母のことは、ご心配なく。
ゆっくりではあるが、着実に、良い方向へと、
向かっている。
いつ頃だろうか?
スーパーの乳製品の棚を、何度も何度も確認したのに、
バターが無かったのは。
あれから、いつ行っても、いつ行っても、
無いのだ、バターが。
普段は、玄米ご飯、鰯の煮たの、小松菜のおしたし、
なんて食事が多いけれど、
そうは言っても、フランスは故郷みたいなものだから、
美味しいバゲットには、たっぷりバターを塗りたいし、
スプーン一杯のバターで、俄然風味を増す料理もある。
絶対無きゃ困る、と、言うものでもないけれど、
必要なときには、いつでも手に入れることが出来る、
当たり前の食品。
バターとは、そういうものだと思っていた。
なのに、無いのだ。
バターが、無いのだ。
この事態に、何も感じない人がいるのだろうか?
あぁ、バターが無いの、
で、済ませてしまうことができるのか?
友人のブログ、”終着までは、何哩?”で、
昭和のオイルショックについて思い出した。
トイレットペーパーが、店から姿を消したり、
そうそう、テレヴィも放送しない時間があったりした。
あれ以来の出来事である。
何か、当たり前にあったはずのものが、
どこかへこつ然と消えてしまった。
たかだか、200円か300円で買うことのできた、
バターが、消えてしまったのである。
これは、まさか、
次は牛乳が消え、その次は卵が消えて、
それから、パンも、米も、牛肉も、ビールも、
消えて無くなり、
そして、気がつけば、何もかもが失われてしまうことの
序の口なのではないだろうか?
まさか?
日本は、食生活に関しては、
恐らく、世界でも有数の国だと思う。
東京では、世界中の食べ物を食べることができるし、
デパートの地下などは、まさに、宝石箱のようなものだ。
と、同時に、食べ物を粗末にしたり、
無駄にしたりすることにおいても、
類い稀な国なのだ。
自給率の低さを、経済力にモノを言って、
輸入で補ってきたけれど、
さて、そんなアンバランスな矛盾を秘めた方法で、
こんな時代をどこまで乗り切ることができるのだろう?


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