日曜日, 8月 05, 2007

夏の花火、と、冬の花火











いつものように自転車で、職場から帰宅していると、
不意に、鮮やかな緑色の光が、視界の遠くに見えた。

あ!花火だ!
と、気がつきながらも、自転車は、その光を発見した場所をピークに、
下り坂に突入し、
それきり、夜空に光る花火は、見えなくなってしまった。

しかしながら、バーン、バーン、ドドーン!という、
花火を打ち上げる音は、はっきりと聞こえており、
何とか、再び、打ち上がる閃光を見ることができる場所は無いかと、
遠くで聞こえる音を頼りに、行く道の方向を見極めていた。

だが、やはり、平坦な低地を進むばかりのこと、
燦然と輝くその光を見つけることはないまま、
バーン、バーン、ドドーン、という音ばかりに、
耳を傾けつつ、また、思い出したことがあった。

フランスに住んでいた間に、
年末年始をロンドンで過ごしたことがあった。
わたし、Giovanniが、
当時働いていた、communaute(共同体)の仕事で、
クリスマス直後から、ロンドン入りをし、
バタバタと慌ただしい数日を過ごしていたのだった。

日本で言う、所謂、大晦日の夜、
年越しのミサに預かっていたときのことだった。
その日の聖書の言葉に耳を傾けた後、
暫くの時間を、沈黙の内に過ごしていた。

バーン、バーン、ドドーン。

外では、行く年を惜しみつつ、来る年を祝う人たちの、
ざわめきと一緒に、
打ち上げ花火が派手に打ち上げられている音が、
鳴り止まなかった。

その激しい音を聞きながら、
わたし、Giovanniは、自分と共にその場でミサに預かっている、
仲間たちを見回していた。
人民革命と呼ばれた、反マルコス運動の最前線で、
人間の盾にもなったフィリピン人や、
大小様々な、紛争や戦争に巻き込まれた経験を持つ、
旧ユーゴスラヴィアを初めとした、旧東ヨーロッパの面々。
そんな彼らの表情を、
わたし、Giovanniが、伺わずにいられなかったのには、
理由があった。

それは、こういうことだった。
途切れることなく、次々と打ち上げられる花火の音が、
わたしには、戦争の銃撃の音に聞こえてならなかったのだ。
彼らが、この花火の音を耳にして、
自分たちを巻き込んだ、紛争や戦争を思い出しはしないだろうか?と、
気になって仕方がなかったのである。

去年の8月6日に、わたし、Giovanniは、
ここで、わたしの叔父、Sについて書いている。


叔父のSは、広島で被爆しており、
奇跡的に生き延びた後、何年もの間、
花火を怖がった、という話を聞いたことがある。
青白く光る花火が、原爆のピカを、そして、
花火が打ち上げられる音が、原爆のドーンを、
思い出させるからだということだった。

同じように、
自分の実体験として、戦火や銃撃を経験してきた仲間たちにとって、
花火の光や音は、どんな風に受け止められているのだろうか、と、
彼らに尋ねてみたくて、仕方がなかったのである。

だが、その反面、
自己の体験として、戦争の銃撃など知らないわたしには、
花火がそれに近いものだと勝手に解釈せざるを得ないだけで、
本当の銃声を知っている彼らにとっては、
花火など、たかだかおもちゃでしか過ぎないのではないか、という知恵も働き、
結局、そんな質問を投げかけることもしないまま、
その夜の、お祭り騒ぎも終ってしまったのだった。

それでも、未だに、
あの時代のあれらの国々で、そして、今も尚、幾つかの国々で続けられる、
戦争の非情な音は、ひょっとすると、
この花火の音に似ているのではないか、と、思うことがある。
その日の帰り道、
次から次へと、打ち上げられる花火に恋いこがれながら、
ふと、そう思ったのだった。

自宅近くへ到着して、
終に、花火はその全貌を再び現し、
線路沿いの道で、
わたし、Giovanniも、
しばし、その美しい彩りに気をとられていた。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

今日は神宮の花火を見てきました。
そこで頭をよぎったのは、まさに戦争の事。
私の中では想像でしかないけど、
美しい花火とは裏腹に、地面を揺らす大きな音は、恐怖でした。
綺麗だけど、こわい。
桜みたい?

ジョバンニ、げんき?
浴衣の季節がまたまた終わっちゃう〜。