月曜日, 6月 04, 2007

小鳥のいない生活

長年使っている、ラバーウッドの四角い盆に、
バタを塗って、果物のコンフィチュールを添えたトーストと、濃いめのコーヒーを乗せ、
起きたままの寝床でとる、わが家の朝食。
トーストは、フカフカよりは、カリッと香ばしく焼いたのが好きだが、
そういうよく焼いたトーストは、食べるとパン屑がたくさん落ちる。
パン屑のその大方は、四角い盆で受けるのだが、
サクッとした歯ごたえと、口に広がるバタの塩味とキウィやモモのジャムの甘みが、
口いっぱいに広がると同時に、
羽毛の掛け布団の上は、パン屑が広がって、大変なことになる。

フランスの共同体で生活していたとき、
"Le Puits"という名前(井戸、の意味)の家の管理人を一年位していたことがあった。
そこは、毎週、30人程度のヴィジターが滞在して、
沈黙の生活の中で、修道士のガイダンスの元、
各自が自らの内面的な探求を進めていくための施設である。

その家での昼食と夕食には、何人かの修道士が、当番制で食卓に共につき、
静かな音楽を聞きながら、沈黙の中で食事を摂る。
食事は、修道共同体らしく、とても簡素なものであるが、
フランスだけあって、パンがとても美味しい。

毎食、共同体全体の食事を準備する”Big kitchen"から、
わたし、Giovanniが管理をしていた家用に、
スープの入った大きなポットや、
食後のフルーツとして供される木箱に入った青い林檎と一緒に、
フランスで、所謂、バゲットと呼ばれるような、
棒状のパンが数本あてがわれる。
そのパンを、これもフランスでは当たり前にどこの家庭にでもある、
少しギザギザの付いた専用のパン切りナイフで適当な大きさに切り分け、
いくつかのカゴに盛りつけて、
家の大きな楕円形のダイニングテーブルに並べる。

パンのカゴは、
食事中に、幾度となく楕円のテーブルの周りを行き来する。
豆の煮たのと、チキンのオーヴン焼きを食べてしまって、
一先ず落ち着いたところで、
もう一度、今度はチーズと一緒に食べるために、
何片かカゴに残されたパンが、食卓の周りを囲む人から人の手へと、
手渡されて行く。
(そして大概の場合、この最期の一周りでカゴは空っぽになる)

修道士の、食事への感謝の短い祈りとともに、食事は終わり、
各自が自分の食器やカトラリーを、
食堂の横に設えてある流し場へ運ぶ中、
いつも、その光景に、ふと、感じ入ることがあった。

テーブルの上に、よく見れば、たくさんのパン屑が散らかっていて、
その屑を、ティータオルで拭い去ってしまう人もいたのだが、
修道士の一人、フレール・ヨハネスは、
そのパン屑を、空っぽになったパンカゴに集め、
ダイニングルームから、直接庭に出ることのできる、
素通しのガラスの扉をくぐって庭に出て、
カゴに残ったパン屑もろとも、庭にまくのだった。

フレール・ヨハネスは、スウェーデン人の修道士で、
寡黙で、いつも飄々としており、
茶色い毛糸のベストを着用したその素朴な風貌が、どことなく、
洗礼者ヨハネを描いた絵のようだった。

その彼が、庭でパン屑をまく姿は、
また、12世紀のイタリアで、清貧の精神を唱え
フランシスコ会を創立した、聖人、
フランチェスコにも重なって見えた。

聖フランチェスコは、太陽を『兄弟』、月を『姉妹』と、呼び、
『西洋人には珍しいほど、自然と一体化した聖人として、
国や教派を超えて世界中の人から愛されている。
小鳥へ向かって説教したという伝説も大変に有名であり、
教皇ヨハネ・パウロ2世は彼を「自然環境の保護の聖人」とした。』
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
と、あるように、小鳥たちをも、普遍の愛情の対象として、
愛おしんだ人であった。

今年の正月に、両親の住む家を訪ねた。
庭の見える部屋から外を眺めていたら、
雀たちが庭の隅に集まって、何かをついばんでいた。
父に聞いたところ、小鳥用の餌を、ときどきまいてやっているというのだ。
冬の冷たい空気に凍えないように、
その羽毛をめいいっぱいふくらませた雀らの姿に、
父も、母も、そしてわたし、Giovanniも、
目を細め、いつまでも飽きることがなかった。
そして、いよいよ仕事を引退して、3月に両親が終の住処として戻った、
神戸のマンションの6階のベランダにも、
時おり、小さい鳥たちが、やってくる姿を見かけるようだ。

わたし、Giovanniの生活には、
残念ながら、こんな小鳥たちは、ほとんど現れない。
せいぜい、早い朝に窓を開ければ、
どこかで何やら楽しげな、チュンチュンという彼らのおしゃべりが、
聞こえるくらいである。
羽毛布団に散らかったパン屑も、四角い盆の上のパン屑も、
それをついばみにやって来る小鳥もいないので、
屑かご行きになるばかりである。











そんな、
小鳥のいない生活は、何か、少し寂しくもある。

0 件のコメント: