月曜日, 3月 05, 2007

人と繋がって生きるということ


長い旅や、自国を離れた遠い場所で暮らした経験を持つ人には、
よく分かると思うけれど、
自分という人間が、どれだけ、
人との繋がりによって生きている
(生かされている、という表現は、気恥ずかしくて)
か、と、いうことに、気がつかされることがある。

生まれて初めて行った外国が、
フランスで、しかも、2年間一度も帰国しなかったのだが、
その分、母とは毎週文通をして近況を知らせ合った。

お互いに、日々の暮らしの出来事やら、
お父さんがどうした、T(弟)が学校で先生と喧嘩をした、
というような、家族の近況、
(こちらは、誰々がどうしたこうした、など)を、
飽きることなく、毎週、毎週、2年間書き綴った。

かけようと思えば、かけることの出来た電話すら、
今となると、その理由は思い出すことが出来ないのだが、
何故か、2度のクリスマスに、
手短にクリスマスの挨拶をする程度にしかかけたことがなく、
家族との繋がりは、母と取り交わす手紙だけだった。

20年も前に、遠い外国の地に旅立った我が子に宛てた、
母からの手紙は、日本からフランスへ、海を渡り、
わたし、Giovanniの帰国とともに、
再び、日本へと戻って来て、今、
わたしの住むアパートの暗がりの中で、箱に収められ、
静かに眠っている。

当時の、若かったわたしを、励ましてくれたその手紙は、
今から、20年、30年後に、いよいよ、
箱を開け、再び読み返すとき、
もう一度、そのとき生きている、わたし、Giovanniのことも、
励ましてくれるのだろう。

親子、家族の愛、またはそれに準ずる愛、という繋がりに限らず、
わたしたちの人間関係において、
誰かと繋がっているという実感を感じる瞬間は、他にもある。

フランスでの生活は、
たくさんの人との出会いと、別れが、
ミルフィーユのように、重なり合って形作られていた。
誰かと出会えば、別の誰かが旅立って行き、
新しく会った誰かも、いつの日か、遠くへ行ってしまう。

当初、どこかへ行ってしまう人たちを見送っては、
寂しさや、涙で、気持ちをいっぱいにしていた、
若かった、わたし、Giovanniだが、
だんだん、別れるということの本当の姿を知るにつれ、
寂しさも、涙も、薄れていった。

人と繋がって生きてゆく。

この地上で、出会って、一度繋がった人とは、
これからも、ずっと、その関係を繋ぐ糸は、切れることがない。

そう、わたし、Giovanniは、確信している。

ふと、目を伏せた瞬間に、
忘れていた、あの人の言葉を思い出したりすることがある。
ミルフィーユの、パリパリとした薄く、
少し岩塩を感じさせる生地を噛み締めていて、
不意に、口中に苺の甘い果汁が広がったときのように。

何年も、或は、何十年も、
心の片隅のどこかに、置き去りにしてきたような、
自分を責め立てたあの人の言葉が、
今、ふと、思い出されて、
しかも、今の自分に最も相応く、大切な意味を持つ
言葉として甦ったりする。

たぐり寄せたつもりではない、
偶然に、靴の踵がひっかかってしまって、
無意識の内に、自分の足跡を辿ってついてきた、
旧い友人たちとの、何気なかった出来事、一つ一つに、
今となって、幾度も励まされたりしている。

またいつか、どこかで、
再会することもあるだろうけれど、
ほとんどは、その望みすら棄ててしまったほど、
あの人たちは、遠い過去と、はるか海を幾つも超えた場所にいる。

だが、確信する。
わたしは、彼らと、今もしっかり繋がっているということ、
そして、だからこそ、生きることを続けているということ。

旧い友人たちからの、思いがけない何年ぶりかの便り、
については、
ここでも、幾度か紹介したことがあったが、
たとえ、あの丘の下のバス停で、
お互いに次逢う場所も、季節も知らないまま、
固く肩を抱き合ったのを最期に、
消息すら知らず、また、報せる術も分からない、
たくさんの友人たちとも、
わたしは、今もしっかりと結ばれ、繋っている。

臆病で、足がすくんで立ち止まっているときに、
彼らが、そっと背を押してくれた、と、
感じる瞬間がある。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

例のです!→http://brown.ap.teacup.com/seaa/

ふらーっと
書いてます。

よろしくどうぞ(_ _)