聞いてはいたが、
まさに、その通りなので驚いてしまう。
一昨年の一年間と、去年のそれは、明らかに違うし、
半分を過ぎた今年は、すでに、随分な速度を感じている。
父親の転勤のせいもあったし、
また、大学を卒業した後、すぐに日本に
いなくなってしまったこともあり、
小学校から大学を通して、
学生時代の友人との付き合いは、限りなく0に近い。
その反面、
フランス時代の友人たちとは、
ある意味、寝食を共にした、
仲間ーーcompanionsーーなので、
特に印象深かったり、固い絆で結ばれている、
そういう感覚が強い。
だが、だからと言って、この何年もの間、
密度の濃い、コンスタントなおつきあいをしている
相手は、ほんの一握りである。
ノールウェイ人のJは、
わたし、Giovanniが最初にフランスでの生活を
始めた時からの友人で、
後に、”we are blod brothers!"
(俺たちゃ『血兄弟』さ!)と、言い合った親友となった。
Jとは、その後、インドでも、
学生寮の隣同士の部屋を借りて、
一緒に働いたり、長距離列車の旅をしたり、
そんな間柄だった。
ある時などは、まだ、飲酒が世間から、
白い目で見られがちだったインド南部の町で、
わざわざ、自分たちの住む地域から、
うんと離れた所にあった酒屋で、瓶ビールを買い、
新聞紙にくるんだまま飲み干して、
また、遠い所へ瓶を捨てに行く、というような
悪さも一緒した、兄弟だった。

インドのどこかの町の列車の駅で、
Jは、そのまま北へ向かい、
わたしは下車をして、そこで、お別れ、という、
ドラマチックな最後で、
二人一緒のインド生活は、終わりになった。
大勢の旅行者が、乗り換えや、何やらで、
ごった返していた、駅のホームでの雑踏の中で、
最後のhugを交わした。
動き出した列車から、いつまでもこちらを見ながら
手を振るJ・・・
最愛の兄との別れに、涙が無かったと言えば、
大嘘つきになる。
そんなJと、交流が復活したのは、
偶然と言えば、偶然。
しかし、偶然は、必然と言うのなら、
そういうことだったのだろう。
旧知の日本人の友人から、
久しぶりに便りをもらったことがあった。
親類かどなたかの、結婚式でニューヨークへ
行っていたとのことだった。
そのニューヨークで、
わたし、Giovanniを知っているというアメリカ人に
会ったという報せで、
彼自身の手紙と一緒に、
そのTというアメリカ人からの短いメッセージが
同封されていた。
十年以上も、会った事はもちろん、
手紙すらもらった事もなかったTと、そこから、
メールでのやりとりが始まり、
ネット上とは言え、再会できたことを喜び合った。
Tは、やはりJとの付き合いがあり、
わたし、Giovanniは、
兄であるJの消息を、久しぶりにTから聞くこととなり、
そこから、Jとのメールのやりとりが、
めでたく、始まったのである。
実は、
長い間、消息知らずだった友人たちと、
少しずつ、再会を果たそうとしている。
世界に散らばっている友人たちなので、
実際に会っての再会は、容易くはないのだが、
メールのやりとりなどであれば、
いとも簡単である。
このまま行くと、
老後はそう、遠く無い将来のようにも思えるのである。
その為にも、
老後の楽しみを一緒に味わえる友人たちを、
一人でも多く、丸いテーブルに招待しておこう。
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