木曜日, 8月 10, 2006

打ち上げ花火

















8年間皆勤だった、C市の花火大会に、
昨年今年と行く事ができなかった。
今年も、花火を見ずに夏が終わってしまうのか、と、
ちょっと残念な気持ちでいたのだが、
わたし、Giovanniの住む町の、
川を挟んだ向こう側の花火大会が、今日あることを知って、
仕事の後、自転車を飛ばして戻って来た。

職場の子たちが何人か、来ているようだったが、
これ以上先へ進んだら、みんなのいる場所に到着する頃には、
花火が終わってしまうと思い、
自分の家に近い河原に自転車を止めた。

C市の花火大会は、
たいてい数人のいつもの仲間と融通をつけ合って、
誰かが早い時間から場所取りをすることになっていた。
クレーンの所ね、で通じるいつもの場所は、
目の前に花火が打ち上がる絶好の場所で、
その迫力は、満点の特等席で、花火を堪能するのだ。

今日の花火は、そんな大パノラマ的花火とは、趣きを異にし、
遠くで次々と光を放つのを、
途中で買った缶ビールと柿ピー片手に、一人静かに眺めたのだった。

川が途中湾曲していることもあり、
実際は、川の中州で打ち上げを行っているのだが、
そこから見れば、丁度川の対岸で打ち上げているようにも見え、
対岸の火事、ならぬ、対岸の花火、のように、
どこか、現実味や臨場感に欠けているようで、
それでいて、幻想的に、夢の中の映像を見ているような感覚に
陥っていた。(空きっ腹にビールを飲んだからか?)

日本では、花火というと夏を思い出すが、
ヨーロッパなどでは、季節を問わず、何かお祭りやお祝い事があると、
花火を打ち上げることがある。
大晦日から元旦に時が移る時などに、
町のあちこちで、一斉に花火が大音響と共に、上がったりする。

フランス時代のこと。
日本の除夜の鐘のように、年が変わるタイミングに、
教会でミサをあげたりするのだが、
その年は、年末年始を、ローマだったかロンドンだったかで過ごしており、
何人かの仲間たちと、チャペルに集って静かに年を越そうとしていた。

そんな時、
東西南北至る方向から、新しい年を迎える喜びの花火の音が、
鳴り響いた。

パーン、パーン! どーーーーん、どどーーーーーん。

その音は数分間鳴り止む事なく、腹に響くような振動を伴って、
続いたのだった。

チャペルに集っていた仲間の中には、
当時、まだ戦争の傷跡が生々しかった旧ユーゴスラビアの出身者や、
武器を用いて戦う本当の戦争を、自分の体験として知っている者たちがいた。

鳴り続ける花火の音を聞きながら、
彼らはこの音を聞いて、
自分や家族たちの身の上を襲った、あの戦争を思い出したりしないのだろうか?
そんなことを考えていた。
そう思って、周りを見渡しても、
特別、激しい音に怯えている様子を見せる者もおらず、
案外とみな、そういう経験に対して、淡々としているものなのか、と、
勝手に解釈などしてしまっていた。

しかし、今思えば、
本当の銃砲の音など聞いた事の無いわたし、Giovanniの想像が、
拙いだけで、
人を殺す能力を持つ音は、
もっと凄まじいものなのだと知恵を働かす事ができる。

今日も、今も、そしてこの瞬間も、
レバノンでは、砲火と炸裂する銃弾が、生きる人間を襲っている。
そして、世界地図上の多くの国や地域で、
いくつもの戦火が燃え上がっているのは、現実である。
わたしたちの町からすれば、遠くに霞んで見える花火のように、
ぼんやりと、幻のようにしか見えない戦争は、
現に多くの人たちの命を奪っているのだ。

対岸の花火を眺めながら、
そんな事を考えていて、やるせなくなった。
飲み終わったビールの缶を、握り潰したくなった。

自分を慰めようと、思いを巡らしている内に、
確か、花火には、何かそういう意味は無かったかという思いに辿り着き、
帰宅して調べてみたところ、
日本の打ち上げ花火の歴史にこんなことが書いてあった。

『1733年、関西を中心に飢饉に見舞われ、
江戸ではコレラが猛威を振るい打数の死者を出した暗い世相の中、
将軍吉宗が死者の慰霊と悪霊退散を祈り
両国大川(隅田川のこと)の水神祭りを催し、
それに合わせて大花火を披露し、
これが隅田川川開きの花火の起源になったと言われている。』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
とのことで、花火には、慰霊の意味もあるようだ。

やるせなくなった気持ちが、これで少し和らいだ。

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