15日の敗戦記念日と、
8月は、忘れてはならない記念の日が続く。
そんな中、
8月16日もまた、わたし、Giovanniにとって、
そして、世界中にいる多くのわたしの友人たちにとって、
決して忘れてはならない、記念の日である。
それは、昨年の8月17日の午後だった。
仕事が休みで、いつものように、泳ぎに行き、
ゆるゆると過ごしていた夏の午後。
携帯が小さく音を鳴らし、メールの受信を報せた。
メールの送信元は、Marie-Christine。
フランスにいる友人からで、
ある人の死を報せるメールだった。
亡くなったのは、
その同じ年の春に、90歳を祝ったばかりの人で、
ここ数年は、近い将来、その人とのお別れのときが来ることを、
心の片隅で、ぼんやりと意識はしていた。
とは言え、彼が昨日亡くなったというそのニュースは、
わたし、Giovanniの胸をぐっと締めつけた。
彼は、わたし、Giovanniが2年間生活をした、
communaute(共同体)を、今から66年前に創設した人物であり、
亡くなった当時も、高齢でありながら、
そのcommunauteの指導的立場として勤めていた。
彼がそのcommunauteを創始するに至った、
きっかけの一つとして、
当時、ナチスの弾圧を受けていたユダヤ人たちを匿ったり、
戦争によって、親を失ったこどもたちを受け入れる、など、
人間としての連帯の心を、具体的に行動として示したいという
彼の情熱があった。
同時に、
同じキリスト教を信じる者でありながら、
敵対する国同士、お互いを傷つけ合い殺し合うという現実に、
心を痛め、
今こそ、キリスト教徒が一つになって、
平和と和解の一つの印となるべきだ、という熱意をも、
彼は持ち合わせていたのである。
彼は、その生涯を、
人間の様々なレベルにおいての、和解すること、について語り、
その和解の実現に向けて働き続けた。
親子や兄弟姉妹、友人たちとの間での和解。
国と国との和解。
思想や宗教によって分裂した民族間での和解。
或は、自分と、自分の中にいる本当の自分との和解。
彼の死のニュースは、
そのまま、彼に最も近しかったcommunauteの人たちへ、
メールを送るべく、
わたし、Giovanniを、インターネットカフェへ導いた。
フランスのニュースサイトに、
彼の死の詳細が掲載されているやも知れないと、
心当たりのページを開いて見て、
わたしは、呆然となった。
『精神的な病いを持ったと見られる女性に刺殺』と、
記事にはそう書かれていた。
しかも、communauteで一日3回、
チャペルで執り行われる祈りの最中に、
大勢の人たちが、その場に居合わせた中、
背後から、刺され、即死だったというのだ。
それは、まさに、誰にも思いもかけない突然の出来事だった。
わたし、Giovanniを含め、彼を知る多くの人たちが、
突然、全ての明かりを吹き消されたかのように、
目の前が暗く閉ざされた気持ちだった。
しかし、予想だにしなかった彼の突然の死は、
同時に、大きな目に見る事のできない財産を、
わたしたちに残してくれたことに、
わたし、Giovanniも、そして多くの仲間たちも、
直ぐに気がつかされたのだった。
戦争を憎み、あらゆる争いや暴力、弾圧を忌み、
全ての場所に平和と和解を、と、願った彼の生き方を、
引き継いで行くことを、固く誓ったわたしたちは、
平和と和解を望み願う気持ち、という宝を、彼から受け取ったのだ。
わたし、Giovanniも、
自分の生きる社会の中で、職場で、
平和と和解のしるしとして生きていきたい。
そう、思って止まない。
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追記
ここに紹介した人物は、
フランスにある共同体、
Communaute de Taizeの創始者であり、
亡くなるまで、その責任者を果たしたFrere Rogerのことである。
彼の働きは、
共同体の創設から永年の間、
誰からも認められるような表立ったものでは
決してなかった。
むしろ、
孤独に打ちひしがれている老齢者ばかりが暮らす寒村を、
共同体の場所として定め、
静かに、黙々と暮らす、共同体生活だった。
ただ、中世以降の多くの修道院などが、
高くそびえる塀を巡らした中で、
外界と遮断された環境を住処としたのとは違い、
むしろ、積極的に、世界の現実と向き合い、
当初から、東ヨーロッパ諸国の弾圧された人たちとの
連帯を築いてきた。
一説によると、ベルリンの壁の崩壊には、
彼の共同体が、大きな役割を果たしたとも言われている。
社会に大きく見開かれた目と、
静かに、自分の内面に語りかけられる言葉に傾ける耳の
両方を合わせ持つ、彼の共同体に、
ヨーロッパ各国から、青年たちが訪れるようになったのは、
1960年代の後半、
世界が大きく変わり始めようとしていた時代だった。
戦後のヨーロッパが、物質的に豊かになりつつある反面、
多くの青年たちが、生きる目的を見失い、
心を寄せる拠り所を見いだせないでいることについて、
Frere Rogerは大いに嘆き、
自分たちの共同体へ、青年たちを迎えることを始めた。
迎えられた青年たちの多くは、
自分たちと同様に、
進むべき道を知らず、途方に暮れる人たちとの出会いの中で、
或は、ヨーロッパのみならず、アジア、アフリカ、南米などの
国々からやってきた、主に南半球の国々が抱える、
経済的貧困、政治的混乱の中で生きる人たちとの出会いの中で、
自分に何ができるのか、
何を分ち合いながら生きて行く事が自分に望まれているのか、
を、見いだすきっかけを、この共同体で発見し、
それぞれの国で、社会で、家庭で、
新しく歩み始めるのである。

写真はありし日のFrere Roger
彼は、幼いこどもたちを常に
見守っていた
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