水曜日, 7月 11, 2007

雨降る午後に思うこと

から梅雨かと思っていたのに、後半になって
俄然元気を見せている今年の梅雨前線。
おまけに、大型の台風がはるか南方から、
さらに前線を刺激しているとかで、
今日の休みも、どんよりと曇ったり、しょぼしょぼと降ったり。

ここのブログでも、何度も何度も書いているから、
きっとみなさんもご存知だと思うけれど、
わたし、Giovanni、こういう天候には滅法弱いのである。
奈落の底に、ズルズルと引きずり込まれるような、
そんな感覚の内に、いつまでも目覚めなかったりする。

今日も、そんなこんなで、
ほとんど意味の無い、ただ生きているだけ、というような半日を、
ダラダラと過ごしてしまった。
一日が、半分以上も過ぎたところで、俄に、
無駄にしてしまった時間を取り戻そうと、
ばたばた慌てている自分が、ちょっと可笑しい。

仕事がとびきり忙しいのだとか、
身辺に大きな変化があったとか、
そういうのではないのだが、
何か、自分をすんなりと表現することが、
ここ暫く出来なくなっている。
もっと端的に言えば、書けない。書くことができない。

今までだって、大したことを書いていたわけでもないが、
それでも、季節折々に感じたことや、
日々起こる小さな出来事について考えたことを、
素直に、語り、読んでくださるみなさんと、
多からずも分かち合うことができていて、
案外それがまた、自分の毎日の生活の心の糧になっていたのに。

正直な話をすれば、
書くことが出来なくなったのには、理由があった。
ここでは、それに触れることを避けるが、
単純に言えば、あることがきっかけで、
書くのに嫌気がさしていたのだ。

素人の日記ごときで、何を大仰なことかとも思うかも知れないけれど、
素人で、別にこれを生業にしているわけではないからこそ、
こんなささいなことで、嫌気がさして書くことを止めてしまっても、
それが何かに大きく影響を及ぼすわけでもないわけである。

暫くは、キーボードを叩くことすら嫌になっていて、
この”丸いテーブル”の周りに近づくことすらせずに、
うっちゃっていたのだが、
ほとぼりも冷めて、少しの時が流れれば、
やはり、この居心地の良いテーブルをまた、
囲みたいと思うようになったのだった。

いつも、誰かが、わたし、Giovanniと繋がっている。
そして、わたし、Giovanniは、誰かと、
このテーブルを囲みながら、
遠く離れていても、繋がっているのだ、という実感。
それこそが、わたし、Giovanniの
大切にしているcommunionであり、
それだからこそ、自分は生きているのだ、と、確信できる。

雨の降る日は、身体と心を休める日だ、と、
誰かに教えられたような覚えがある。
休みだからと、めいいっぱいの時間を費やしてあれもこれも、
と、いう必要は無いじゃないか。
ポツポツと、地面をたたく雨音を静かに楽しみながら、
日頃、避けて通っている、自分の内面の、
何故? どうして? 何処へ?
心のもっとも深い場所にある、問いかけへの、本当の答えを探す、
そんな一日であっても良いのじゃないかな。

こんな雨の日だったからこそ、
ちょっと、この心を開放して、久しぶりに、
みんなに会いたかった。
こんな雨降る午後だったからこそ。

 *雨の後のわが家のインパチェンス

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