水曜日, 12月 27, 2006

何気ない、マグカップたち(改訂)


わが家の食器の棚を、見た人は、ちょっと驚くかも知れない。
Giovanniって、一人暮らしだよね?
何でこんなに食器が揃っているの?
と、言われることはしばしばだ。



主に、ガラスのコップやボール、耐熱皿と、
白い陶器や磁器。
業務用または、それに準ずる物が多く、
色柄のものは、ほとんど、と言って良いほど、
わが家には存在しない。
ひと頃、随分と、客を招いて料理をした時期があり、
同じ皿が6枚とか、1ダースとか、
揃っているほうが何となく都合も良いと、買いそろえた結果が、
こういうことである。

ただ、例外的に、
イラストやデザインがカラフルな、コーヒーマグが
幾つか、並んでいる。
一般的なお客を招く時には使わない、
個人的に朝のコーヒーや、
夜寝る前の温かい飲み物に使うだけだ。

まだ、もう少し若かった頃、
好きな子が出来て、いい感じに付き合いが進むと、
その子専用のマグカップを買ったものだ。
今思うと、
自分の若さが微笑ましく思い出されるエピソードだが、
当時はきっと、それはそれで必死だったのだろう。

その子の個性や感性に似合った色柄やデザインのものを、
色々見て回って購入し、
お泊まりの翌朝、
そのマグカップに、いれたてのコーヒーを注ぐときの幸せ。
そんな幸せに、酔いしれる自分は、本当に若かった。

ところが、その後、専用マグカップを買うと、
その恋が終ってしまう、というジンクスに気がついた。
独占欲が強い性格だったので、
相手の存在を、自分の生活の中に組み入れてしまおう、
そういう魂胆を、相手に見破られてしまい、
それを負担に感じると、とっとと愛想を尽かして、
いなくなってしまう、ということだったのだろうか?

つい最近知り合って、上手く行けば良いのに、と、
思った相手がいた。
知り合って、すぐ間も無いうちに、
家へ来ることになり、
その当日、出かけた先で、
ふと、マグカップを探してみる気になった。

店を三軒見て回ったのだが、
クリスマスギフトのシーズンだったからだろうか、
ツリーやサンタの絵が描かれたものばかりが並んでいて、
なかなか、コレというものを見つけることは
出来なかった。

若かった頃の自分であれば、
それでも、翌朝二人で飲むコーヒーのことを思って、
それなりの物で妥協してでも、
マグカップを買って、持ち帰っただろう。

その時は、結局、
まだ先があるだろう、これからゆっくり
より素敵なマグカップを見つける時間があるだろう、と、
夕食後のデザートに食べるプリンだけ買って、
そそくさと、帰宅したのだった。

棚に並んでいる、
色とりどりの楽しいマグカップには、
そのそれぞれに、ちょっとしたエピソードがあり、
今となっては、
それなりの良い思い出になっていたりする。
早朝のコーヒーや、深夜のココアを飲むときに、
手に取ったマグカップに、
ふと、そんな昔を思い出させられたりすることもあるけれど、
いつの間にか何となく、
何気ない、毎日の生活のシーンの一部となっていて、
何か劇的な心の動きを誘導するものでは、
もう、なくなってしまっている。
ただ、朝冷えの手に伝わる温もりだけが、
かすかに、楽しい日々の思い出の断片を、
伝えているかも知れない。

ちなみに、最近知り合ったその人とは、
大きな進展を見ることがなく、
結局、その人専用のマグカップは、必要でないままに、
関係は終ってしまった。
その人のためのマグカップを探しながら、
心のどこかに、
買ってしまえば、それで終ってしまう恋、と、
いう思いが働いて、
それが色々なことに、ブレーキをかけていたのかも知れない。
そんな分析をする反面、
あのとき、無理にでも、新しいマグカップを用意しておけば、
その人との関係に、
何か幸せなきっかけを作ることが出来ていたかも知れなかった、
とも思い、
今となって悔しい気持ちになる自分もいる。

ともかく、
わが家のキッチンの棚に、新しいマグカップが並ぶのは、
まだまだ先のことになりそうで、
今は、何気ない、マグカップたちが、
わたし、Giovanniの心をホットさせてくれるだけである。

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最後の下りのところ、
翌朝思い返して若干書き足してみた。
これが、正直な気持ちかな。

by Giovanni

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