
いつものように自転車で、職場から帰宅していると、
不意に、鮮やかな緑色の光が、視界の遠くに見えた。
あ!花火だ!
と、気がつきながらも、自転車は、その光を発見した場所をピークに、
下り坂に突入し、
それきり、夜空に光る花火は、見えなくなってしまった。
しかしながら、バーン、バーン、ドドーン!という、
花火を打ち上げる音は、はっきりと聞こえており、
何とか、再び、打ち上がる閃光を見ることができる場所は無いかと、
遠くで聞こえる音を頼りに、行く道の方向を見極めていた。
だが、やはり、平坦な低地を進むばかりのこと、
燦然と輝くその光を見つけることはないまま、
バーン、バーン、ドドーン、という音ばかりに、
耳を傾けつつ、また、思い出したことがあった。
フランスに住んでいた間に、
年末年始をロンドンで過ごしたことがあった。
わたし、Giovanniが、
当時働いていた、communaute(共同体)の仕事で、
クリスマス直後から、ロンドン入りをし、
バタバタと慌ただしい数日を過ごしていたのだった。
日本で言う、所謂、大晦日の夜、
年越しのミサに預かっていたときのことだった。
その日の聖書の言葉に耳を傾けた後、
暫くの時間を、沈黙の内に過ごしていた。
バーン、バーン、ドドーン。
外では、行く年を惜しみつつ、来る年を祝う人たちの、
ざわめきと一緒に、
打ち上げ花火が派手に打ち上げられている音が、
鳴り止まなかった。
その激しい音を聞きながら、
わたし、Giovanniは、自分と共にその場でミサに預かっている、
仲間たちを見回していた。
人民革命と呼ばれた、反マルコス運動の最前線で、
人間の盾にもなったフィリピン人や、
大小様々な、紛争や戦争に巻き込まれた経験を持つ、
旧ユーゴスラヴィアを初めとした、旧東ヨーロッパの面々。
そんな彼らの表情を、
わたし、Giovanniが、伺わずにいられなかったのには、
理由があった。
それは、こういうことだった。
途切れることなく、次々と打ち上げられる花火の音が、
わたしには、戦争の銃撃の音に聞こえてならなかったのだ。
彼らが、この花火の音を耳にして、
自分たちを巻き込んだ、紛争や戦争を思い出しはしないだろうか?と、
気になって仕方がなかったのである。
去年の8月6日に、わたし、Giovanniは、
ここで、わたしの叔父、Sについて書いている。
叔父のSは、広島で被爆しており、
奇跡的に生き延びた後、何年もの間、
花火を怖がった、という話を聞いたことがある。
青白く光る花火が、原爆のピカを、そして、
花火が打ち上げられる音が、原爆のドーンを、
思い出させるからだということだった。
同じように、
自分の実体験として、戦火や銃撃を経験してきた仲間たちにとって、
花火の光や音は、どんな風に受け止められているのだろうか、と、
彼らに尋ねてみたくて、仕方がなかったのである。
だが、その反面、
自己の体験として、戦争の銃撃など知らないわたしには、
花火がそれに近いものだと勝手に解釈せざるを得ないだけで、
本当の銃声を知っている彼らにとっては、
花火など、たかだかおもちゃでしか過ぎないのではないか、という知恵も働き、
結局、そんな質問を投げかけることもしないまま、
その夜の、お祭り騒ぎも終ってしまったのだった。
それでも、未だに、
あの時代のあれらの国々で、そして、今も尚、幾つかの国々で続けられる、
戦争の非情な音は、ひょっとすると、
この花火の音に似ているのではないか、と、思うことがある。
その日の帰り道、
次から次へと、打ち上げられる花火に恋いこがれながら、
ふと、そう思ったのだった。
自宅近くへ到着して、
終に、花火はその全貌を再び現し、
線路沿いの道で、
わたし、Giovanniも、
しばし、その美しい彩りに気をとられていた。
1 件のコメント:
今日は神宮の花火を見てきました。
そこで頭をよぎったのは、まさに戦争の事。
私の中では想像でしかないけど、
美しい花火とは裏腹に、地面を揺らす大きな音は、恐怖でした。
綺麗だけど、こわい。
桜みたい?
ジョバンニ、げんき?
浴衣の季節がまたまた終わっちゃう〜。
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