日曜日, 11月 18, 2007

物を語らず、物は語る

随分とごぶさたしてしまっている、わたし、Giovanni。
先月、慌てて書いておいたが、
10年位前から、ずーっと温めてきた児童小説を、
書き始めたら、止まらなくなってしまっている。

ユウジン、という男の子が主人公のお話なのだが、
彼を取り巻く大人たち、
母親のヘイゼル、聖アンジェラ修道院のシスターたち、
謎のおばあさんアンジェリーナ、
スワンセンさん夫妻、ヘクター博士・・・と、
大人もたくさん出てくるので、
単なるこども向けのお話、では済まなくなってきた。

お話を書く、というのは誠に不思議なもので、
物語の始まりと、終わりは分かっているのだが、
その途中は、作者であるわたしはあまり知らなくて、
主人公をはじめとした登場人物たちが、
どんどん、勝手に歩き出しては、
誰かに出会ったり、何かやらかしたり、と、
作者の手を完全に離れている、
そんな感有りである。

物語とは、物を語るのではなく、
物が語るのだ、というのは、まさにこのことを
言うようである。

木曜日, 10月 04, 2007

只今執筆中につき

10年くらい前から、温めていた児童向けの物語を、
数日前から突然書き始めています。
今までにも2度ほど、書き始めたことはあったのだけれど、
機が熟していなかったのか、数ページで挫折していました。

ところが今回、ようやくその時がやってきたようで、
次々と、お話が頭の中から生まれでてくるので、
一気に書いてしまおうと、家にいる間は、ほとんど書いています。

少し、暫くの間、ブログの更新がおろそかになるかと思います。

また、作品は、何かしらの形で、
お披露目することを考えておりますので、もう暫くお待ちください。

Giovanni

日曜日, 9月 23, 2007

冬至と浴衣

ここ数日は、突然、気圧配置が大きく変わったのか、
ほんの少し前までのムッとした残暑を忘れ、
朝晩など、ひんやりとすらする。

前から何度も話しているが、
この、気圧配置の大きな変動が、
わたし、Giovanniの大きな弱点なのである。
冬眠する森の動物たちのように、
季節の変わり目の、大きな変化を、じっと眠ってやり過ごす。
眠っている間に、ゆっくり体を馴らしていく。
学生時代なんかは、こういう季節、
うっかりとすると2、3日くらい学校をサボってしまったり、
などということもあったが、
流石に、仕事をしているとそういうわけにはいかず、
その分、休みの日は、何となくダラダラ、ズルズルと、
一日を送ってしまう。
暫くは、そういう休日が続きそうな、季節の節目である。

こうなると、もう仕方ない。
夏は終ったと観念せねばならない。
もう、秋が始まったのだと、腹をくくらなければ。
何を大げさな、とおっしゃるやも知れないが、
これがわたし、Giovanniにとっては、大きなできごとで、
秋から冬の季節に滅法弱いのである。
卵が先か、にわとりが先か、と同様、
体と精神と、どちらが先になるのかは分からないが、
秋冬は、先ず、精神的に駄目になってしまうのだ。
気が滅入る、という表現そのままに、
奈落の底の深い深い場所へ、ずーっと気持ちが引きずり込まれ、
その暗い淵から這い上がることが出来なくなるような感覚。
そういう感覚が、12月の冬至まで続く。
(夜が一番長い冬至を過ぎると、
まるで憑き物が落ちるように、気分が軽くなるのだ)
だからこそ、わたしにとっては、
この”夏の収束を受け入れる”ということが、
大きな覚悟の必要な、毎年の一大イヴェントなのである。

ヨーロッパの人たちが、
冬の暗さや寒さから来る、気の滅入りを、
少しでも和らげるために考えたのが、クリスマスだ、
という説を聞いたことがある。
クリスマスを12月25日とする根拠は、
実は聖書などには無くて、
古代ヨーロッパに既に存在していた太陽を祀る祭と、
キリストの誕生を結び付けた、という説である。
その太陽の祭が、
一年で一番夜の長い冬至の明け、
すなはち、太陽が夜の闇に打ち勝ち、
これから段々と日が長くなるというタイミングで、
祝われた、ということである。
そこに、キリストという救世主の誕生を結びつけて、
盛大にクリスマスを祝う根拠にしたわけである。

そういうことは別としても、
長く暗い冬の夜を、クリスマスを待ち望む喜びや楽しさ、
例えば、ドイツのクリスマス市などもそうだが、
そういうもので紛らわせるというのは、
一つの人間の知恵だったのかも知れない。

話が、随分飛躍してしまったけれど、
わたし、Giovanniも、そういう季節だからこそ、
静かな秋冬の夜を、少しでも気分を紛らわせながら
過ごしたいと思うわけである。
例年、このブログにせっせと文章を書いたり、
好きな長編の小説を、読み返したり、創意工夫してみている。

そんな今年の秋冬には、ちょっとした一仕事が。

毎年、夏が始まると、
今年こそは、浴衣を着るぞ!と、思い立つのだが、
生まれてこのかた、一度も自分の浴衣を持ったことがない。
数年前から、毎夏の初めに、浴衣を作る宣言をするが、
叶った試しがない。

今夏も、御多分にもれず、
作年の夏の終わりに、仲良しのAちゃんという女の子と、
来年の夏前に、浴衣の生地を見に行こうと、
固く約束をしたはずなのに、
結局、今年の夏、Aちゃんに会ったのは、
混雑する電車の乗り換えの通路と、
飲み会帰りの駅前の繁華街だった。

しかしながら、どうしても今年こそは、
という気持ちもあったので、
まだ、今からならひょとすると間に合うやも知れない、と、
8月の終わりに、駆け込むようにして、
生地代と別に、5千円で浴衣を仕立ててくれるという店へ、
生地の見立てに一人で行ったのだった。

賢明な読者のみなさんは、お察しかと思うけれど、
いかなることでも、人と同じは極力避けたいのが、
わたし、Giovanniの常。
以前から、紺地や黒地に白い縞、なんていう生地は、
全く念頭に無く、
考えていたのは、茶色の細かいギンガムチェックの浴衣。
斬新じゃないですか?ギンガムチェックと言えば、
ボタンダウンのシャツか、テーブルクロスか?
で、そんなつもりで生地を選びに行ったのだけれども、
色々吟味しながら、綿のものよりは、
麻の方がシャリ感もあって、良いかという結論に。
そこで、麻のコーナーを覗いてみたら・・・




見つけた、これぞまさに、Giovanni的な柄ゆき。
コーヒー多めのカプチーノ色の地に、比較的明るい水色の格子。
この生地を見つけて、
すぐさま思い描いた全体のコーディネートは、
格子の水色に合わせた青系の帯で、足元は、革のサンダル。
そんな、いでたち。

しかも、夏の終わりの特価品で、赤札のついた反物を持って、
いそいそと、申し込みカウンターへ、と、ふと、
みると『かんたん、浴衣ソーイング』。
自分で浴衣を縫う人のための、型紙ではありませんか!
即座に、わたしの頭の中の計算機が、はじき出した答えは、
『型紙が500円だから、自分で縫えば4500円のお得!」
という答え。
4500円と言えば、結構なお代ですよ、旦那ぁ〜と、
自分で自分に言い聞かせた。

裁縫は初めてではないが、浴衣を縫うのは生まれて初めて。
先ずは、型紙とにらめっこから。
ようやく、型紙を切り抜くところまで辿り着いた。
これから3ヶ月かけて、完成させる予定である。

これからの、秋の夜長、縫い針をチクチクと進めながら、
わたし、Giovanniは、何を思いながら過ごすだろう?
浴衣作りの進捗は、随時ここでまた、
ご紹介してゆきたいと思っているが、
何はともあれ、このシーズンを乗り越え、
無事に冬至の日を迎えられるようにと、切に願うだけである。

水曜日, 9月 19, 2007

毎日書く、日記なるもの

『日記(にっき)とは、日々の出来事を記した記録で、
今日では文学の一ジャンルに数えられており、
文学の最も初期のかたちのひとつとも見られている。
あるいは、初期のかたちという以上に、
人がものを書くという行為の原初的なもので、
文学という概念以前のものといってよいかもしれない。
英語では、Diaryという表現の他に
Personal journalという表現もなされる。』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

だそうだ。

以前にも、何度かここで話したが、
自転車通勤をしている間の時間というのは、
日頃考えたり、思ったりしていたことを、
思い切って、ことばにするための時間であったりもする。
あったりも、と、言うのは、
必ずしも、いつもそのための時間だけであるのでなくて、
場合によると、
カラオケばりに好きな歌を熱唱する時間であったりもするからだ。

思い切って、ことばにするための時間。
そう、口に出して言ってみると、
自分の思考が、すんなりとまとまったり、
当然に思っていたことの、矛盾点を発見できたりする。

口に出して、(実際に声に出す、出さないは別として)
表現するときに、
それはやはり、聞き手を想定して、ということになるのだが、
わたし、Giovanniの場合、
どちらかと言うと、読み手を想定した、
書きことばを、丁寧に選ぶことに重きを置いていると、
自分では思っている。

昔から、文章を書くことが好きだった。
起承転結を明確に意識することは、あまり無かったかとは思うが、
1000字以内で書く小論文とかを、巧く落ちをつけて、
しかも、最後の一マスに、『。』を書くときの満足感。
学校へ行くことは、どちらかと言うと、あまり好きではなかったのだが、
国語の時間、特に、作文の授業となると、
俄然張り切っていたのではなかったかと思う。

しかしながら、毎日書く、日記というものは、
あまり得意ではなかった。
そもそも、毎日、決まったことを継続してやるという
粘り強さなどは、欠けていたし、
今日はこんなことがあって、あんなことをした、
などという、さらりとした文章を書くのは苦手だった。
練りに練って、何度もことばを並び替えたり、
より相応しい単語を、吟味したりしながら書く文章のほうが、
得意だったのだ。

通勤時間に、誰かに読み聞かせるようにして作りあげる
わたし、Giovanniの文章。
しかし、残念なことながら、自転車をこぎながらであるが故に、
その文章を、書き留めることはないままである。

そんな、日々、生まれて忘れられていく文章を、
少しでも、ここに、
自らの記録として、記憶に残すため、
書き記して行くことができれば、と、改めて思うのである。

毎日書く、日記。
三日坊主ということばが、似合う日記にならないように、
と、願ってやまない。



今年初めて拾った、ドングリ。
わたし、Giovanni、昔、
お寺の裏山でドングリを1000個拾ったことがある。

火曜日, 9月 18, 2007

今宵、再び、丸いテーブルを囲めば

まずは、このブログを始めてすぐの頃の、こんな日記を
改めて読み返してみたい。

『もう、かれこれ20年くらい、
わたし、Giovanniは、自分の”丸いテーブル”を探し求めています。

20年前に、生活をしていた、
フランスのcommunauteのダイニングテーブルの中に、
丸いテーブルが幾つもあったのだけれど、
いつか自分も、こんな丸いテーブルのある生活をしたい、
と、Sister Tessaにもらしたところ、
Oh, Giovanni! I am sure that you will find
your own round table one day!
と、彼女はキッパリと、言ったのでした。

あれ以来、彼女の言葉を信じる、その根拠も知らないまま、
ずっと、変わらずに、自分自身の”丸いテーブル”を
わたし、Giovanniは、探し求めているのです。

丸いテーブルって、何なんだろう?

例えば、相互の利害関係に大きな緊張感を持った国々が、
何かの交渉ごとを行う場合、
丸いテーブルを囲むという光景を、
みなさんは、観た事ないでしょうか?

日本の、上座、下座というような、位置関係による
人間関係のランク付けのようなものって、
世界の様々な文化の中にもあるのではないかと思うのです。

そういうランク付けを、完全にではないにしろ、
かなり、無視することのできる方法が、
丸いテーブルを囲む、ということ。

四角いテーブルだと、どうしても、
『ああん、何で俺はこんな角っこなんだよぉ!』のような、
不公平感が生まれてしまうけれど、
丸いと、何だかそれだけで、円満な感覚を覚えませんかね?

フランス時代、Le Puitsー井戸という意味ーという名前のついた、
可愛い家の管理人をしていたことがあります。
そこは、communauteの宿舎になっていて、
1週間単位で、20人程度の人が宿泊する施設でした。

その家のダイニングテーブルは、大きな木製の丸いテーブルで、
随分古い物のようでした。
その日の宿泊者人数に合わせて、食事前に
テーブルセッティングをするのですが、
20人分をきっちりセットして、
皆が席に着いて食事を始めようとするころに、
飛び入りや、たった今アメリカから到着、南アフリカから到着、
というような人たちがやってきたりして、
慌てて、椅子を足したり、スープ用の皿を取り出したり。

そういう時でも、丸いテーブルであれば、みんなが少しずつ、
自分とテーブルの距離を遠くするようにすれば、
難なくみんなでテーブルを囲む事ができるのでした。

ともに食卓を囲む、という事の大切さを、
現代に生きるわたしたちは、どんどん忘れてしまっていないでしょうか?

個人の意志や、志向が尊重されることは、
それはそれで意義のあることです。

しかし、一つの食卓を囲み、
同じ皿から同じ食べ物を分け合って食する、という、
人間の最もシンプルな、共同体としての行為を、
わたしたちは、急速に失ってきているということに、
危惧を感じる事すら無いのでしょうか?

一つの家族ですら、
親子が別に食事をするとか、兄弟が別の物を食べるとか。
家庭における食卓も、
今や人間社会の最も基本的な共同体ユニットである家族にあっての
役割を果たす事がなくなってしまったのでしょうか?

みんなで、丸いテーブルを囲むということ。
わたし、Giovanniは、これを求めているのです。』

ちょっと若い感じのする、初々しい文章に、
自分ながら、少し照れる気がするのだけれど・・・

実は、ここ数ヶ月、このブログという場所を借りて、
自分は何を伝えたいのだろうか?何を分かってもらいたいのだろうか?
と、言う、大きな疑問にぶつかって、
行き止まりの迷路から、抜け出すことができないでいた。

何か、無理矢理、それらしいことを書こうとすると、
そんな文章は何だかよそよそしくて、
自分ではないような気がしてしまい、
書きかけては、放り出し、しているうちに、
自分の本当のことばを、失ってしまったようにも思えたのだった。

つい今しがた、
明日、仕事が休みだというのを良いことに、
パソコンの前で、ネットサーフィンに興じていたのだが、
ふと思いたって、こんな文字を入れて検索をしてみた。

”Les souers de St. Andre"

これは、ベルギーに本部を置く、女子修道会の名前で、
今、読み返した、昔の日記に登場する、
Sister Tessaが属している修道会なのである。
今までにも、同様に、彼女たちの修道会の名前で、
検索をしたことがあったはずだが、
これという検索の結果が出てきたことはなかったのに、
比較的最近のアップなのだろうか、
今日は、この修道会のwebサイトが紹介されたのだった。

そこには、
彼女たちのvocation、つまり、キリスト教で言うところの”招命”、
修道会の歴史や、現在の活動などが、
フランス語で紹介されていた。

サイトの最初のページに、
15、6名のシスターたちが、家の前で集まったところの
写真が掲載されていた。
懐かしい顔ぶれが何人もいて、嬉しくて目が釘付けになった。

その面々の中に、
別のシスターたちの後ろで、ちょっと隠れるようにして立っている、
Tessaの姿があった。
写真が小さくて、はっきりとは見えないが、
グレーがかった瞳の色が、より薄いグレーに見え、
縮れてフワフワとしていた髪も、
心無しか、グレーがかったように見える。
彼女に最後に会ったのが、12年前。
月日がそれだけ経ったことを物語る写真である。

彼女が、
まだ随分と若かった、わたし、Giovanniに、言ったことば、

『いつかあなたも、
あなた自身の丸いテーブルを見つける日が来るわ』

が、この一枚の写真の中で、
少しはにかんだようにして、それでも、
あの頃と全く変わらない笑顔でいるTessaによって、
改めて、鮮やかに思い出された、今宵。

そして、
わたし、Giovanniが、
このブログを読む全ての人、あなたに、伝えたかったこと、
それが何であるかを思い出した、今宵。

再び、あなたと、
この”丸いテーブル”を囲みたいと思って止まない。

金曜日, 8月 17, 2007

あなたがそこにいるということ






















少しずつ、年齢を重ねてくると、
誰かに話したり、伝えたりしたいと思うこと、
ーーこと、と言うよりは、言葉ーーが、
同じこと(言葉)の繰り返しになってくるということに、
ここ最近、気がつき始めている。

あ、また同じ話をしている、とか、
また、同じ言葉を書いている、とか。

それだけ、自分が何を相手に伝えたいのかということが、
はっきりと、明確にされてくることが、
大人になることの一つなのだろうか。

今から書くエピソードも、
もう、15年近く、
繰り返し繰り返し、人に語り伝えてきたものなので、
これを読むあなたも、既に、わたし、Giovanniの口から、
聞いたことがあるかも知れない。

1992年、日本で一年やった仕事を辞めて、
請われるままに、アジアの幾つかの国々を訪問する旅に出た。
インド南部、ケララ州の約30の町や村を、
列車やバスで訪れていた一連の旅程の途中のことだった。
いつものように、時刻表通りに来たことのない汽車に乗り込み、
どこかの町から、どこか別の町へ、移動していた。

窓の外は、南インドらしく、青々とした、瑞々しい風景。
ライスパディと呼ばれる稲田と、
そびえ立つココナツの木々を、眺めながら、
心地よい風を頬に受け、ぼんやりとしていたそのとき、
一人の少年の姿が、目に飛び込んできた。
10歳か、11歳というところだろうか?
インドによく見られる、線路沿いのいくつかの小さな家々。
その中のある家の前に立つその少年は、
背筋を伸ばし、満面の笑顔で、
通り過ぎようとしている列車に向かって、
最敬礼の格好をしていた。

日本でも、幼いこどもが、線路沿いで、
電車に向かって手を振る光景は珍しいものではない。
しかし、その少年の、列車と、
恐らくわたしを含めた列車に乗る乗客とに対するその笑顔は、
今までに見たこともないくらいに、
キラキラと輝いているように見えた。

その少年の姿が、この視界に入っていたのは、
恐らく、ほんの数秒のことで、
彼のことを知る手がかりになるような情報とて、ほとんどないが、
わたしは、こんな想像を巡らしたのだった。

インドの列車は、その当時(今現在どうなっているか知らないが)
まだ、汚水を垂れ流しながら走っていた。
先に述べたように、
その少年が立っていた家がある線路沿いというのは、
貧しい生活地域に属していることが多く、
そこからも、その少年が、決して裕福な家のこどもではないことが、
容易に察せられた。

物質的には恵まれている、例えば、
多くの日本のこどもたちとは違って、
彼の生活の中には、ゲーム機や色とりどりのおもちゃなど何も無く、
恐らく、自分の家の目の前を走る列車は、
数少ない、彼の娯楽だったのでは無いかと思ったのである。
毎日、何本も通過する列車に向かって、
あの最敬礼と笑顔で挨拶することが、
彼の毎日の楽しみだったのではなかっただろうか?

そんな想像を巡らしているうちに、
とっくに、彼が暮らす貧しい家の立つ地域から、
列車はどんどん離れて行ったのだが、
わたしの目には、その少年の姿が焼き付いていて、
消えることがなかったのである。

あれから15年もの歳月が経って、
あの少年も立派に成人しているはずである。
こんなに時を経ていても、
未だに、あの時の少年の姿を思い出すと、
わたし、Giovanniの心の中に、
何か、小さなともしびが、ポッと灯されたような気持ちになる。
空間と時間を超えて、あの時の彼に、今も、
大きな勇気を与えられているような気持ちになるのである。
名前も知らない、恐らく、生きていて再び逢うことも無いだろう、
あなたがそこにいるということ、
それが、わたしに与えてくれる大きな喜び・・・

『あなたがそこにいるということが嬉しい』
この言葉を、色々なシーンで、色々な人たちから、
聞いてきたような気がする。
それらのシーンや、それらの人たちを、
個々に思い出すことは難しいが、
インドを初めとした、アジアの国々を訪れたときも、
12年前の阪神淡路大震災のときにも、
『あなたがそこにいるということが嬉しい』と言われて、
こちらが励ましたり、手助けしたりするつもりだったのに、
そのひとことで、何か、自分の気持ちが、
救われるように感じたことが幾度もあったのを、覚えている。

昨年の今頃、ここで、
わたし、Giovanniが過ごしたフランスの共同体の創始者が、
2年前、予期せぬ突然の死をとげたことについて書いたことがあった。
8月は、6日の広島、9日の長崎への原爆投下の記念と、
15日の終戦の記念、
そして、生涯を人間の和解と平和のために生きたその人の、
生きた証しを記念する日となった16日、と、
思い起こすべき日が幾つもある月となった。

忘れようにも忘れられることなどできない、この16日の日に、
クリスマスや復活祭などの、折々にいつもそうするよう、
フランスの共同体の修道士たちへ、短いメッセージを送ったところ、
わたしが、長く一緒に旅を共にしてきた修道士、Gから、
すぐに短い返信が返ってきた。
最も短く、そして、わたし、Giovanniの心に響くメッセージだった。

『あなたがそこにいることが嬉しい』

日曜日, 8月 05, 2007

夏の花火、と、冬の花火











いつものように自転車で、職場から帰宅していると、
不意に、鮮やかな緑色の光が、視界の遠くに見えた。

あ!花火だ!
と、気がつきながらも、自転車は、その光を発見した場所をピークに、
下り坂に突入し、
それきり、夜空に光る花火は、見えなくなってしまった。

しかしながら、バーン、バーン、ドドーン!という、
花火を打ち上げる音は、はっきりと聞こえており、
何とか、再び、打ち上がる閃光を見ることができる場所は無いかと、
遠くで聞こえる音を頼りに、行く道の方向を見極めていた。

だが、やはり、平坦な低地を進むばかりのこと、
燦然と輝くその光を見つけることはないまま、
バーン、バーン、ドドーン、という音ばかりに、
耳を傾けつつ、また、思い出したことがあった。

フランスに住んでいた間に、
年末年始をロンドンで過ごしたことがあった。
わたし、Giovanniが、
当時働いていた、communaute(共同体)の仕事で、
クリスマス直後から、ロンドン入りをし、
バタバタと慌ただしい数日を過ごしていたのだった。

日本で言う、所謂、大晦日の夜、
年越しのミサに預かっていたときのことだった。
その日の聖書の言葉に耳を傾けた後、
暫くの時間を、沈黙の内に過ごしていた。

バーン、バーン、ドドーン。

外では、行く年を惜しみつつ、来る年を祝う人たちの、
ざわめきと一緒に、
打ち上げ花火が派手に打ち上げられている音が、
鳴り止まなかった。

その激しい音を聞きながら、
わたし、Giovanniは、自分と共にその場でミサに預かっている、
仲間たちを見回していた。
人民革命と呼ばれた、反マルコス運動の最前線で、
人間の盾にもなったフィリピン人や、
大小様々な、紛争や戦争に巻き込まれた経験を持つ、
旧ユーゴスラヴィアを初めとした、旧東ヨーロッパの面々。
そんな彼らの表情を、
わたし、Giovanniが、伺わずにいられなかったのには、
理由があった。

それは、こういうことだった。
途切れることなく、次々と打ち上げられる花火の音が、
わたしには、戦争の銃撃の音に聞こえてならなかったのだ。
彼らが、この花火の音を耳にして、
自分たちを巻き込んだ、紛争や戦争を思い出しはしないだろうか?と、
気になって仕方がなかったのである。

去年の8月6日に、わたし、Giovanniは、
ここで、わたしの叔父、Sについて書いている。


叔父のSは、広島で被爆しており、
奇跡的に生き延びた後、何年もの間、
花火を怖がった、という話を聞いたことがある。
青白く光る花火が、原爆のピカを、そして、
花火が打ち上げられる音が、原爆のドーンを、
思い出させるからだということだった。

同じように、
自分の実体験として、戦火や銃撃を経験してきた仲間たちにとって、
花火の光や音は、どんな風に受け止められているのだろうか、と、
彼らに尋ねてみたくて、仕方がなかったのである。

だが、その反面、
自己の体験として、戦争の銃撃など知らないわたしには、
花火がそれに近いものだと勝手に解釈せざるを得ないだけで、
本当の銃声を知っている彼らにとっては、
花火など、たかだかおもちゃでしか過ぎないのではないか、という知恵も働き、
結局、そんな質問を投げかけることもしないまま、
その夜の、お祭り騒ぎも終ってしまったのだった。

それでも、未だに、
あの時代のあれらの国々で、そして、今も尚、幾つかの国々で続けられる、
戦争の非情な音は、ひょっとすると、
この花火の音に似ているのではないか、と、思うことがある。
その日の帰り道、
次から次へと、打ち上げられる花火に恋いこがれながら、
ふと、そう思ったのだった。

自宅近くへ到着して、
終に、花火はその全貌を再び現し、
線路沿いの道で、
わたし、Giovanniも、
しばし、その美しい彩りに気をとられていた。

水曜日, 7月 11, 2007

雨降る午後に思うこと

から梅雨かと思っていたのに、後半になって
俄然元気を見せている今年の梅雨前線。
おまけに、大型の台風がはるか南方から、
さらに前線を刺激しているとかで、
今日の休みも、どんよりと曇ったり、しょぼしょぼと降ったり。

ここのブログでも、何度も何度も書いているから、
きっとみなさんもご存知だと思うけれど、
わたし、Giovanni、こういう天候には滅法弱いのである。
奈落の底に、ズルズルと引きずり込まれるような、
そんな感覚の内に、いつまでも目覚めなかったりする。

今日も、そんなこんなで、
ほとんど意味の無い、ただ生きているだけ、というような半日を、
ダラダラと過ごしてしまった。
一日が、半分以上も過ぎたところで、俄に、
無駄にしてしまった時間を取り戻そうと、
ばたばた慌てている自分が、ちょっと可笑しい。

仕事がとびきり忙しいのだとか、
身辺に大きな変化があったとか、
そういうのではないのだが、
何か、自分をすんなりと表現することが、
ここ暫く出来なくなっている。
もっと端的に言えば、書けない。書くことができない。

今までだって、大したことを書いていたわけでもないが、
それでも、季節折々に感じたことや、
日々起こる小さな出来事について考えたことを、
素直に、語り、読んでくださるみなさんと、
多からずも分かち合うことができていて、
案外それがまた、自分の毎日の生活の心の糧になっていたのに。

正直な話をすれば、
書くことが出来なくなったのには、理由があった。
ここでは、それに触れることを避けるが、
単純に言えば、あることがきっかけで、
書くのに嫌気がさしていたのだ。

素人の日記ごときで、何を大仰なことかとも思うかも知れないけれど、
素人で、別にこれを生業にしているわけではないからこそ、
こんなささいなことで、嫌気がさして書くことを止めてしまっても、
それが何かに大きく影響を及ぼすわけでもないわけである。

暫くは、キーボードを叩くことすら嫌になっていて、
この”丸いテーブル”の周りに近づくことすらせずに、
うっちゃっていたのだが、
ほとぼりも冷めて、少しの時が流れれば、
やはり、この居心地の良いテーブルをまた、
囲みたいと思うようになったのだった。

いつも、誰かが、わたし、Giovanniと繋がっている。
そして、わたし、Giovanniは、誰かと、
このテーブルを囲みながら、
遠く離れていても、繋がっているのだ、という実感。
それこそが、わたし、Giovanniの
大切にしているcommunionであり、
それだからこそ、自分は生きているのだ、と、確信できる。

雨の降る日は、身体と心を休める日だ、と、
誰かに教えられたような覚えがある。
休みだからと、めいいっぱいの時間を費やしてあれもこれも、
と、いう必要は無いじゃないか。
ポツポツと、地面をたたく雨音を静かに楽しみながら、
日頃、避けて通っている、自分の内面の、
何故? どうして? 何処へ?
心のもっとも深い場所にある、問いかけへの、本当の答えを探す、
そんな一日であっても良いのじゃないかな。

こんな雨の日だったからこそ、
ちょっと、この心を開放して、久しぶりに、
みんなに会いたかった。
こんな雨降る午後だったからこそ。

 *雨の後のわが家のインパチェンス

金曜日, 7月 06, 2007

梅雨の晴れ間に

から梅雨だと思っていたのに、ここへ来て連日の雨模様。
去年は、7月に入る直前から、屋外プールで泳いでいたはずなのに、
今年は未だ、プール開き後の週末が晴れていない。

平日の、自分が働いている日に、
ぽっかりと、雨雲に開いた穴のような、
梅雨の晴れ間。
ウキウキと、出勤までの短い時間で、
洗濯物を干したり、布団を日に当てたりする反面、
こんな宝物のような素敵な晴れの日に、
自分が休みでないことが恨めしく、
日差しをたっぷり浴びながら、職場近くの大きな公園へ向かう、
お休み満喫中な人たちへ、
メラメラと燃え上がる、嫉妬心。

梅雨の晴れ間に、ただ切に願うのは、
梅雨があがって、キラキラな太陽が毎日この地球を照らすこと。

土曜日, 6月 09, 2007

カレンダー


帰宅してポストを開けたら、
ケータリングや、マンションのちらしに埋もれるように、
A4サイズくらいのボール紙でできた封筒が隠れていた。
見覚えのある封筒。
心待ちにしつつも、半ば諦めてもいた、あの封筒だった。

不要なちらしを、そのまま直接ゴミ箱に葬って、
その封筒を大切に小脇に抱え、玄関ドアを開けた。
靴も鞄も、放り出したまま、封筒を開封すると、
ほら、いつもの・・・

今年で何年目になるだろうか?
ニューヨーク在住の友人、K子さんが、
航空郵便でこのカレンダーを届け
てくれるのは?
5年目?いや、もっとかな?

例年、年が改まる前の、前年の年末に届くカレンダーが、
今年は、いつまでも届かず、
K子さん、忙しいみたいだし、忘れられているのかな?と、
もう、大概、諦めていたのであるが、
今こうして手元に届いてみると、やはり、あるべきものが
ここにある、という実感がして、
例え、今年はもう半年が過ぎようとしていても、嬉しい。

いつも、このカレンダーがあるべき場所に、
ぽかんと空いてしまっていた空間に、
カレンダーを収めると、しっくりと落ち着いてくる。

このカレンダーは、アメリカのミシガン州にある、
Saint Gregory's Abbeyという修道院が作製しているもので、
縦の見開きの上部が、修道院の四季折々のスナップ写真、
下部がカレンダーとなっていて、
写真が全てモノクロなのに合わせて全体的にモノトーンに
仕上げてある。

写真は、プロが撮影したキメキメの立派な写真、
というようなのではなくて、
修道院の日常の生活、例えば、修道士たちが掃除をしている様子や、
修道院を訪れている人たちが楽しげに話している姿、など、
どれも、本当に日々の生活風景の一部を、
そのまま切り取ったような、さりげない写真ばかり。
5、6年も、このカレンダーを使っていると、
最初の頃は、まだ若々しい表情をしていた修道士が、
随分、それらしい、渋味のある風貌になってきたなぁ、なんて、
旧い友人にでも会うような気持ちにもなったりする。

このカレンダーには、修道院製のものらしく、
キリスト教で言うところの、『教会暦』が記載されていて、
12月25日がクリスマスというのは周知だが、
移動祝祭日などと言われる、復活祭などが、
今年は何月何日になるのかを知ることができる。
その他、日々の聖人の祝日なども分かるようになっている。

カレンダーを眺めながら、
忘れていた、大切な祝日や、友人の守護聖人の祭日を思い出したり、
クリスマスや、復活祭までの日々を指折り数えたり、
そういうことが、日常の生活の一部になっている
わたし、Giovanniとしては、
このモノクロのカレンダーは、不可欠なものだっただけに、
半ば諦めかけていた今年のカレンダーを、
文字通り、一年の半ばにようやく受け取ることができて、
喜んでいる。

K子さん、ありがとう。
そして、Saint Gregory's Abbeyに神のご加護を!

月曜日, 6月 04, 2007

小鳥のいない生活

長年使っている、ラバーウッドの四角い盆に、
バタを塗って、果物のコンフィチュールを添えたトーストと、濃いめのコーヒーを乗せ、
起きたままの寝床でとる、わが家の朝食。
トーストは、フカフカよりは、カリッと香ばしく焼いたのが好きだが、
そういうよく焼いたトーストは、食べるとパン屑がたくさん落ちる。
パン屑のその大方は、四角い盆で受けるのだが、
サクッとした歯ごたえと、口に広がるバタの塩味とキウィやモモのジャムの甘みが、
口いっぱいに広がると同時に、
羽毛の掛け布団の上は、パン屑が広がって、大変なことになる。

フランスの共同体で生活していたとき、
"Le Puits"という名前(井戸、の意味)の家の管理人を一年位していたことがあった。
そこは、毎週、30人程度のヴィジターが滞在して、
沈黙の生活の中で、修道士のガイダンスの元、
各自が自らの内面的な探求を進めていくための施設である。

その家での昼食と夕食には、何人かの修道士が、当番制で食卓に共につき、
静かな音楽を聞きながら、沈黙の中で食事を摂る。
食事は、修道共同体らしく、とても簡素なものであるが、
フランスだけあって、パンがとても美味しい。

毎食、共同体全体の食事を準備する”Big kitchen"から、
わたし、Giovanniが管理をしていた家用に、
スープの入った大きなポットや、
食後のフルーツとして供される木箱に入った青い林檎と一緒に、
フランスで、所謂、バゲットと呼ばれるような、
棒状のパンが数本あてがわれる。
そのパンを、これもフランスでは当たり前にどこの家庭にでもある、
少しギザギザの付いた専用のパン切りナイフで適当な大きさに切り分け、
いくつかのカゴに盛りつけて、
家の大きな楕円形のダイニングテーブルに並べる。

パンのカゴは、
食事中に、幾度となく楕円のテーブルの周りを行き来する。
豆の煮たのと、チキンのオーヴン焼きを食べてしまって、
一先ず落ち着いたところで、
もう一度、今度はチーズと一緒に食べるために、
何片かカゴに残されたパンが、食卓の周りを囲む人から人の手へと、
手渡されて行く。
(そして大概の場合、この最期の一周りでカゴは空っぽになる)

修道士の、食事への感謝の短い祈りとともに、食事は終わり、
各自が自分の食器やカトラリーを、
食堂の横に設えてある流し場へ運ぶ中、
いつも、その光景に、ふと、感じ入ることがあった。

テーブルの上に、よく見れば、たくさんのパン屑が散らかっていて、
その屑を、ティータオルで拭い去ってしまう人もいたのだが、
修道士の一人、フレール・ヨハネスは、
そのパン屑を、空っぽになったパンカゴに集め、
ダイニングルームから、直接庭に出ることのできる、
素通しのガラスの扉をくぐって庭に出て、
カゴに残ったパン屑もろとも、庭にまくのだった。

フレール・ヨハネスは、スウェーデン人の修道士で、
寡黙で、いつも飄々としており、
茶色い毛糸のベストを着用したその素朴な風貌が、どことなく、
洗礼者ヨハネを描いた絵のようだった。

その彼が、庭でパン屑をまく姿は、
また、12世紀のイタリアで、清貧の精神を唱え
フランシスコ会を創立した、聖人、
フランチェスコにも重なって見えた。

聖フランチェスコは、太陽を『兄弟』、月を『姉妹』と、呼び、
『西洋人には珍しいほど、自然と一体化した聖人として、
国や教派を超えて世界中の人から愛されている。
小鳥へ向かって説教したという伝説も大変に有名であり、
教皇ヨハネ・パウロ2世は彼を「自然環境の保護の聖人」とした。』
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
と、あるように、小鳥たちをも、普遍の愛情の対象として、
愛おしんだ人であった。

今年の正月に、両親の住む家を訪ねた。
庭の見える部屋から外を眺めていたら、
雀たちが庭の隅に集まって、何かをついばんでいた。
父に聞いたところ、小鳥用の餌を、ときどきまいてやっているというのだ。
冬の冷たい空気に凍えないように、
その羽毛をめいいっぱいふくらませた雀らの姿に、
父も、母も、そしてわたし、Giovanniも、
目を細め、いつまでも飽きることがなかった。
そして、いよいよ仕事を引退して、3月に両親が終の住処として戻った、
神戸のマンションの6階のベランダにも、
時おり、小さい鳥たちが、やってくる姿を見かけるようだ。

わたし、Giovanniの生活には、
残念ながら、こんな小鳥たちは、ほとんど現れない。
せいぜい、早い朝に窓を開ければ、
どこかで何やら楽しげな、チュンチュンという彼らのおしゃべりが、
聞こえるくらいである。
羽毛布団に散らかったパン屑も、四角い盆の上のパン屑も、
それをついばみにやって来る小鳥もいないので、
屑かご行きになるばかりである。











そんな、
小鳥のいない生活は、何か、少し寂しくもある。

日曜日, 4月 08, 2007

雑記 : 今日、この佳き日

今朝は、いつもより早く目覚ましが鳴った。
6時には、出かけなくてはならなかったからだ。
7時半のミサに出るためには、
6時半までには電車に乗らなくては間に合わないので、
少し余裕を持って家を出たかったのだ。

今日は、復活祭、そう、イースターである。
クリスマスに比べて、その認知度は低いようだが、
キリスト教では、むしろクリスマスよりも大切な意味のある、
キリストの御復活を祝う、祝祭日である。

****************************

人間の罪を一手に担って、
十字架上の死を拒むことなく、亡くなったキリストは、
彼を慕う者たちの手によって、手厚く葬られた。
彼の死後3日目にあたる日曜日の早朝、
マグダラのマリアが、その墓を訪れると、
墓をふさぐための石が取り除かれ、
中にあるはずの、キリストの亡がらが無くなっていた。
敬愛する師の遺体が、渾然と消えている様に、呆然とするマリアに、
誰を探しているのか?と、声をかけたのは、
他でもない、復活されたキリスト自身だった。

****************************

聖書のこの記述に倣って、
復活祭の朝は、早朝のミサに出るのが、
わたし、Giovanniの習慣になっている。

今朝は、ミサの後、町を歩いてみた。
まだ、花の散り切っていない桜並木や、東京タワー、
六本木近辺の新しい商業施設、などを見物しながら
(さながらお上りさんだ!)
渋谷へ出た。

途中、いくつかのお寺の前で、気づいたのだが、
今日は、花祭りだ。
そう、お釈迦様のお誕生日。

キリスト教はイースターで、仏教では花祭り、と、
なんとめでたい、佳き日だろう!


渋谷から、昨日雨で泊めて帰った自転車を取りに、
職場近辺の駐輪場へ。
そこから、普段は通ったことのない道を、
のんびり走りながら帰宅。



イースターの夕方は、
永遠の命の象徴として、イースターには欠かせない、
卵の料理を作って、
ワインを飲んでゴロゴロ。

本当に、佳き日。

月曜日, 4月 02, 2007

桜、桜。


桜が咲く頃になると、何故こうも気持ちが騒ぐのだろうか?
誰もが、そわそわして、普段は、花のことなんか、
全く気にもしていないような人たちでさえ、
この特別な『花』については、やたら、敏感になったりするのが、
何だか微笑ましい。

今年は、気象庁の開花予想のデータ入力ミスという、
世界でも稀な花見という古典的な風習とは、
まるでかけ離れたような、可笑しなハプニングもあり、
随分早くから咲くと思われていたのに、
ちょっと後倒しになったり、
逆に、もう少し先だと思っていたのに、
思ったより、やはり早く咲き始めたりしたので、
それに翻弄され、一喜一憂した人たちも、たくさんいただろう。

わたし、Giovanniも、桜は大好きだ。
その花の一つ一つ、というよりは、
むしろ、多くの人が恐らくそうであるように、
固まりとしての桜に、多いに魅力を感じるのである。

未だ、足を運んだことはないが、
奈良吉野の山なみに、何千もの桜の木が、
白から濃い桜色まで、様々なグラデーションで、
あたかも山にかかった霞のように見える様は、
(映像や、写真でしか見たことはないが)
日本の四季の風景の中でも、
もっとも、日本の魂のようなものを揺さぶるシーンの一つ、
そう言っても過言ではないように思う。

その反面、日常生活の中で、
思いもかけないタイミングで、思いもかけない場所に、
大きな桜の古木などを発見し、
ぼんやりと霞のように印象に残るというよりは、
もっと間近に、その存在をはっきりと感じるような、
雄々しさを覚えるようなこともある。

桜の木の下で、宴に興じる人たち。
今年の桜はいつだろう?花見はいつにしよう?と、
ソワソワしていたはずであるが、
いざ、その木の下に席を設けると、桜の花の存在などすっかり忘れ、
上を見上げることもせず、
飲めや歌えの、大騒ぎになるのが、常のようだ。

わたし、Giovanni、の花見は、
自転車での帰宅途中、毎年、
あの角を曲がると立派な桜の木がある、と、覚えておいて、
いつもの道を少し遠回りしてみたりする、モバイル花見が主である。
どの町にも、桜街道、とか、桜並木、などと呼ばれる道があって、
夜の闇に、少しライトで照らされて、白く浮かび上がる姿は、
昼間の桜とはまた違った魅力がある。

もう一つ、
毎年、必ず訪なうのは、
近所のコンビニの前にある、見るからに老いた木で、
樹齢を重ねるままに、
無駄な枝を自らそぎ落としたかのような、シンプルな姿。
立派な体躯には、
ややアンバランスとも思われる程度にしか、花をつけないのだが、
何か、優しいだけではない、逞しさのような印象を与えてくれる木で、
コンビニで買った缶ビールを片手に、
今年もまた来ましたよ、と、ちょっと目配せをしながら、
乾杯のポーズをしてみせると、
心無しか、嬉しそうな表情を見せてくれる。

フランス時代、5月になると一斉に白い花を咲かせる林檎の木の
ピュアな美しさに目を奪われた。
インドでは、年中、色鮮やかな赤や黄色の花をつける木々が、
至るところで目を楽しませてくれた。
花水木の並木、マロニエの街路樹、ブーゲンビリアやハイビスカスの垣根・・・
どの土地に咲く、木の花たちも、
それぞれに、その土地で最も美しい姿を見せてくれるけれど、
日本の桜の、この土地にこそこの姿形と色が生まれた、と、思わせる、
キャラクターと土地の絶妙なコンビネーションは、
日本という土地の、かけがえのない美の財産だと言いたい。

いつか、わたし、Giovanniも、
雅な人たちが、みな薄衣をまとって打ち揃い、
奥深い山を静かにそぞろ歩くような吉野の桜の群生の様子を、
見に行ってみたいと思うが、
今年は、とりあえず、いつもの老木の下で、
静かに『乾杯』と、ビールの缶を、掲げるとしよう。

月曜日, 3月 05, 2007

人と繋がって生きるということ


長い旅や、自国を離れた遠い場所で暮らした経験を持つ人には、
よく分かると思うけれど、
自分という人間が、どれだけ、
人との繋がりによって生きている
(生かされている、という表現は、気恥ずかしくて)
か、と、いうことに、気がつかされることがある。

生まれて初めて行った外国が、
フランスで、しかも、2年間一度も帰国しなかったのだが、
その分、母とは毎週文通をして近況を知らせ合った。

お互いに、日々の暮らしの出来事やら、
お父さんがどうした、T(弟)が学校で先生と喧嘩をした、
というような、家族の近況、
(こちらは、誰々がどうしたこうした、など)を、
飽きることなく、毎週、毎週、2年間書き綴った。

かけようと思えば、かけることの出来た電話すら、
今となると、その理由は思い出すことが出来ないのだが、
何故か、2度のクリスマスに、
手短にクリスマスの挨拶をする程度にしかかけたことがなく、
家族との繋がりは、母と取り交わす手紙だけだった。

20年も前に、遠い外国の地に旅立った我が子に宛てた、
母からの手紙は、日本からフランスへ、海を渡り、
わたし、Giovanniの帰国とともに、
再び、日本へと戻って来て、今、
わたしの住むアパートの暗がりの中で、箱に収められ、
静かに眠っている。

当時の、若かったわたしを、励ましてくれたその手紙は、
今から、20年、30年後に、いよいよ、
箱を開け、再び読み返すとき、
もう一度、そのとき生きている、わたし、Giovanniのことも、
励ましてくれるのだろう。

親子、家族の愛、またはそれに準ずる愛、という繋がりに限らず、
わたしたちの人間関係において、
誰かと繋がっているという実感を感じる瞬間は、他にもある。

フランスでの生活は、
たくさんの人との出会いと、別れが、
ミルフィーユのように、重なり合って形作られていた。
誰かと出会えば、別の誰かが旅立って行き、
新しく会った誰かも、いつの日か、遠くへ行ってしまう。

当初、どこかへ行ってしまう人たちを見送っては、
寂しさや、涙で、気持ちをいっぱいにしていた、
若かった、わたし、Giovanniだが、
だんだん、別れるということの本当の姿を知るにつれ、
寂しさも、涙も、薄れていった。

人と繋がって生きてゆく。

この地上で、出会って、一度繋がった人とは、
これからも、ずっと、その関係を繋ぐ糸は、切れることがない。

そう、わたし、Giovanniは、確信している。

ふと、目を伏せた瞬間に、
忘れていた、あの人の言葉を思い出したりすることがある。
ミルフィーユの、パリパリとした薄く、
少し岩塩を感じさせる生地を噛み締めていて、
不意に、口中に苺の甘い果汁が広がったときのように。

何年も、或は、何十年も、
心の片隅のどこかに、置き去りにしてきたような、
自分を責め立てたあの人の言葉が、
今、ふと、思い出されて、
しかも、今の自分に最も相応く、大切な意味を持つ
言葉として甦ったりする。

たぐり寄せたつもりではない、
偶然に、靴の踵がひっかかってしまって、
無意識の内に、自分の足跡を辿ってついてきた、
旧い友人たちとの、何気なかった出来事、一つ一つに、
今となって、幾度も励まされたりしている。

またいつか、どこかで、
再会することもあるだろうけれど、
ほとんどは、その望みすら棄ててしまったほど、
あの人たちは、遠い過去と、はるか海を幾つも超えた場所にいる。

だが、確信する。
わたしは、彼らと、今もしっかり繋がっているということ、
そして、だからこそ、生きることを続けているということ。

旧い友人たちからの、思いがけない何年ぶりかの便り、
については、
ここでも、幾度か紹介したことがあったが、
たとえ、あの丘の下のバス停で、
お互いに次逢う場所も、季節も知らないまま、
固く肩を抱き合ったのを最期に、
消息すら知らず、また、報せる術も分からない、
たくさんの友人たちとも、
わたしは、今もしっかりと結ばれ、繋っている。

臆病で、足がすくんで立ち止まっているときに、
彼らが、そっと背を押してくれた、と、
感じる瞬間がある。

木曜日, 3月 01, 2007

携帯生活


携帯を持つようになって、10年近くなる。
今となると、携帯のある生活が当たり前で、
最も身近にある、ツールになった。

今日、職場で、ちょっと外出するために、
携帯電話を鞄から取り出そうとしたら、
無い!無い!無いのだ!
あれ?おかしいな、確かに朝はあったのに?
と、思って、職場の電話から自分の携帯にかけてみる。

・・・・・・・・・

耳を澄ましても、
どこからもそれらしい着信音は、
聞こえてこなかった。

確かに、朝出るときに、充電器からはずして、
鞄に入れたと思うんだけど・・・
通勤の自転車が、飛び跳ねたときに、
鞄から飛び出てしまって、気がつかないまま進んでしまったとか?

職場のまわりの連中に、
ね、ね、きっと忘れたんだよね?家に?
そうだって言って!と、ねだって、
皆に、そうですよ、きっとありますよ!と言わせた。

携帯に、アドレス帳機能が付き、メールができるようになり、
カメラが付いて、テレヴィも観ることができるようになり、
お財布代わりにまでなった。
あとは、どんな機能を付けることができるんだろう?
アイロンとか、シェーバーとか?

そこで、こんな機能はいかがか?

◯居場所お知らせ機能
あれ?携帯が無い!家に忘れて来ちゃったのかな?
なんて言うときに、自分の携帯番号に電話すると・・・
『わたし、お家にいるよ。今日はわたしのこと置いてきぼりだね。
寂しいなぁ。』
なんて、言ってくれる。

固定電話と反応させるとかなんとかして、
指定の固定電話の半径何メートル以内圏内に携帯を置いておくと、
携帯電話自身が、
自分が今、その固定電話の近くにいるということを知らせてくれる。

最大5カ所くらい登録できて、
会社に忘れて来ちゃったかも知れない、みたいなときに、
電話すると、
『すまん、今日、残業でさー。
まだ、会社にいるんだよね。先に飯食ってて!』
なんて、言ってくれる。

◯自爆機能
上の居場所お知らせ機能で確認しても、見当たらなくて、
いよいよどこにいったか分からん(要するに紛失)ようになったら、
自分の携帯番号に電話し、#を7回押すと、
『こちらは、自爆機能オペレーションセンターです。
あなたは、この携帯電話を自爆させますか?
はい、の場合は、1を。いいえの場合は、3を・・・』
みたいになって、1を押すと、ボッカーン!
と、その携帯は自爆するの。
で、個人情報の流出などを防止することができる。

職場のみんなに、さんざん、家にありますよ!と、言わせて、
自分を安心させたのだが、
これで家に無かったらどうしよう!?と、思いつつ、
玄関ドアを開けたら、
暗い部屋の隅に、見覚えの有る緑色の小さな光が!
おー、お前、ここにいたんだ。
独りにして、ゴメンな、寂しかったろ?と、
熱い抱擁をした、わたし、Giovanniであった。

月曜日, 1月 15, 2007

手紙 ーフランセスへー その1


















親愛なるフランセス

君に、手紙を書くこの特別な機会が与えられて、
わたし、Giovanniは、何て幸せなことでしょう!
フランセス!

わたしは、君のことをずっと知っています。
君が生まれる前から、
君の両親に、君のお母さんのお腹に君が宿ったときのことを
報らされて以来、
折りに触れて、君のことは聞いてきました。
君がうんと小さい赤ちゃんだった頃から、
あなたのお母さんは、君の写真も送ってくれましたから、
わたしは、まるで君に会ったことがあるような気になりますが、
君が生まれてから、
わたしたちは、未だ一度も会ったことが無いのですね。

そんな君も、今年は15歳になるの?
年月が経つのはあっと言う間だ!

先週、君のお母さんが、こんなメールを寄越しました。

『Giovanni、あなたに、フランセスを手伝ってやることが
できないかしら?
フランセスが、彼女の来年の試験の一つに、
美術の課題を選択したの。
今、彼女の授業では、異文化をテーマに勉強をしています。
そのテーマのために、一つ、他の文化を選ばなくてはいけなくて、
彼女はそれを日本にしました。

今週、彼女たちは、皆でロンドンへ出かけて、
英国博物館で何かインズピレーションを得ることができる物が無いか、
探してきました。
彼女たちは、日本文化から、何でもこのテーマに使うことができるのです。
それは、特に絵画や彫刻だけでなく、布や、紙や、建築や、衣装など、
何でも良いのです。

何か、良いアイディアがあれば、ぜひ、協力してください。

スーザン』

フランセス、君は知っていますか?
わたし、Giovanniが、フランスで君の両親に最初に会ったとき、
二人は本当に、わたしに親切にしてくれたのです。
わたしは、まだフランスに来たばかりで、
しかも、生まれて初めての海外生活でした。
英語も、自分では話すことが出来ると思って、
日本を出発したのだけれど、
実際には、話すことも、相手が話していることを理解することも、
たいそう難しく、大変な思いをすることの多い日々でした。
(フランスなのに、そこでは英語も一つの日常語だということを、
君も知っているよね?)

それを、君のお母さんは、
わたしの話す奇妙な英語を、注意深く、忍耐強く耳を傾け、
理解しようとしてくれたのです。

異文化の中で、戸惑う気持ちは、
わたしにも、とても良く分かります。
ですから、今度は、
異文化への大きなチャレンジをしようとしている、
君を、わたし、Giovanniが、手伝う出番だと、
思っています。

(続く)

土曜日, 12月 30, 2006

一年の終わりに

え?本当に?と、思うくらい、
あっと言う間に過ぎて行った、2006年。
しみじみと、今年を振り返る心のゆとりも無いくらい、
年末も、バタバタと忙しく過ごしてしまった。

明日から、ほんの短い期間だが、
休みをとって、両親に会いに行く。
親の年齢も、多く重ねると、
やはり、新年くらいは一緒に過ごしたくなる。
朝の早い飛行機なので、
今日は、とっぷりと風呂につかって、
早めに寝よう。

一年の終わりにあたって、
このブログを読んでくれたみなさんに、
これだけは、伝えておきたい。

平和。
世界の人の、全ての命を脅かす恐怖が、
来年こそは取り除かれて、
本当の平和のうちに、
わたしたちが、この地球で、一緒に、
生きていくことができるように。
そのために、わたし、Giovanniに
できることは何だろうか?

毎年同じようなことを考えているように、
思うけれど、
来年は、本当に、平和のタネをまき、
その平和を、大きな木に育てたい。

先日書いた、
新しく見つけたオリヴの木の前で、
しばし、その銀色に光る葉裏をなぜながら、
そんなことを思った、今日の帰り道だった。

そんな年末の朝、
新しく買ったジャムのふたの裏に、
こんなサプライズが!



ありがとう、2006年!
そして、2007年もハッピーな笑顔で、
行きたいものである!

水曜日, 12月 27, 2006

何気ない、マグカップたち(改訂)


わが家の食器の棚を、見た人は、ちょっと驚くかも知れない。
Giovanniって、一人暮らしだよね?
何でこんなに食器が揃っているの?
と、言われることはしばしばだ。



主に、ガラスのコップやボール、耐熱皿と、
白い陶器や磁器。
業務用または、それに準ずる物が多く、
色柄のものは、ほとんど、と言って良いほど、
わが家には存在しない。
ひと頃、随分と、客を招いて料理をした時期があり、
同じ皿が6枚とか、1ダースとか、
揃っているほうが何となく都合も良いと、買いそろえた結果が、
こういうことである。

ただ、例外的に、
イラストやデザインがカラフルな、コーヒーマグが
幾つか、並んでいる。
一般的なお客を招く時には使わない、
個人的に朝のコーヒーや、
夜寝る前の温かい飲み物に使うだけだ。

まだ、もう少し若かった頃、
好きな子が出来て、いい感じに付き合いが進むと、
その子専用のマグカップを買ったものだ。
今思うと、
自分の若さが微笑ましく思い出されるエピソードだが、
当時はきっと、それはそれで必死だったのだろう。

その子の個性や感性に似合った色柄やデザインのものを、
色々見て回って購入し、
お泊まりの翌朝、
そのマグカップに、いれたてのコーヒーを注ぐときの幸せ。
そんな幸せに、酔いしれる自分は、本当に若かった。

ところが、その後、専用マグカップを買うと、
その恋が終ってしまう、というジンクスに気がついた。
独占欲が強い性格だったので、
相手の存在を、自分の生活の中に組み入れてしまおう、
そういう魂胆を、相手に見破られてしまい、
それを負担に感じると、とっとと愛想を尽かして、
いなくなってしまう、ということだったのだろうか?

つい最近知り合って、上手く行けば良いのに、と、
思った相手がいた。
知り合って、すぐ間も無いうちに、
家へ来ることになり、
その当日、出かけた先で、
ふと、マグカップを探してみる気になった。

店を三軒見て回ったのだが、
クリスマスギフトのシーズンだったからだろうか、
ツリーやサンタの絵が描かれたものばかりが並んでいて、
なかなか、コレというものを見つけることは
出来なかった。

若かった頃の自分であれば、
それでも、翌朝二人で飲むコーヒーのことを思って、
それなりの物で妥協してでも、
マグカップを買って、持ち帰っただろう。

その時は、結局、
まだ先があるだろう、これからゆっくり
より素敵なマグカップを見つける時間があるだろう、と、
夕食後のデザートに食べるプリンだけ買って、
そそくさと、帰宅したのだった。

棚に並んでいる、
色とりどりの楽しいマグカップには、
そのそれぞれに、ちょっとしたエピソードがあり、
今となっては、
それなりの良い思い出になっていたりする。
早朝のコーヒーや、深夜のココアを飲むときに、
手に取ったマグカップに、
ふと、そんな昔を思い出させられたりすることもあるけれど、
いつの間にか何となく、
何気ない、毎日の生活のシーンの一部となっていて、
何か劇的な心の動きを誘導するものでは、
もう、なくなってしまっている。
ただ、朝冷えの手に伝わる温もりだけが、
かすかに、楽しい日々の思い出の断片を、
伝えているかも知れない。

ちなみに、最近知り合ったその人とは、
大きな進展を見ることがなく、
結局、その人専用のマグカップは、必要でないままに、
関係は終ってしまった。
その人のためのマグカップを探しながら、
心のどこかに、
買ってしまえば、それで終ってしまう恋、と、
いう思いが働いて、
それが色々なことに、ブレーキをかけていたのかも知れない。
そんな分析をする反面、
あのとき、無理にでも、新しいマグカップを用意しておけば、
その人との関係に、
何か幸せなきっかけを作ることが出来ていたかも知れなかった、
とも思い、
今となって悔しい気持ちになる自分もいる。

ともかく、
わが家のキッチンの棚に、新しいマグカップが並ぶのは、
まだまだ先のことになりそうで、
今は、何気ない、マグカップたちが、
わたし、Giovanniの心をホットさせてくれるだけである。

*************************

最後の下りのところ、
翌朝思い返して若干書き足してみた。
これが、正直な気持ちかな。

by Giovanni

土曜日, 12月 23, 2006

静かな夜 2006 クリスマス・メッセージ























心がざわめくのは、何故?
自分の気持ちが、通じないからだろうか?
それとも、仕事が思う通りに進まないから。
目の前に山積みになった、幾つもの課題に、
手をつけられずにいる、わたし、Giovanni。

賑わう町。
『心を込めて』という謳い文句を添えた、
物ばかりが行き交うシーズン。
心は本当に、伝わるのだろうか?
鳴り止まない、音楽。

本当は、静かな夜。
闇の静寂の中で、その人は生まれた。
痛みに耐える母と、見守る父、二人の息づかい。
他に聞こえるのは、
満天の星のまばたきと、天使のグロリアか。

本当の静かな夜は、
例え、大都会の喧噪の中であっても、
迷いも、不安も、恐れも無い平和な心に訪れる。

小さなキャンドルのともしび一つで祝う、
静かな夜。
物質的には、簡素で貧しくても、
心は豊かに満たされる、本当の平安を招く、
静かな夜。

わたしが本当に探し求めているものは何だろう?

それは、
全てがそこから新しく始まる、
静かな夜。

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世界情勢も、日本の毎日の生活の中で起きる様々な事件や事故も、
そして、わたし、Giovanni自身の身のまわりや心の中で起きた、
一つ一つの出来事も、
気持ちをざわめかせ、嫉妬や、憎悪や、絶望を、
幾つも、生み出す原因となった、
そんな一年だった。

解決できないままの、数々の問題や課題。
理想に描く喜びや平和へ、到達することができないでいる、
焦燥感の中で、
クリスマスという日を迎えようとしている。

キリスト教会でアドヴェント(待降節)と呼ぶ、
クリスマスまでの準備の期間、
教会の神父が、こうおっしゃっていた。

『全てが解決し、何の問題も無くなった状態での喜びなど、
あり得ない。
様々な困難を抱え、苦しみ、葛藤しながらも、
そこに本当の喜びを見いだそうとする姿勢こそが、
生きている人間に求められている姿である。』

静かな夜。
その夜の静寂の中で、
わたしたちは、自分たちが抱える課題や難問の大きさに、
途方に暮れそうになるだろう、が、
また、その静けさの中で、
次の新しい朝を迎えるという、希望を見いだし、
本当の平和を、心に築くのではないだろうか。

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平安な夜が、みなさんと共にありますように。

木曜日, 12月 14, 2006

闇/光










キリスト教を基盤とした西洋の文化や哲学では、
善=光、闇=悪、という公式が、
歴然と成立している。
全て正しく良い事象は、光に端を発し、
その逆は、闇から来るというのだ。
イエス・キリストは、
世の闇を照らすために来た、光である、と、
キリスト教の信仰では教えられている。

日本を含め、東洋の文化や哲学には、
白は白、黒は黒、ではない、
曖昧なグレーの部分を認める姿勢が、
しばしば見受けられる。
陰陽哲学のシンボルとなっている、
巴の印は、
陰の中心に陽が存在し、
陽の中心に陰が存在する、という哲学を、
具体的に示している。

人が、心に闇を持った時、
恐らく、西洋社会では、一般的に、
その闇をすっかり拭い去るための手だてを考え、
仮に、それが不可能であるのならば、
ありったけの光を闇に照らして、
闇があることを気づかないようにするかも知れない。

今までそのような経験が全く無かったわけではない。
生きている日々、歳月が、長くなればなるだけ、
それらの日々や歳月が、
決して、常に明るく光り輝いているばかりではない、
ということは、周知の上である。

何度も、真っ暗な闇に打ちのめされ、
立ち直ることが出来ると信じるのさえ、
不可能だと思うような出来事に遭遇してきている。

心に影を落とす闇が、
季節の逡巡と関連があると断言するには、
いささか科学的な根拠を欠くかも知れないが、
太陽の日差しが薄れ、闇の夜の長いこの時期、
わたし、Giovanniの心には、重くて厚い闇の雲が垂れ込める。

冬眠ホルモンなる物質の存在を、
漠然とは知っていたが、
そういう物質がわたしの体内にも必ずあるということは、
確信であった。
できることならば、夜の長い冬の間中、眠ってしまって、
気がついたら陽光眩しい春を迎えていたい、
という願望は、常に持ち続けてきた。

長い夜は、ときに、辛く寂しく、
何か行き場を失ったような息苦しささえ感じさせる。

10年くらい前だっただろうか。
夏が去り、かろうじてまだ夕方の儚い光を、
暫くは味わうことの出来た秋が終わり、
突然、つるべ落としのように夜が訪れる季節になり、
わたし、Giovanniは、
生まれて初めての、心の闇を体験した。

理由も無く、何の脈略も無いのに、
ただ、悲しくて、
仕事から帰宅した部屋に明かりを灯すことすらできず、
冷えて、真っ暗な空間で、
独り泣き叫ぶことしかできなくなった。

その深い闇の中で、
問いかけ続けた、
『わたしは誰なのか』『何のために生きているのか』
という、究極の疑問。
こんなに、一生懸命生きているのに、
なぜ自分は満たされず、喜ぶことが出来ないままでいるのか、と、
夜になる度に、闇に訴え続けた日々。

わたしのその心の闇を、破る光は、
ある日、やってきた。

冬至。
一年でもっとも夜の長い日。
その日が終わり、
今日からは、太陽の日差しを浴びることの出来る時間が
少しずつとは言え、長くなる、
その日を迎えて、
わたしの心は、闇の苦しみと決別することが出来たのだった。

闇と光について思うとき、
わたし、Giovanniは、
闇こそが悪、という西洋的な哲学によりは、
闇の中の究極な部分に光が存在すると考える、
東洋の哲学に、より相容れることのできるものを感じとる。

闇を知り得たからこそ、
光がいかに優れていて、貴重な存在であるかを、
理解することができる。
また、光の降り注ぐ、
人間が生理的に本来の命を、もっとも活動させることのできる
環境は、
夜の闇の休息の時間があってこそのものであるのだ。
そして、光を際立たせるために、
闇の存在は、不可欠なのである。

闇と光は、相対する存在では決して無い。

キリスト教の幾つかある暦の一つによると、
冬至は、キリストの使徒の一人である聖トマスの祝日だと言われている。
トマスは、
十字架に架けられて亡くなったキリストが、
自分自身の言葉通り、3日目によみがえり、
トマスの元に現れた際、
ただ目で見ただけでは、我が師の復活の事実を信じて受け入れることができなかった。
キリストの脇腹の傷に指を入れて初めて、
よみがえりを信じた人、と、聖書に記されている。

不信、疑いという闇の先に、新しい信仰の光がある。
その折り返し地点を、冬至になぞらえた暦であると言われている。

今、わたし、Giovanniの心を覆う厚い闇の雲が、
突然晴れて、
今までとは違う新しい光を見る日は、すぐ間近である。

今年の冬至は12月22日。
もう目の前である。