すっかり、ごぶさたをしてしまったことに、
気がついていなかったわけではない。
時間が過ぎ去るスピードが、
あまりにも速く、
それについて行くことが出来ないでいただけである。
と、言い訳する、わたし、Giovanni。
ことし一年、
ほとんどこのブログを更新することも無く、
去年のクリスマスメッセージが、
ページの上のほうに、まだ残っている始末である。
職場の仲間たちを中心とした、友人たちへ、
クリスマスメッセージを送るようになった経緯は、
去年のクリスマスメッセージを、
ご覧いただけば良いかと。
今年は、職場が異動になったこともあり、
こんなメッセージを受け取るのは、
初めてだろうと思われる連中も何人かいたのだが、
シンプルに、それでいて、
十分にことばを吟味しながら、
以下のようなメッセージを送ったのだった。
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『クリスマスの夜に。
今年はたくさん色々なことがあった。
母の病気のこと、新しい店のオープンのこと。
世の中の様々な状況が、
めまぐるしく変化した一年でもあった。
一年を締めくくる、このクリスマスの夜に、
ひとことだけ、親しい人たちに、伝えたいこと。
社会で生きている限り、
人とのコミュニケーションが
いかに大切であるかということは、
日々実感させられている。
口に出して、
お互いの意志を確認しあったりすることが、
とても大事だと言われているし、
自分でもそう思っている。
でも、ふと、こんなことにも気づいたのだけれど・・・
わたしたちの生きている日々の生活の中に、
声にならない声、
心の叫びがあるということ。
様々な理由で、
------あるときは病いであったり、
あるときは政治的抑圧であったり-------
じっとどこかの暗闇で声をこらしている人たちが
いるのではないか、と。
そういう声、叫びに、
もっと耳を傾けることができないか、と、思う。
本当は聞いて欲しいのに、
聞いてもらうのを待っている人たちの存在に、
もっと、気がつくことができるようになりたいと思う。
母が患っている鬱という病いとの付き合いも、
早くも半年以上。
おかげさまで、
日々、電話で聞く声も元気が増しているように思う。
それでも、ちょっとしたことで、
電話口で泣きじゃくることもあり、
この病いの手強さに、やりきれなく思うこともある。
クリスマスの夜が明けて、
新しい朝には、
また、新しい生きる希望が必ず生まれるということを、
わたしは自分の口で語りたい。そう思っている。』
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今、わたしたちが生きている社会、世界は、
たくさんのことばによる情報が溢れかえっている。
キリスト教は、神=ことば、と、言っているように、
キリストのことばを中心とした、
信仰であると言うことができる。
しかしながら、ここで言っていることばとは、
日本の政治家たちが、
語っては取り消し、口に出しては訂正するような、
安易な、その場しのぎのものではなく、
真実、真理を伝えることばであり、
過剰な情報を伝えるものではなく、
とても単純で、素朴なことばでもあるのだ。
耳から入っては消えてゆく、
そんな雑音、騒音とも思えることばの氾濫の中で、
耳をこらして聞こうとしなければ、
聞き取ることができないことばがある。
或は、耳では聞こえない、
恐らく、心で聞かなかればならないことばも、
存在している。
語りたい、聞いて欲しい、
でも、口に出して言うことが出来ないでいる。
戸外へ出て、往来で口を開くことすらできない、
そんな状況にいる。
他人に聞かせたいことがあることに、
自分自身もそれに気がついていない人がいる・・・
それらのことばを聞くために、
もっと、耳を傾けることができたら。
心を自由にしておくことができたら。
母が鬱病と診断される前の数週間、
電話で話す度に、
なんだか調子が悪い、気持ちが落ち込む、と、
母が言っていたのを思い出す。
今にして思うと、
あれが鬱病の予兆、始まり、だったのだろう。
日に日に、電話口の声がか細くなり、
元気が無くなっていった、
あの頃の母のことばに、
もっと耳を傾けてやれば良かった。
今となっては、悔やまれるばかりである。
鬱病を患う人と接するときには、
相手が言うことを否定したり、反対意見を述べたりは、
禁物だと教えられた。
それよりは、うん、うん、と、耳を傾け聞いてやり、
そうなのか、そうだったのか、と、
相手のことばに同調してやるものだと言われた。
励ましや、助言のつもりで、
何か多くを語るよりは、
静かに、相手の話を聞いてやるのが良いようだ。
おかげさまで、
母の病いは、
ゆっくりだが、少しずつ、快方に向かっている。
これからは、もっと、彼女のささいなことばにも、
熱心に耳を傾けようと思う。
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耳を傾けるばかりでなくて、
もし、出来るだけ単純素朴なことばを、
相手に語りかけるとするならば、
新しい朝とともに、新しい希望が、
生まれるのだということを、
わたし、Giovanniは、伝えたいと思っている。
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