食品が
食卓に上がった記憶は、ほとんどない。
夕方帰宅すると、ぱっぱっぱ、食事の支度をして、
比較的早い夕飯を好む父が、不機嫌にならない程度の時刻には、
家族全員が揃って、夕餉を囲む、という生活が
ずっと続いたものだった。

食べる事を楽しむ両親だったので、
時折、出かける外食も、
それはそれで子どもたちとしては、嬉しかったし、
家では味わうことの出来ない、
美味しいものにありつける、チャンスだった。
が、やはり、わが家のご飯に勝るものは無いと、
心から思っていたし、
夕飯をどこかで食べて来てしまう、などということは、
滅多に無かったと思う。

世の中、特に日本には、
美味、珍味と言われ、行列に並んででも食べる、
という食べ物がたくさんある。
しかし、わが家のごはん、わが家の食卓が、
本当はいちばんのはずだ、と、
わたし、Giovanniは思っている。
特に、家族と囲む食卓は、格別である。

一人暮らしをしていると、
一人で食事をすることが多いものである。
そうすると、どうしても、食事によりは、
テレヴィに集中してしまったり、
酷いときには、Macの前に座って、
メールの返信をタイプしながら、飲み食い、
などということもある。
これは、大いに反省すべき点である。

時々、と言わず、
もっと頻繁に、人を招いて一緒に食事をしよう、と、
今回の『25歳の会』で、
わたし、Giovanni、改めて思ったのである。

せっかくなので、今回のメニューにある、
”大根と柿の柚子風味サラダ”のレシピを簡単に紹介しよう。

材料 大根・柿(熟し切っていない、固いもの)・柚子
   パセリ・塩・オリヴオイル

作り方 1 大根を厚さ3mmくらいのいちょう切りにし
      ボールに入れて塩をふり、全体になじむようにして
      15分程度そのままにしておく
    2 柿も同様に、3mmのいいちょう切りにしておく
    3 柚子の皮を薄く剥いて、できるだけ細い千切りにしておく
    4 塩でしんなりした大根を、水洗いし、水気を固く絞る
    5 大根、柿、柚子の皮を混ぜ合わせ、柚子の果汁と
      オリヴオイルで和える
    6 みじん切りにしたパセリを加えてさらに混ぜ、出来上がり
      *最初に大根にふる塩の量で全体の味が左右されるので
      大根と柿を和える時点で塩が足らないようであれば、
      調整する
      *柿は甘いものより甘いの少ない固いものが適する
      

水曜日, 11月 08, 2006

おフランス

赤塚不二夫の往年の傑作、
『おそ松くん』に出てくるキャラクターに、
イヤミ、というのがいる。
出っ歯のおじさんで、おじさんとは思えない、
おかっぱ頭にいつもおされなツーツ姿。
何かというと、
しぇー。
わたし、Giovanniの幼少のみぎりの写真に、
この、しぇーを模したものがあるから、
随分昔に生まれたキャラクターだということが
分かる。

イヤミ、とってもキザなおじさんで、
自分の事を、ミー、と呼ぶ。
フランスに住んでた事があるとか(真偽は不明)で、
フタコト目には、
ミー、が、おフランスにいた時、などと発言。

アメリカにも、ドイツにも、『お』を付ける何て、
誰も考えないけど、
フランスには、何故か、『お』が似合う?

果物の美味しい季節。
わが家の食卓には、柿と、ラ・フランスが頻繁に上る。
何故か、イヤミを思い出す。
おフランスの、ラ・フランス。

日曜日, 11月 05, 2006

翼の生える日

カラーン、カラーン、カラーン・・・
と、朝のお祈りの時間を告げる鐘が、
小さな丘の上の村全体に響き渡る。
8時とは言え、空はまだ真っ暗な、
ヨーロッパの朝。

心地よい眠りを、大きな鐘の音に打ち破られ、
少し不機嫌になる。
ああ、もう少し、こうして温々と、
眠っていたいのに。

それでも鳴り止まぬ、鐘の音。

おや?待てよ?

その次の瞬間、
自分が何か大きな間違いをしでかしていることに、
気がつき始める。

今までの眠気が、
ウソのようにどこかへ取り去られ、
体中の血液が、
ドクドクと音を立てて、巡って行くのが分かる。

遅刻だ!!!

この鐘がなる時間、それは、すなはち、
修道士たちと、村の人たち、そして、
今この村へ巡礼にやってきている、
数百人の巡礼者たちが、
すでに、御堂に集まってきており、
もうまさに、最初の詩編を、
美声を持った、フレールJ-Mが、
歌い出そうとしている時分なのだ。

そして、人々が寒い村の道を歩いて、
御堂に入ったときに、
適度な暖かさの暖房が効いており、
前方のサンクチュアリーの、無数のキャンドルに、
暖かな光が灯されていなければいけない時間。

何を隠そう、それらの準備を行うのが、
わたし、Giovanniの仕事である。

わたしは、まだ、呆然とベッドの上におり、
途方に暮れていた。

が、次の瞬間、
わたしは、服を着替え、靴を履き、
まるで、背中に翼をつけた天使の如く、
自分の住む小さな家から、御堂までの道を、
飛ぶように、走っていった。
いつもなら、ゆっくり6、7分はかかる道を、
どうやったか、2分で到着したのだった。

御堂の扉を開けると、
そこは、いつもの朝の祈りのために、
全ての準備が整えられた、
静かな、空間だった。
(後で分かったが、フレールJ-Jが、
全ての準備をしてくれたそうだ)

************************************

あー、暖かい日差し。
ぽかぽかして、気持ち良いなぁ。
たまの休みは、こうしてゆっくりと眠る。

あれ?休みだっけ?
違うよね?遅番だよ、遅番。

ううううん!!
違う、違う!
普通に早番だってば!!!
な、何時?今?

時計は朝礼時間の3分前!
間に合うはずがない!

それから、わたし、Giovanni、
数年振りに背中に翼を生やして、
いつもは45分かかる道のりを、
30分で、飛んでいったのだった。

(フィクションではありません。)

土曜日, 11月 04, 2006

茶の香り

♪旅行けば 駿河の国に 茶の香り〜
ではない。
旅にも行ってなければ、駿河の国でもないが、
茶の香り漂う、
今夜の、わたし、Giovanni宅。

Eちゃんとは長い付き合いである。
昔、わたし、Giovanniが働いていた店で、
短期間のバイトをしてたのが、5、6年前だと思うから、
それ以来のお付き合い。
とは言え、その当時からここ2年位前までは、疎遠だった。

今の店に来て、
彼女がバイトを辞めてから、ずっと働いている、
某シアトル系カフェが、目と鼻の先になり、
ちょくちょくコーヒーを買いに行くようになって、
親しくさせてもらっている。

実は、Eちゃんの家も、わが家とさほど遠く無く、
Eちゃんのお母さんが、近所の陶芸教室に、
長く通ってらっしゃると聞いたのは、つい、最近だったかな。

小学生時代の友人のりょうちゃんは、
『お茶屋の』と頭につけて名前を呼んでいたように、
お家がお茶屋さんだった。
時々、店の前を通ると、お茶を焙じる良い香りがして、
胸いっぱい、深呼吸をしながら、
今日はりょうちゃん、家にいるのかな?と、
店の奥を覗き込んだりしたものだ。

お茶を焙じる香りには、人間の脳の何かを刺激して、
リラックスさせる効果があるのだろうか?
香ばしいような、それでいて清涼感のある、
鼻孔を通過して、神経に直接感じる香り・・・

そんな、りょうちゃんちの店先のような香りが、
わが家にも、今、漂っている。

数日前、昼の休憩から、自分のデスクに戻ってきたら、
小さな紙の袋がデスクの上に置いてあり、
メモ用紙に、”◯◯のEさんからGiovanniさんに”と、
走り書きされていた。
何だ、Eちゃん、来てくれたんだ!?
紙袋の中には、英字新聞にくるまれた、固くて丸い物が?
何だろう?

それが、コレ。
(画像が暗くて分かりづらくて申し訳ない!)



















大振りの梨のような形の陶器で、
上下が波形に分かれるようになっている。
表面には、木の葉のレリーフがほどこされ、
小さな丸い穴が、木の葉のレリーフの周りに
たくさん空けられている。
中に、小さなキャンドルを
入れる事ができるようになっていて、
小さな穴を通して、キャンドルの灯りが、
木漏れ日のようにゆらゆらとゆらめいて見える。

よくよく見ると、梨の軸のある部分に当たるところが、
少し凹んで窪んでいて、
そこに、茶葉を入れ、下からキャンドルを灯すと、
茶香炉のように、香りがたつのだ。

翌々日、カフェにEちゃんを訪ねると、
大きな公園の入り口にある店らしく、
公園帰りに喉を潤そうとする人などで、
いつものように賑わっていた。
ありがとう、素敵なモノを!どこか行ってきたの?
と、尋ねると、
ううん、母が作ったの!
とのことだった。

もっぱらコーヒー党のわたし、Giovanni、
時折、緑茶を購入するが、
飲みきることなく、しけらせてしまうことばかり。
そんな茶葉を、香炉に載せて、キャンドルを灯す。

茶の香りに包まれて、過ごす静かな秋の夜。

水曜日, 11月 01, 2006

掃除日より























晴れた休みの日は、
ゴロゴロ寝ていたりすると、本当にもったいない。
泳ぎに行くのは、行くとして、
それまでの時間も、充分に活用したい。
そんな気持ちが働くからか、
休みの日は、仕事のある日よりも、むしろ、
目覚めが早かったりする。
まるで、遠足の日の小学生のような、
わたし、Giovanni。

いつものように、
濃いめにいれたコーヒーで、
さらにエンジンをかけ、
先ずは洗濯機を回す。
洗濯が出来る間には、念入りに掃除を!

ほんのササヤカな庵のこと、
念入り掃除とは言え、
箒で掃いて、雑巾をかける程度の事。
20分もあれば、完了してしまう。

えー?掃除機持って無いの?と、言われるが、
掃除機なんかより、
箒と雑巾の掃除の方が、
よほど奇麗になる。
特に、畳の部屋は、畳目に沿って箒をかけ、
固く絞った雑巾で、畳目にそって拭き、
さらに、畳目に水平に拭いたら、
それは、はっきりと目に見えるくらい、
奇麗になったと実感できるようになる。

窓から入る、
秋とは言え、日差しに暖められた風が、
部屋を吹き抜ければ、
いつ何時、客人が来ようとも、
居心地良く彼らを招き入れることのできる、
庵となる。

金曜日, 10月 27, 2006

色気づく



















”Ciao! Giovannisです!”と、このブログを始めて、
もう、8ヶ月にもなるんだぁ!
シンプル、ミニマル、と、色々な方々に、
お褒めをいただいて、
ここまで、やってきたのである。

このブログの、テンプレートを選ぶ時に、
一番、シンプルなものを選んだのだけれど、
同じフォーマットで、色違いというのもあった。
でも、この全体がグレーなところが
自分にぴったりな感じがして、これにしたのである。
ときどき、ここでも紹介する、
”あまいものとあまくないもの”の、
cavacavienさんの、
ゆるいながらも貪欲な、
ご自分のブログへのパッションに、感化されて、
flickerとか、
”BOOKLOG”とか、
真似っこさせてもらったり!
随分、最初の頃に比べて、盛りだくさんになってきたかな?

寒さが、日に日に増して来て、
山間部では、紅葉の便りもちらほら。
と、いうこともありまして、ちょっと、冒険!
うちのブログも、ちょっとにしてみようかな、と。
ぼちぼちやってみるので、
ご意見、ご感想など、お聞かせくださいまし!

木曜日, 10月 26, 2006

プチ・旅行 ー甲府へー

仕事がらみで、2連休を山梨で過ごした。

仕事がらみ、というのは、99%の建て前で、
実際は、仕事なんかしていない。
現地にある、店で長年働く女性スタッフさんと、
随分前から知り合いなのに、
ちゃんと会ってお話ししたこともなかったから、
じゃあ、今度遊びに行きますよ、という約束を、
果たすのがいちばんの目的だった。

夕方から、彼女と、
これまた昔から知っている、その店の店長と3人で、
座敷を設けて、酒と肴と、会社への愚痴やら何やらを、
共にしつつ、3、4時間も過ごし、
彼女に別れを告げた後は、そのまま店長宅へ転がりこんだ。

積もる話。
なんで、◯◯と別れたのさ?
うちの会社、ホントに、××だよなー。
などなど・・・

翌朝は、鳴る目覚ましを横目に、
ゆっくりと目覚め、
店長君の車で、向かうは、ほったらかし温泉。
甲府の町から、山へ山へと車は走る。
途中、ワイナリーのぶどう畑の横を通過した時には、
昔住んでいたブルゴーニュの村を思い出したり。


















到着したほったらかし温泉は、
眼下に甲府盆地を見下ろす、海抜700mにある温泉。
恐らく、元々は、地元の人たちのみ知る、
秘湯だったに違いない。
近年、近県や、遠方からわざわざこの湯を浴びに、
人々が訪れるようになって、
あまりのほったらかしぶりに、
金品が盗難に遭うなどという不幸な事件もあったため、
ロッカーなどを設置した、脱衣場ができたようだが、
基本的には、設備という設備もない、
自然の中の風呂である。

湯船に浸かると、視界が低くなり、
見えるのは、白いススキの穂と、広く青い空ばかり。
ぬるい湯は、じわじわと体を温め、
気がつくとポカポカ、そして汗がじんわり。
体の疲れも、心の疲れも、
どんどん、体から流れて行くような、爽快感だ!

風呂上がりはお決まりの、コーヒー牛乳で喉を潤し、
次に向かうは・・・

着いたのは、甲州名物ほうとうが名物の店。
熱々の鉄鍋に、味噌と南瓜で黄色みががった汁に、
素朴な、不揃いな麺が、たっぷり。
野菜の旨い出汁が効いた、満足の味だった。


















川口湖畔を抜け、富士吉田に到着。
ここでも、別の店を訪ね、懐かしい人たちと再会。

帰りは、電車でのんびりと、
缶ビールを1本空けつつ、岐路についた。

たかだか、一日の、ちょっとそこまでの旅だったが、
心の疲れが癒された。
大きな自然の懐に抱かれ、親交の深い人たちと語り、
素朴な旨い物を食い・・・

こんなプチ・旅行を、もっとしよう。
ただただ、働くばかりの毎日じゃ、
つまらないよ、と、
わたし、Giovanniは、自分に言い聞かせながら、
この大都会、東京へと、
帰ってきたのだった!

日曜日, 10月 22, 2006

古傷の痛み
























プールで週2回泳いでいるせいもあるのか、
足の踵に、ひび割れが出来てしまう。
ぱっくりと、口を開けた傷になって、
歩くのにも、ヒーヒーと言ったりすることになる。

新しい、生々しい傷の痛みよりも、
もっと痛いのは、
古傷の痛みだ。

3年半前、自転車での通勤中に、怪我をした。
左膝の靭帯を、2本も損ねてしまった。
しかし、整形外科の先生も、
感心なさるくらいに、短時間で回復し、
歩くのにも、少々走るのにも、
全くと言って良いほど、支障が無い生活を、
今は、送る事ができている。

自転車で怪我をしたくせに、
脚が回復すると、またもや、自転車通勤を開始。
(しかも現在の通勤距離は、当時の3倍以上)
健脚ぶりを、みんなに見せつけたりしている。

ところが、その左膝が、
何の前触れも無く、そして、何の脈略も無く、
突然、ズキズキと痛むことがある。
そういう時は、階段の上り降りが、
辛かったりするくらいに、だ。

完治していると信じていたこの膝が、
突如として、痛むのには、
理由があるような気がする。
あれから、3年経っているのに、
未だに、電話の度に、
『日が短くなってきたから、自転車、
気をつけなさいよ』などと、
口酸っぱく言う、母のようなものだ。

膝に痛みを感じる時、
必ず、あの通勤中の怪我を思い出す。
そして、自転車に乗る時に、
気をつけなきゃ、と、改めて思うのだ。

古い傷は、色々な事を思い出させてくれる。
若い頃の、勢い余って作った傷や、
理由も告げられずに、信じていた人の裏切りで、
心に深く負った傷も、
今も時折、激しく疼いては、
色々な事を、今もう一度、
思い出させてくれるのである。

二度あることは・・・

戒律や教義に厳格なタイプの宗教宗派では、
そういう行為や、そういうものを携帯することを
禁じているケースが多いと思うのだが、
いわゆる、土着の信心信仰において、
おまじないやお守りの類いというのは、
絶大なる支持を得ている行為、ものではないかと思う。

わたし、Giovanniも、旅をしていた時代に、
いつもポケットには、
小さなマリア様のイコンを忍ばせていたが、
人によっては、小さな十字架だったり、水晶のお数珠だったり、
まぁ、人それぞれに、お守りとして携帯するものは、
色々あるようだ。

キリスト教には、守護聖人という考え方を持つ宗派がある。
自分を守ってくれる聖人のことで、
自分の誕生日に因んだ聖人などを、守護聖人と見なす。
個人を守ってくれる、という以外に、
◯◯の守護聖人、
例えば、航海を守ってくれる聖人、のようなパターンもある。
航海の守護聖人は、ちなみに、バリの聖ニコラス。
彼は、何と、サンタクロースの原型でもある。
あるいは、
落とし物や、失くし物をしたら、
聖アントニーに願掛けをしなさい、と、言われたりする、
聖人なども存在する。

わたし、Giovanni、実は、数日前、大切な物を紛失した。
その失くした物、というのが、小さなお守りだった。
お守りと言っても、
自分が勝手に、それをお守り代わりにして、持っているというだけ。
アルミでできた、コイン状のもので、
表面に、『神の子羊』がレリーフされているものだ。

雑貨屋で200円位で買ったものだが、
今では、
そのレリーフも摩滅し、ツルツルになってしまっていたのだけれど、
この数年、小銭入れの中に入れて、大切に持っていた。
  
  *ちょっと恋愛話も絡むので、余計に大切なもの
  だったのだけれど、その話はまたいつか!

実は、このお守り、今までも既に二度紛失していて、
二度とも戻って来た経験がある。
最初の時のことは、もう覚えていないけれど、
二度目は、小銭入れごと何処かへ落としてしまったらしく、
数日後、発見されて既に警察へ届けられていることが発覚し、
遠くの警察署まで取りに行き、
中の小銭が無くなっていても良いから、
お守りだけは!と、それこそ、聖アントニー様に祈りながら、
静かな警察の待ち合いで、待ったのを覚えている。
300円ほどの小銭と一緒に、
小さな羊のレリーフが、小銭入れの中に見えたときは、
本当に嬉しかった!

そして、数日前のことだが・・・

研修に向かうべく、職場の女性と新宿の駅で、
電車を乗り換えようとしていた。
ホームから、別のホームへ移るのに、
彼女と階段を前後になって、話しをしながら降りていたのだ。

とても無意識に、
ーあとで、ふと、我にかえったのだがー
とても無意識に、
ジーンズのおしりのポケットにいつも入れている、
小さな革の小銭入れを、用事も無いのに取り出して、
左手に持っていた。
そして、話に夢中になっている真っ最中に、
左手の指の間を、何かがスルリと抜け落ちるのを、
瞬間、感じたのだった。
階段を最後まで降り切ったときに、
あれ?っと、思って、
既に、これまた無意識のうちにポケットに収めていた、
小銭入れの中を確認して、
子羊のコインが無いことに気がついた。

大きな駅の人ごみの中でもあったし、
連れもいたこともあり、
あ、これは諦めるしかない、と、自分に言い聞かせた。
連れの女性は、心配してくれて、
階段の上まで、登って探してくれた。

もう、大丈夫、大丈夫。
きっと、誰かに拾われて、
次はその人のことを守ってくれると思うから。
きっと、大きな世界へ、旅立ちたかったんだよ。

そう、彼女に言いながら、
実は、それは自分を慰めるためだった。
駅の人ごみに落ちていった小さなコインなど、
蹴飛ばされてホームに落ちるか、
踏みしめられて、
いよいよ、原型をとどめぬようになるかが、関の山。
きっぱりと諦めるしかない、と、
本当は、思わざるを得なかったのだけれど。

その後、研修を終えて、
一人になって、町を歩いていた時、
偶然にも、失ったコインと同じ物を売っている店の前に、
気がついたら佇んでいた。
レジの前の、小さなガラスのボールを見ると、
3種類のコインが並んでいて、
”PEACE "と彫られた文字と、
オリーヴの枝をくわえたハトのレリーフの物を、
新しいお守りとして、即座に購入した。

その夜、研修用の資料を、
明日持って行く鞄に移しながら、
今日持って行った黒い鞄を片付けようとしていたとき、
何かが、床に転がり落ちた。

転がり落ちたものが何であったか、
わたし、Giovanniの口から言うまでもない。

聖アントニー様、ありがとう!