俄然元気を見せている今年の梅雨前線。
おまけに、大型の台風がはるか南方から、
さらに前線を刺激しているとかで、
今日の休みも、どんよりと曇ったり、しょぼしょぼと降ったり。
ここのブログでも、何度も何度も書いているから、
きっとみなさんもご存知だと思うけれど、
わたし、Giovanni、こういう天候には滅法弱いのである。
奈落の底に、ズルズルと引きずり込まれるような、
そんな感覚の内に、いつまでも目覚めなかったりする。
今日も、そんなこんなで、
ほとんど意味の無い、ただ生きているだけ、というような半日を、
ダラダラと過ごしてしまった。
一日が、半分以上も過ぎたところで、俄に、
無駄にしてしまった時間を取り戻そうと、
ばたばた慌てている自分が、ちょっと可笑しい。
仕事がとびきり忙しいのだとか、
身辺に大きな変化があったとか、
そういうのではないのだが、
何か、自分をすんなりと表現することが、
ここ暫く出来なくなっている。
もっと端的に言えば、書けない。書くことができない。
今までだって、大したことを書いていたわけでもないが、
それでも、季節折々に感じたことや、
日々起こる小さな出来事について考えたことを、
素直に、語り、読んでくださるみなさんと、
多からずも分かち合うことができていて、
案外それがまた、自分の毎日の生活の心の糧になっていたのに。
正直な話をすれば、
書くことが出来なくなったのには、理由があった。
ここでは、それに触れることを避けるが、
単純に言えば、あることがきっかけで、
書くのに嫌気がさしていたのだ。
素人の日記ごときで、何を大仰なことかとも思うかも知れないけれど、
素人で、別にこれを生業にしているわけではないからこそ、
こんなささいなことで、嫌気がさして書くことを止めてしまっても、
それが何かに大きく影響を及ぼすわけでもないわけである。
暫くは、キーボードを叩くことすら嫌になっていて、
この”丸いテーブル”の周りに近づくことすらせずに、
うっちゃっていたのだが、
ほとぼりも冷めて、少しの時が流れれば、
やはり、この居心地の良いテーブルをまた、
囲みたいと思うようになったのだった。
いつも、誰かが、わたし、Giovanniと繋がっている。
そして、わたし、Giovanniは、誰かと、
このテーブルを囲みながら、
遠く離れていても、繋がっているのだ、という実感。
それこそが、わたし、Giovanniの
大切にしているcommunionであり、
それだからこそ、自分は生きているのだ、と、確信できる。
雨の降る日は、身体と心を休める日だ、と、
誰かに教えられたような覚えがある。
休みだからと、めいいっぱいの時間を費やしてあれもこれも、
と、いう必要は無いじゃないか。
ポツポツと、地面をたたく雨音を静かに楽しみながら、
日頃、避けて通っている、自分の内面の、
何故? どうして? 何処へ?
心のもっとも深い場所にある、問いかけへの、本当の答えを探す、
そんな一日であっても良いのじゃないかな。
こんな雨の日だったからこそ、
ちょっと、この心を開放して、久しぶりに、
みんなに会いたかった。
こんな雨降る午後だったからこそ。
*雨の後のわが家のインパチェンス
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